八天閣奇談 〜大正時代の異能デスゲーム

Tempp @ぷかぷか

Prologue 一つの最初の戦い 田山五王vs浜比嘉アルネ

 摩天楼を上空から見下ろしていた。

 午前零時、真夜中だ。

 最初のときと同じように、30メートル四方ほどの広さの塔の屋上、その真ん中には1つの光点が浮かんでいる。唯一異なるのは、光点を挟んで細身と巨躯の2つの影が対峙していることだ。

 突然、光点から声が聞こえた。

浜比嘉はまひがアルネさんですね』

 その問いには誰も答えない。すこし時間が経過した後、光点は再び問いかけた。

田山五王たやまごおうさんですね』

「そうだ」

 重々しい声は巨大な影から聞こえた。田山五王という本名は知らなくとも、その異様を見ればそれが誰だかすぐにわかる。当代横綱、出羽の山でわのやま関だ。化粧廻しにもその名が染め抜かれ、稽古の直後でもあるのか、すでに温まった裸体からはもうもうと汗の蒸気が立ち上っていた。

 光点は沈黙を保っている。出羽の山は目の前の浜比嘉アルネを殺気を込めて睨みつけたまま、耐えかねたように呟いた。

「はっきよい、の合図もなしか」

 誰も何も答えない。轟轟と吹きすさぶ風の音がただ響くだけだ。

「お前は浜比嘉、というのか? せめて名乗れ」

 それは出羽の山の矜持だったのかもしれない。

 けれどもやはり、返事はなかった。

 対面する浜比嘉アルネは夜目にも目立つザンバラな白髪で、広く膨らんだ袖に長い裾の白黒の道袍どうほう・道士服を纏い、革靴を履いている。出羽の山の肉厚の裸体と比べれば、その体は細魚さよりのように心もとない。浜比嘉アルネはただ、茫洋と立ちすくんでいた。

「名乗らぬならば、参る」

 無言を答えと捕えたのか、出羽の山が気勢を上げる。

 彼我の距離はおよそ3メートルほど。

 出羽の山の発達した下腿が更に爆発的に膨れ上がり、その踏み込みで床木がバキリと大きな音をたてた次の瞬間、その体は弾丸のように浜比嘉に突進していた。それはまさに猪突の勢い。もし私のほかに観客がいれば息を詰め、浜比嘉の命はこれで終わりかと目を瞑るに十分だったろう。

 次の瞬間、浜比嘉はフワリと宙を漂う。

 突進を避けるという行動とは異なる。そのような積極的な活動ではなく、ただ大風に木の葉が舞うように、その勢いによってひらりと吹き飛ばされたように見えた。出羽の山は浜比嘉を捉えようと何度もそのたくましい腕を伸ばしたが、その度に浜比嘉はひらりひらりと柳が風にそよぐように剛腕の巻き起こす力の隙間で宙を舞う。

 出羽の山が動きを止めて漸く荒い呼吸を吐き出した時、浜比嘉の風で膨らんだ袖から何枚かの札が泳ぎ出て、ピタリと空中にとどまった。

「な、なんだこれは……」

 出羽の山の問いに、やはり答えはない。そして先程とは異なる異常に出羽の山は目を細め、周囲をじっと観察した。けれどもやはり、浜比嘉に動きはない。

 その時初めて浜比嘉は口を開いた。空気を裂くような声だ。

「あなたは何故、戦うのですか」

「何故? 何故だと? 俺はあの玉が言ったように『唯一人ゆいいつびと』だ。だからお前を倒し、頂点となる」

 なるほど。相撲取りというのはもとより神に五穀豊穣を捧げるものだ。その頂点を極めるのは本能のようなものだろうか。私は出羽の山の答えに納得した。けれども見下ろす浜比嘉アルネには納得した様子はなく、さらに問いが発された。

「何故?」

「何故……?」

 それは出羽の山にとっては自明のことなのだろう。出羽の山はただ、これまでそのように生きてきたというだけだ。けれどもあの浜比嘉アルネにそのような知識はない。だから問いかけるのだろう。

「では、お前は何故ここにいる。唯一人ではないというのか?」

「ここにいるからです」

 浜比嘉の感情の乗らない短い答えに、今度は出羽の山が沈黙する番だった。出羽の山には同様に、浜比嘉アルネの言うこともまた、理解できないのだろう。

 光点に照らされる浜比嘉の浅黒い肌には、何の表情も浮かんでいない。

 そうして出羽の山は浜比嘉と応答するのは諦めたようだ。じっと腰を落とすのを、浜比嘉は変わらず茫洋と眺めている。

「俺はお前を倒して先に行く」

「では、私も倣いましょう」

 浜比嘉が腕を振ると、その袖からさらに数枚の札が浜比嘉を守るように宙空に展開する。けれどもまばらだ。出羽の山は体を低くし、その隙間を縫うように飛び出す。大きく腕を開きその内側の空間から逃れられぬよう、再び浜比嘉に手を伸ばす。

 勝利を革新したのか、出羽の山の口角がわずかに上がる。

 避けようともしない浜比嘉の腰を出羽の山は確かに捕えた。

 けれども引き倒そうとして、その顔に驚愕を浮かべる。

 異常に気がついたのだ。捕えたはずの腕の中に手応えがない。

 その異常は上空からも明らかだった。浜比嘉の首元に生える頭部はそのままに、あたかも胴体が空洞であるかのように出羽の山の腕の中でくしゃりと体幹がひしゃげた。

 驚き慌てて出羽の山が崩れた態勢を整えようと踏ん張れば、かえって浜比嘉の格衣から伸びた長い袖が出羽の山の体に絡まっていく。

 その時漸く、出羽の山は自身が前面に浜比嘉、背面に浜比嘉の札に挟まれていることに気がついた。札はいつのまにか出羽の山の隆々たる背にピタリと張り付き、出羽の山がもがいてもその背を空間に固定し、そして正面の浜比嘉の袖は出羽の山を包み込むようにその表面を覆っていく。袖を絞るがごとくその隙間は狭くなり、太い肉と肉の関節を引き絞り、やがてその丸太のような首をも締め上げる。

 こうなってしまっては最早趨勢は決したというものだ。やがて出羽の山は口端から泡を拭き上げ白目を向き、どうという音とともにその場に崩れ落ちた。

『浜比嘉アルネさん、おめでとうございます』

 光点からそのような音が聞こえたのは、出羽の山が倒れたてからたっぷり15分ほど経過して後だった。


 私はその間、世界を観測していた。

 光点はこの塔の中心から全く動かなかった。塔の四方はそのまま垂直に近い壁となっていて、まっすぐ地上に続いている。そしてこの屋上は板張りで、出羽の山が踏み抜きそうになった床板は、既に何の問題も見られなかった。

 この15分ほどの間は何だろうと思いを馳せ、それは出羽の山が蘇生不能になるまでの時間だろうかとあたりをつける。人は心の臓が止まっても、しばらくは蘇生できるはずだ。おそらく出羽の山の生命維持の可能性が不可逆的に失われたのだろう。

 目下の浜比嘉アルネは、出羽の山が倒れその拘束を解いて以降は、ピクリとも動いていなかった。

『では次の新月にお会いしましょう』

 光点がその声を発した直後、浜比嘉アルネは上空を見上げた。私と目が会う。けれどもすぐにその光景は薄れ、ぷつりと何も見えなくなった。

 接続が切れたのだろう。

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