妖怪談義

 問題はあっけなく解決した。

 夕凪と目があった青嵐はやおら俺たちに近づき、夕凪が拘束しても良いと再び述べたものだから、何のためらいもなく背嚢に入れてあった改造洋弓銃をバラして天蚕糸テグスを集め、夕凪の両手首を背側で拘束した。継ぎ目もなにもない円。完全な拘束だ。背面であれば後ろに手を組んでいるようにも見えるだろう。

 夕凪はやや歩きにくそうだったが、それでも俺と青嵐に挟まれるような形で小町こまち通りのミルクホールの暖簾をくぐる。ミルクホールは軽食や牛乳を供する店で、最近市街に増えていた。小町通りは新地と八天閣のちょうど中間に位置し、神津駅からの人通りが多い。ここであれば、夕凪がおかしなことをしようと思っても難しいだろう。

「まず、私はあなた方に二つ、謝らなければなりません」

「何?」

 フリルの付いた割烹着姿の女給がミルクコーヒーと豆菓子を置いて去ると、夕凪は深々と頭を下げた。

「一つ、私は唯一人ではありません。唯一人は私の子です」

「……では何故、あんたはこいつの円が見えた」

「それがもう一つの謝る理由です。私は人間ではありません。広道先生から私のことをお聞き及びではないでしょうか」

 夕凪はそう告げて俺をじっと見る。

「眉山、広道とは誰だ」

「俺が小さい頃に亡くなった大叔父だよ。確かに俺は広道さんにあなたのことは聞いたことはある。けれどもそれは……」

 広道さんは面白い人だった。神津大学附属病院で何代か前の院長を勤めていた。子どもはなく、俺を含めた本家の子をかわいがっていたが、よくこの世のものとも思われぬ友人の話をした。普段は強面なのに、やれ象ほどもある大きさのジャコウネコがいるだの天鳥船あまのとりふねが神津湾に沈んでいるだの、挙句の果ては端照島はしょうとうあたりに龍宮城があるだの、あたかも懐かしむように語るのだ。そのような話の中に、この夕凪晴夜のことが含まれていた。

 曰く。

「広道さんは夕凪晴夜は不老不死だと言っていた」

「不老不死……?」

 その単語に青嵐は首をかしげる。幼児であればともかく、信じるに足る内容ではない。当然、広道さんから話を聞いた俺自身も作り言か冗談の類だと考えていた。普段は強面な広道さんからはなかなか浮かばない話であったとしても。

「厳密には異なりますが、そのような認識で間違い有りません」

 夕凪は平然とそう述べて、後ろ手に縛られていたはずの手を前に回してミルクコーヒーのカップを手に取った瞬間、青嵐はガタリと立ち上がり流れるように左手を夕凪の額に押し付けた。夕凪はその手をそっと両腕で包む。周囲がざわつく。

「これは小型の銃でしょうか。撃って頂いても結構ですが、ここは場所がよくないでしょう。お互いに」

「青嵐。捕まる」

 ちらほらとこちらを眺める視線を感じる。夕凪がその手元で銃身を隠したからそれが何だかは外からはわからないはずだが、それにしても不釣り合いな不穏な空気が耳目を集めている。

「ご心配なさらず。私はあなた方を害をなす手段を持ちません。このようにしただけです」

夕凪は青嵐の左手を包み込んだ右手の人差し指と親指で左手の親指を掴み、第1関節から引き千切った。

 そう、千切った。

 それは無音であったが、そうとしか思えなかった。ちぎられた親指の断面は、玩具のようにつるりと何もない。骨もなく、血も流れない。

「このように、手首を取り外しました」

「馬鹿な」

「この手を退けて頂ければ、実際に外してご覧にいれます」

 夕凪の表情は変わらず柔和なままだ。青嵐が着席すると、左手で自身の右手首を掴み、捻るとごとりと右手首から先が外れた。組み立て式の人形のようだ。しかも分離した手首から伸びた指先はにょきにょきと動いている。

「このように、私には拘束は無意味です」

「……何なんだ、お前は」

「それは私も長年疑問に思っておりました。以前は化け物だのあやかしだの色々呼ばれておりましたが、けれども広道先生にお答えを頂きました。私は未研究の、知能の発達した原核生物類似の生物なのだそうです」

「原核……?」

 青藍は納得がいかないのだろう、そう呟く。

「俺も広道さんから、夕凪晴夜はプラナリアに似た性質を持つ知的生物だと聞いたことがある。あなたのその手首から……あなたが生じるのですか?」

 そう思えば目の前の手首も夕凪晴夜自身も実に奇妙に思えてきた。同時に耐え難い好奇心が湧き上がる。このような高揚は久しぶりかもしれない。

 この世では既に様々なものが解明され、新しい発見をすることなど乏しい。けれどもその未知が目の前にいる。手首が目立たぬよう密やかに蠢くのをみても、何故そうなっているのか理解は全く及ばない。この夕凪晴夜と初めて対峙した広道さんは、何を思ったのだろう。

「プラナリアというものは、ちぎれば独立して生を紡ぐと伺いました。けれども私は私だけ。細かくしすぎればただの肉の塊と化し、動きを止めます。私に戻せば私に戻ります」

 夕凪は右手首を元のあるべき所に戻せば、何事もなく傷ひとつなく元の様子を取り戻し、ミルクコーヒーのカップを持ってそれを夕凪の口元へ誘う。


「それで。あんたが人ではない事は理解した。俺たちの手の円が見えるのは、人ならざる力によるものか」

「いいえ。これは私の大切な唯一人の力でございます。私の子には私の体を少量混ぜております。ですので、その異変が私にはわかるのです。それを齎した縁もともに」

 そう述べて、夕凪は青嵐の左手の甲を指差し、俺を見た。少量を混ぜる?

「お前の唯一人とは誰なんだ」

「それは……申し上げられません。未だあなた方にお会いしたばかりですので。当初は、どのような方か遠くから拝見するだけの予定でした。お会いする予定はございませんでした。そちらの方が広道先生によく似ていらっしゃるもので、つい懐かしく、心を抑えることが叶いませんでした」

 そういえば、名のりすらしていないことに気づく。夕凪が唯一人を隠すのであれば、わざわざ開示する必要はないだろう。ただでさえ俺が久我山であることは既に知られている。

「此度はどのような御用で唯一人を求めておられるのでしょうか」

「情報収集だ」

「青嵐、信用するのか」

「少なくとも、この奇怪な状況について、互いの知識を合わせれば検証程度は可能だろう」

 検証。確かに俺と青嵐の持つ情報は極めて少ない。けれども俺にはどうしても気になることがあった。

「夕凪さん、あなたは『不老』なのですか?」

 夕凪は俺の問いに初めて、不思議そうに首を傾げた。

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