後編


 オズワルドを見送った後、マチルダはローズマリーを部屋に招く。

 二人で話をしたいといって、誰も部屋に入れなかった。


「ローズマリー。真実の愛の実って知っている?」

「はい。その実を食べれば深い眠りに落ち、真実のキスによって眠りから覚める、幻の果実ですよね?」

「実は、私、この真実の愛の実を持っているの」

「お、お姉様?」


 ローズマリーの声が上擦り、気遣うような視線がマチルダに送られる。


「心配しないで。おかしくなったわけじゃないわ。二日前、私、街にでかけたでしょう?」

「はい。レナードが怒ってましたね」

「ふふふ。怒っていたわね」

「一人でお出かけなんてするからですわ」

「いいじゃないの」


 マチルダはローズマリーと異なり、顔のつくりは平凡。髪色は暗い栗色、目は茶色だ。控えめの化粧に、服を平民の娘と同じものにすれば、街にすんなりと紛れ込むことができた。それはある意味、貴族らしくないということで悲しいことでもあるが、マチルダは利点として一人で街に出かけることがあった。

 二日前、老婆から実をもらって屋敷へ帰ると、冷え冷えとした怒りをたたえたレナードが玄関で持ち構えていた。マチルダは、彼が感情を表してくれた事が嬉しかった。どんな感情でもレナードの気持ちがわかる事はマチルダにとって喜ばしい。本当は楽しい、嬉しいなど、そんな感情を見たいのだが、表情を隠すのがうまくなってしまった彼からそのような感情を引き出すのは難しかった。だから、怒らせるのが一番楽で、いつも彼が嫌がりそうな事をしてしまう。


「お姉様は、本当にレナードが好きなのですね」

「ええ。だから、ローズマリー。あなたは私に悪いことなど少しもしてないのよ。あなたがオズワルド様のことを好きなのは知っているわ」

「お、お姉様……」


 ローズマリーの声に少し泣き声がまじる。


「私、この真実の愛の実を使おうと思うの。この実をくれた、あのおばあさんはきっと魔女よ。彼女は言ったのよ。この実は私の憂いを断つって」

「それは、」

「この実を食べるわ。そして真実のキスを待つの」

「でもお姉様」

「まずは、父はオズワルド様に試させるでしょうね。でも無理よ。オズワルド様はあなたが好きだもの」

「お姉様。あの、私」

「いいの。気にしないで。本当に。私は応援しているの。むしろ、オズワルド様にあなたを襲ってほしいと思ったくらい」

「お、襲う。なんてこと」

「ごめんなさいね。ローズマリー。だから、私のことは本当に気にしないで。それで、この実なのだけど」


 マチルダは、真実の愛の実を両親の前で食べ、眠りに落ちるつもりだった。

 偽物の可能性、普通の果実の可能性もある。

 けれどもマチルダは、賭けることにした。

 眠りに落ちた彼女をまずは医者が診るだろう。けれどもきっと理由はわからない。眠りつづけるマチルダに対して、両親はやっと真実のキスを試みるだろう。

 まずは婚約者であるオズワルド、それから……。


「レナードがキスをしてくれないなら、それでもいいわ。私、本当にオズワルド様とは結婚したくないの。もし私が目覚めなかったら、あなたが代わりにこの家を継ぐの。大丈夫。オズワルド様も助けてくれるわ」

「お姉様。この不思議な果実に頼ることはありません。その覚悟があるなら、お父様たちに伝えましょう」

「伝えて、変えてくれると思う?私はずっと言ってきたのよ。だけど、何も変わらなかった」

「そうですけど」

「それとも、オズワルド様と既成事実を作ってくれる?そうすれば私は結婚しなくてよくなるわ」

「それは……。わかりましたわ!」

「嘘よ、嘘。そんな無理にすることじゃないわ。いくら好きあっていてもね。ローズマリー。私は真実の愛を試したいの。この世界にそんなものが本当にあるのか。それに、ちょっと疲れちゃった。レナードを愛し続けるのも。この実を食べて彼の気持ちを試したい。キスをしてくれたら。そこに愛がなかったとしても、それだけでいいの」

「もし愛がなければ、真実のキスでなければ、お姉様は目を覚まさないのでしょう?それではあまりにも」

「ローズマリー。私が馬鹿なことをしようとしているのはわかってる。だけど、こうでもすればお父様たちはあきらめてくれるでしょう?」

「でもお姉様がずっと目覚めなかったら」

「私はそれでも構わないわ。一方的にレナードを愛し続けるのも疲れてしまった。レナードの前で、オズワルド様を夫として立てて生きていくのも嫌だし」

「それなら、レナードに気持ちを伝えて」

「ローズマリー。私は決めたの。この実を食べるわ。あなたに負担をかけることになるのは本当にごめんなさい。だけど、これが最後の私のわがままだわ」


 マチルダはそう言い切り、ローズマリーはそれ以上何も言うことができなかった。


 ☆


 翌朝、朝食の場でマチルダは、綺麗に洗った真実の愛の実を口にする。


「お父様、お母様。これは真実の愛の実。聞いたことがあるでしょう。私は、愛する人と結婚したいの。だからこの実を食べて、真実のキスを待つわ」


 突然おかしなことを言い始めた娘を前に、両親は唖然とするだけで何もできなかった。

 ローズマリーは静かに姉を見つめ、マチルダは彼女に託すように頷くと実をかじる。

 効果はすぐに出て、果実がぽとりと彼女の手から落ち、その体が力を失う。

 ローズマリー、母メリンダの悲鳴、父エドワードの怒声の中、彼女の体を受け止めたのはレナードだった。床に接触して頭を打つ前に彼はマチルダの傍に駆け寄り、その体を抱きとめた。


「なんて、馬鹿なことを……」


 そんな小さなつぶやきがレナードから発せられたが、誰の耳に入る事もなかった。


 マチルダは自室のベッドで療養することになり、すぐに医者が呼びつけられた。

 体の機能はすべて正常。ただ眠っているだけだと診断が下される。


「真実の愛の実。幻の果実だと思っていたのだが、本当に存在したのか」

「このまま眠り続けると衰弱して危険だとお医者様がおっしゃってましたわ。だから、真実のキスを試してみましょう」


 戸惑う父エドワードに母メリンダが強引に頼み、婚約者であるオズワルドが呼ばれた。

 ローズマリーは黙ったまま、成り行きを見守った。


「……僕がマチルダにキスですか?」

「そうよ。あなたのキスでマチルダを起こしてちょうだい」


 屋敷に訪れたオズワルドに母メリンダがお願いする。


「真実のキス。本当に愛する者のキス」


 オズワルドがうわ言のように呟く。


「婚約者なのだから、きっと大丈夫よ」


 母メリンダの言葉に父エドワードは無言。ローズマリーはいつの間にかドレスを皺になるほど掴んでる自分に気が付き、はっと手を放す。

 顔を上げると、オズワルドが困ったような顔でローズマリーを見ていた。


「お姉様はあなたが呼ばれることをわかっていました。ご安心ください」

「あなたはそれでいいのか?」


 オズワルドの問いはローズマリーにとっては酷だった。 

 なぜそんなことを聞くのかと苛立つくらい。

 彼女は『はい』と返事をするつもりだった。けれども口から出たのは別の言葉だ。


「嫌です。あなたがお姉様の婚約者であることはわかっています。だけど嫌です」

「ローズマリー!」

「なんてことを言うのだ!」


 父エドワードと母メリンダが叱るように声を上げる。

 ローズマリー自身、己が言った言葉に驚いて口を押えた。


「それを聞けてうれしい。僕が愛しているのはローズマリーだ。マチルダにキスをすることはできない」

「オズワルド!」

「貴様!」


 父エドワードが怒りに任せて手を振り上げる。オズワルドは殴られるのを覚悟するように目を閉じた。しかし、彼が殴られることはなかった。振り上げた手を掴んだのは、執事のレナードだった。


「旦那様。オズワルド様を殴ってしまうと色々問題が起きてしまいます。怒りをおおさめください」


 レナードの冷静な声に、父エドワードは解放された手を振り下ろした。


「それではどうしたらいいの?どうしたらマチルダが目覚めるの?」


 母は泣きながら顔を覆う。


「マチルダはどうやって、その実を手に入れたんだ!」


 オズワルドへの怒りはおさまったが、父エドワードは憤慨したまま叫ぶ。


「……旦那様。私にお任せいただけますか?」

「レナード!何か方法があるのか?」


 レナードは十五年前、当時執事であったベンジャミンが連れてきた子どもだった。ベンジャミンはエドワードの父の代からこの屋敷に勤めている執事で、彼にとってはもう一人の父のような存在だった。レナードのことを深く追求せず、そのまま使用人として雇った。彼はベンジャミンに付いて学んで、執事見習いになった。三年前にベンジャミンが引退することになり、レナードは正式な執事になって今に至る。

 ベンジャミンへの信頼は、レナードへの信頼に繋がり、エドワードは期待を交えて問いかける。


「方法はただ一つです。旦那様」

「まさか」

「私はマチルダ様を愛しています。使用人としてはあるまじき想いだとはわかっております」


 レナードの言葉にエドワードは何も言わなかった。怒りすら見せなかった。

 彼はレナードが抱く思いも、マチルダの想いも理解していた。けれども、家のためにそれに気が付かない振りをし続けていた。


「私たちが悪かったのね」


 ぼそりと呟いたのは母メリンダだ。彼女も二人が想いあっているのを知っていて、目を瞑っていた。


「真実のキスは、お互いの想いが重なることでその効力を発揮するそうです。マチルダ様が私と同じ思いであれば目覚められるでしょう。その時は、私がマチルダ様を貰い受けてもいいでしょうか?」

「貰い受ける?それはこの屋敷の、マチルダの婿になるということか?」

「いいえ。私の生家にマチルダ様をお連れします。やっと掃除が終わったので」


 その後、レナードから聞かされた内容に、屋敷の全員が言葉を失った。

 前執事ベンジャミンの妹はハシュリー侯爵家の侍女ジャスミンであった。レナードの母の侯爵夫人が亡くなり、異母弟を連れた女性が後妻に入り虐待され始めたレナードを、侍女のジャスミンが密かに屋敷から連れ出した。レナードの代わりに遺体を用意して、庭の木から落ちて死亡した事にした。後妻が入り、前妻の子が死亡するなど悪い噂を呼びかねないと、ハシュリー侯爵はレナードの死亡を隠した。侍女ジャスミンはハシュリー家に勤め続け、後妻らを追い出す機会を待った。長い時を経て、引退したベンジャミンと共に証拠を集め、後妻が侯爵夫人を毒殺した罪を明らかにした。

 覚悟を決めたレナードが王宮へ訴え義母は投獄。異母弟に関しては、侯爵と血の繋がりがない事がわかり、当時幼かった事もあったので罪を問わず平民に逆戻りしたのみ。侯爵自体は手は下していなかったこと、また侯爵家存続のため、引退にとどめ、レナードに家督を譲る手はずを整えている。

 彼の計画では、マチルダの結婚後は、執事を辞め、ひっそり生家ハシュリー侯爵家に戻る予定であった。


「ハシュリー侯爵家なら、お父様たちの思惑以上でしょう?何を迷う必要がありますの?私は当主として勉強不足です。けれども一生懸命頑張っていくつもりです」


 レナードの告白後、静まり返った屋敷で、ローズマリーが最初に発言した。


「アヴァン伯爵。僕はローズマリーを一生支え続けるつもりです」


 オズワルドがローズマリーに続いてそう言う。それでも黙っている父エドワードを小突いたのはその妻のメリンダだった。


「あなた、これが最善の方法ですわ。私たちは子どもたちの気持ちを無視し続け、この結婚を進めてきました。今こそ、子どもたちの意思を尊重しましょう。レナード。いえ、ハシュリー卿。長年の無礼を謝罪いたします。そして長らく私たちに仕えていただき感謝しております」

「奥様。謝る必要はありません。この屋敷の皆さんは親切で、この屋敷で過ごせたことを嬉しく思っていますから」

「レ、ハシュリー卿。あなたの提案に感謝している。あなたと娘の気持ちを知っておきながら、私は長く知らない振りをしていた。時に苦言をいうことすらあった。許してほしい」

「それは仕方ありません。私も気持ちを伝えるつもりも、こうして皆さんに知らせるつもりもありませんでしたから」

「ハシュリー卿。お姉様のところへ行ってあげてください。お姉様はあなた様に姉を想う気持ちがなかったとしても、キスされるだけで満足だと言ってました。ですから今のあなた様の気持ちを知ればとても喜ぶと思います」

「マチルダ様はそんなことをおっしゃっていたのですね。試すようなことを。彼女らしいといえばそうですけど、ご自身の命を懸けるほどではありません」


 レナードは笑みをたたえていたが、目は笑っておらず、ローズマリーは怖いと思ってしまった。

 そして姉が目を覚ましたら、お説教がつづくであろうとも。


「それでは、眠りの姫を起こしてまいります」


 これで最後だろう、執事として礼をとった後、レナードはマチルダの部屋の扉を開けた。


 ベッドの上で横たわる愛しい女性の髪を、レナードはゆっくりと撫でる。こうして彼女に触れるのは数年ぶりだった。気持ちを押し殺して、執事として生きてきた。

 生家に戻る事はできないと思っていて、この屋敷で執事として生きていこうと決めていた。当主であるマチルダの隣で、彼女の仕事を手伝いながらともに過ごす。けれども、オズワルドとの婚約が結ばれ、彼の気持ちは変わっていく。二人がともに過ごす姿を、笑い合う二人から目をそらした。ローズマリーが二人に加わり、オズワルドと仲良くなっていくのをマチルダは止めなかった。それを隣で見ながら、レナードは暗い喜びを覚えた。彼女の、自分を見つめる瞳に以前と変わらぬ熱があることに胸をなでおろし、同時にそんな自分を嫌悪した。

 そんな矢先、生家の事で動きがあった。証拠が揃ったのだ。

レナードはマチルダとの未来を夢見て、王宮へ報告。罪を糾弾することに成功して、後妻が罰せられた。その上、自身への爵位譲渡が進んでいる。

 喜びに打ち震え、マチルダに気持ちを伝えようか迷った。

 しかし、彼は彼女より十も年上で、最近の彼女はレナードに一線を置いているようだった。結婚前でオズワルドに遠慮しているかもしれない。やはり、彼女はオズワルドが好きなのか、そんな気持ちを持て余す日々。

 悩んでいる間に、マチルダは真実の愛の実という不確かなものを口にした。


「マチルダ様。目を覚ましてください。私はもう迷わない。あなたを愛している」


 レナードは腰をかがめると、その唇に自身の唇を当てる。触れるだけのキス。だけど、事はそれだけでよかった。

 ゆっくりと彼女の瞼が開き、レナードを視界に入れると目が一気に開かれた。


「れ、レナード?」

「そうですよ。マチルダ様。私があなたに真実のキスを贈りました。もうあなたは私のものだ」


 顔を真っ赤にして、マチルダは体を起こした。


「真実の愛の実なんて、本当にとんでもないものを口にされましたね。覚悟していてくださいね」


 それから愛の語らいとは遠い、レナードの説教が長く続き、最後に再びキスを落としてから彼は部屋を出て行った。

 羞恥で慌てているマチルダに構わず、父エドワード、母メリンダ、妹ローズマリー、そして婚約者のオズワルドが部屋に入ってきた。


 真実の愛の実の存在を伏せられたまま、マチルダとオズワルドの婚約解消の話が社交界に広まる。それから、マチルダが再び婚約したこと。相手がお家騒動のあったハシュリー侯爵であること。一年の婚約期間を経てマチルダが結婚した後、ローズマリーの婚約が発表される。お相手はかつての姉の婚約者のオズワルド。口さがない噂もあったが、それはしかたないこと。


 マチルダもローズマリーも愛する人を結ばれ、幸せを手に入れた。


 真実の愛の実が本物であったのか、どうか。

 あの老婆が魔女であったのか。

 真偽は闇の中だ。

 けれども、あの老婆の言葉、『お前さんの憂いを断ってくれるだろう』は本当であった。


「本当に無茶な人ですね」

「そのおかげで、こうして私はあなたと結婚できたもの。あの実を食べてよかったわ」

「おいしかったですか?」

「ええ、とても。一口しか食べてないのになくなってしまったなんて、本当不思議な話だわ。もうちょっと食べたかった」

「やめてください。あなたが倒れた時、私の心臓は止まりそうだったのだから」

「だったら、また食べてみたいわ」

「殺す気ですか?」

「とんでもない。あなたの感情がくるくる変わるところが見てみたいの」

「……性格悪いですね」

「知らなかったの?」


 マチルダとレナードはこうして軽口を叩きながら、幸せな時を過ごす。

 けれども、あの事件からレナードはあの実に似た果実を、決してマチルダの前に出すことはなかった。


(終わり)

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伯爵令嬢は真実の愛を試したい。 ありま氷炎 @arimahien

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