1章 全ての始まり 常磐青嵐

高層天蓋

 轟轟と響き渡る突風がもたらす身を切るような冷たさと、ぐわりと体を吹き飛ばすその風圧。それが俺を無理やり眠りから弾き出した。

「一体どうなっている?」

 僅かな混乱は俺に不快をもたらし、よろける足を踏ん張り目を開ければ世界は未だ深々と闇に満たされている。灯りを求めて天を見上げ、ふわりと後ろにひっくり返りそうになる。天の蓋に張り付くように、満天の星が広がっていた。その全てがあたかも神の目であるようにざわりと俺を見下ろしている。手を伸ばせば掴めそうなほどに広がる星々の生み出す妙な圧に喉奥から思わず妙な音が出る。何もなければ歌でも歌い出したくなるほどの美しい夜だ。その景色は俺が特別だと改めて自覚するのに十分だった。

 けれども。何かがおかしい。

 そもそもここは何処なんだ。

 何とか理性を叩き起こし、世界を観測する。一歩踏み出せば裸足の足裏にギシリと軋む滑らかな木床の感触、つまり人工物。そしてこれほどの風が吹くならばここは高所だ。

 脳裏に浮かび上がった名称は八天閣はちてんかく。頭の中に、この神津こうづ、いや日の本一の高層塔が浮かび上がる。


 八天閣は明治221889年竣工の大阪キタの九階、明治231890竣工の浅草十二階と呼ばれた両凌雲閣りょううんかくに10年遅れて明治331900年に竣工された、高さ68メートルのこの国屈指の15階建て高層展望塔だ。この神津こうづ市すべてを眺望に納める高塔で、竣工から9年経った今でも来客数はうなぎ登りの観光名所。

 ……けれども今は真っ暗闇で何も見えない。水平に目を凝らせば、わずかに3方に広がる山の稜線が、大正の夜を完全な暗闇と星の瞬く闇に分けていた。

 稜線の形をなぞり、北と思う方向の端までそろりそろりとにじり歩いて目を落とせば、遥か眼下にぽつりぽつりとガス燈の光が並列に並び揺らめくのが見えた。こちらを北と考えれば、小瀧川おたきがわ沿いのガス燈か。そうするとやはりここは八天閣に違いない。推論は合っているだろう。塔の壁を駆け上る冷たい風がぶわりと髪を巻き上げる。

 けれどもおかしい。ここは野空しだ。八天閣の最上階の展望層ではない。展望層には屋根があったはずだ。つまり更にその上。登れないはずの屋上か?

 再びびゅうと風が吹く。その冷たさにようやく頭が働き始める。

 随分と非現実的な話だ。けれどもこのあり得ない状況に妙に心躍る。俺は今、下宿で寝ていたはずだ。あるいはこれは、現実とかわらぬほどリアルなな夢。それともこの八天閣自体が非現実をもたらす場所だからだろうか。

常磐青嵐じょうばんせいらんさんですね」

 唐突に俺の名を呼ぶ無機質な声に振り向けば、直径10センチほどの薄っすらと輝く白い玉が俺の背よりわずかに高い虚空に浮かび、思わず小首をかしげた。


 奇妙だ。

 街灯のように玉を支えるものがない。目を眇めても、ただそこに浮かんでいるように見える。そして声の出処がその玉のように思われる。やはり夢や幻覚かと判断を偏らせるには十分で、なにやら残念な気分に陥った。

「ここにおられるあなた方は全て、自らを『唯一人ゆいいつびと』と認識する方々でございます。故に神徒として選ばれました。最後の一人となるまで、相互に戦うことになるでしょう」

 周囲の闇がざわりと蠢いた。あたかもそこに人がいるように。

「御免被る」

 神徒という言葉には何やら心が跳ねたが、そもそも俺が何故そんな面倒なことをしなければならない。

「既に運命は振り分けられました。あなた方は次の新月に再びここを訪れ、あなた方の相手と相まみえるでしょう」

 淡々と述べる平板な声。

「断ると言っているんだ」

 けれども返事はなく、風が逆巻くばかり。

 ……話は通じそうにない。

「誰と戦うというんだ」

「選ばれた神徒15名です」

 今度は返事がある。

「戦ってどうなる」

「最後に残った神徒は神の依代となるでしょう」

 神の依代? その言葉にやはり首筋がぞろりとざわめく。

 俺は平凡な人間だ。けれども小さい頃、俺は神社で人ならざる声を聞いた。だから神という言葉は俺にとって特別な意味を持つ。けれども。戦う、だと? 神徒、つまり神の徒弟という表現も気に入らない。

「残らなかったら?」

「唯一人となった神徒にその力と魂を捧げることになります」

 その意味を咀嚼する。魂を捧げるというのは通常死ぬことを指す。

 たくさんの魂を捧げて神徒を作る。つまりこれは、蠱毒なわけだ。馬鹿げている。

「……俺には戦う力なぞない」

 投げやりにそう呼びかける。戦うというのは随分無粋な話だ。俺が持ち上げられるものといえばせいぜい百科辞典くらいで、人と争ったことなども無い。

「あなた方には平等に、使徒の力が与えられます。それをご活用ください」

「使徒?」

 俺の声に応えるように、光る玉が複数にに分割されて四散する。その1つが俺の左手にぶつかるとじくりと痛み、急激に熱を持ち始めた。そのどくどくとした脈動の引き換えにか次第に頭に霞がかかり、再び目を開けると闇で、しばらく目を凝らしていれば見慣れた天井が浮かび上がる。

 やはり、夢、か。

 突然全てが、酷くつまらない気分になった。

 そう思って再び目を閉じる。次に目を開けたときはすでに明るく、伸びをして天井に手を伸ばせば左の手の甲に丸い円が描かれているのを見つけた。まるでぶつかったシャボン玉が弾けて描く円のように。

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