3.右から二番目の星


「やぁ、シンバ」


いつものように、本を読んでいると、いつものようにやって来たピーター。


昨夜、爺やの部屋にいたピーターの事を覗いていた事はバレてないのだろうか。


「やぁ、ピーター」


いつものように挨拶を返してみた。


まるで何もなかったようにするのが、一番だと、そんな考えの僕達は、まるで大人だね。


「シンバ、朝食の時に気付いたと思うけど、今日から爺やがいろいろと出来なくなった」


「いろいろと?」


「うん、食事の支度とか、庭の花の手入れとか——」


「あぁ、だから、今日は朝食もパンだけで、今も水遣りの爺やの姿がないんだね?」


と、僕は窓の外を見る。


「うん」


「でも、どうして?」


「寝たきりになったんだ、しょうがないよね、年寄りだから」


「・・・・・・そうなんだ」


頷いたが、昨夜、爺やに、10歳の誕生日おめでとうと言っていたピーターを思い出す。


本でも読んだが、人間の寿命は平均75から90だと言う。


「爺やは何歳?」


確信にもついた質問だが、この流れで年齢を聞くのは当たり前でもある。


「さぁ?」


知らないと言う風な顔で首を傾げるピーターに、


「そっか」


と、頷くしかできない。


「それでね、シンバ、そろそろロストボーイの活動を始めようと思って」


「え!?」


「シンバはまだ本を全部読んでないんだろうけど、まぁ、ある程度の知識は持ったよね?」


「・・・・・・わからないよ、自分じゃあ、知識を持ったかどうかなんて」


「そっか、でも今の段階でIQ検査をしてもボクの方が上だと思うんだ、ボクの頭の中にはここにある本全てが入ってる。それに引き換え、シンバはまだまだ時間がかかりそうだし。でもシンバは充分、知識も持ったと思う。ロストボーイのリーダーになれる迄とはいかないだろうけど」


「・・・・・・ピーター、リーダーはキミでいいよ、最初からそのつもりだろ?」


「最初から? そんなつもりはないよ、だって、シンバが全ての本を読み終えてたら、ボクはシンバの足元にも及ばないかもしれないからね」


よく言う。


最初から、短時間で、こんな大量な本を全て読まそうなんて、無理がある。


ピーターが全部読んだと言うのだって、本当かどうか怪しいもんだ。


でも大体は読んでいるのだろうとは思うが——。


「それでね、シンバ」


「うん?」


「これからボクが話す事、キミなら理解できると思う。ここにある本の全てを知らなくても」


ピーターが何を話そうとしているのか、知るのが怖い。


「前にも言ったと思うけど、ボク達は大人に捨てられた。大人達は違う星へ移住した。その星へ行こうと思うんだ」


「・・・・・・どうやって?」


「空を飛んで」


「・・・・・・乗り物があるの?」


「そうじゃない、ロストボーイ達は飛べるんだよ」


それは能力と言うものなのだろうか、僕は怖くて聞けない。


「ボクはシンバが本を読んでいる間、ロビンやマイケルが乗馬してる間に、不思議な粉を発明したんだ」


ピーターはそう言うと、小瓶に入ったキラキラの粉を出して来た。


「このパウダーはね、体に降り掛けると、空を飛ぶ事ができる」


「ピーター、本の読み過ぎだ。じゃなかったら、キミはどうかしてる。ピーターパンなんて存在、本当に信じてるの?」


「何を言ってるんだ、シンバ? これは夢物語でもフィクションでもない。発明は列記とした知識と技術の結果だろ?」


「じゃあ、その空を飛べる粉の意味や道理を明らかにできるの?」


「できるさ。シンバはボクより知識がないから、わからないだけだよ」


「本当に?」


「本当さ」


「じゃあ、述べてよ、その発明したものの正体を」


「シンバ、キミは大人みたいだよ。どうしていちいち説明を必要とするの? 目に見えるもの全てが正しいの? 目に見えないものは信じないの? 理由がなきゃ信じられない?」


「・・・・・・物事には理由が必要だろ? 空想世界じゃないんだ、現実なんだから」


「じゃあ、現実に空が飛べるか、試してみればいい。このパウダーで」


そう言ってピーターは粉の入った小瓶を僕の目の前に差し出した。


昨夜、ピーターが、『シンバだけは、いつか苦しめて、苦しめて殺してやるから』そう言っていた事が頭の中で響く。


だからピーターを信じる方がおかしい。


「それともシンバ、怖いの?」


「・・・・・・ピーターが話したいのは空を飛べる粉を発明したって事だけ?」


話を戻そうと思った。


ピーターもそうした方がいいと思ったのか、これ以上の突っかかりはなく、差し出した小瓶も戻し、


「ううん、大人が移住した星、ネバーランドへ行くって話が本題だよ」


そう言った。


「ネバーランド。またピーターパンか」


呆れた声を出す僕に、


「偶然だと思う?」


と、本棚から一冊の本を出してきた。


それは星の地図と言う本で、天体について書かれている。


ピーターは本を開き、プラネタリウムのような星の地図を僕に見せた。


「ほら、この星。この右から二番目の星」


「・・・・・・右から二番目の星?」


「そう、この右から二番目の星がネバーランドへの道さ」


「この星って生命体があるなんて記されてなかったよ?」


「この星がネバーランドじゃないよ、ネバーランドへの道。この右から二番目の星めがけて飛んでいくんだ。ワープゾーンに入り、ネバーランドに一直線さ」


「・・・・・・ワープゾーンが?」


「そう、ここにワープゾーンがあるのを知ったのは7年前だろうね、だからこの本にはワープについては記されてない。大人達は、ワープゾーンを使ってネバーランドに来た。まるで海賊船のような大きな船でね」


「・・・・・・」


「その船の船長の名をジェームズ・フック」


「・・・・・・嘘でしょ?」


全てがピーターパンの世界だ。


「嘘じゃない」


そう言ったピーターに、僕は有り得ないと首を振る。


「信じないの? シンバは何も信じないんだね」


「・・・・・・ネバーランドに行った所でどうする訳?」


「戦うさ、フックと!」


「・・・・・・鉤腕なの?」


「アハハ、まさかぁ! シンバ、本の読みすぎだよ」


笑うピーターに、僕は真顔で、


「そう、読みすぎだよね。本のピーターパンは残酷だ、でも良かった、やっぱり本は本だよね」


そう言った。


「残酷かぁ。そうだね、白か黒か、どっちかしかないからね。フックが黒ならボクは白だ。フックが白ならボクは黒。中間はない。ボク達の世界は本の中の世界と同じモノクロームさ。だから残酷だとしても、それがボクの遣り方。本は本だよ? でもこの世界はボク達の世界。本と同じでも、それが現実。現実で、目に見えてカラーがあっても、本当はモノクロームの世界」


「残酷でもやるって事?」


「アハハ、やるって何をさ? 言っておくけど、最初に酷い事をしたのは大人達だよ?」


『シンバだけは、いつか苦しめて、苦しめて殺してやるから』そう言っただろ?


僕は何もしてないのに?


僕は大人じゃないのに?


それでも殺すの?


そんな事、聞ける筈もなく、僕は黙り込む。


ピーターにとって、僕は殺してやると思われる程、悪い奴なのだろうか。


そんなに僕は黒い存在なのだろうか。


だけど、僕だって、ピーターを白い存在だとは思っていない。


殺してやるなんて思わないが——。


本で読んだピーターパンは残酷だ。


純粋で一途な反面、善悪やけじめの見境がなく身勝手な奴だ。


決して、ピーターパンはヒーローとして描かれている訳じゃないと思う。


その敵役は海賊ジェームズ・フック船長。


頭の切れる海賊で、だけど紳士的。


ピーターパンとは正反対だ。


ピーターはピーターパンのどの部分に惹かれたんだろうか——。


「ねぇ、ピーター?」


聞いてみようかと思ったが、


「右から二番目の星はどんな所?」


別の質問にした。


「どんな所って目印の星だよ。でもね、飛んでいくとワープゾーンに入るだろ、すると右から二番目の星が凄く光り輝いて見えるんだ。とても綺麗だよ。目をつぶっちゃう程の光じゃないくて、なんていうかな、そう、スターダスト!」


なんとなく、僕はさっきから気付いていた。


ピーターの話に信憑性がないと感じるのは、まるでピーターがネバーランドから来たみたいだからだ。


さっきもそうだ。


『そう、ここにワープゾーンがあるのを知ったのは7年前だろうね、だからこの本にはワープについては記されてない。大人達は、ワープゾーンを使ってネバーランドに来た。まるで海賊船のような大きな船でね』


その台詞はおかしい。


ワープゾーンを使ってネバーランドに行ったと言うならわかる。


だけど、ネバーランドに来たと言うピーターは、ネバーランドにいたんじゃないだろうか?


それとも、ピーターパンの話と被らせ過ぎて、そう思い込んでいるのだろうか?


右から二番目の星へも飛んだ事があるような台詞だ。


「じゃあ、ネバーランドはどんな所なの?」


そう尋ねると、


「知らないよ、まだ行った事ないもん」


と、そんな風に答えるピーターが、ますますわからない。


やっぱり全ては作り話なの?


僕をからかっているの?


「ロビンとマイケルを呼んで来てよ、これからの事を話すから」


「・・・・・・ティンクは?」


「ティンクはいてもいなくてもいいよ、どうせ、よくわかってないんだろうからさ」


「子供だから?」


そう聞くと、ピーターはクスクス笑った。


子供が子供に向かって子供だと言うのは、やはり、可笑しいだろうか。


僕は笑っているピーターを無視するように、図書室となる部屋を出て、ロビンとマイケルを探す事にした。


探すと言っても、どうせ、外で乗馬の練習をしているのだろう。


飽きもせず、毎日、毎日、馬に乗っている。


その前に、爺やの部屋に行く事にした。


今まで、いろいろしてくれた事のお礼をちゃんとしておきたかったし、寝たきりなら、一人でつまんないだろうと思った。


そんな考えの僕はまだ子供なんだなと自覚する。


寝たきりになったら、動けないという事で、今迄通りにはいかないんだ。


それは、爺やの部屋を開けて、ベッドで寝ている爺やが、管で様々な機械と繋がっているのを見て、現実を知り、そう思った事だった。


昨夜までは、そんな機械は何もなくて、普通にベッドで寝ていたのに——。


シュコーシュコーと鳴る呼吸器、口と鼻に付いている管、心拍数を計るために付いている小さなモニター、布団を被っているから、わからないが、布団を捲れば、まだまだいろいろ体に付いているだろう、それだけ、ベッドの周りには、機器類が多くある。


「・・・・・・シンバか? おいで」


小刻みに揺れる手で口についている呼吸器を外し、爺やはドアの前で立っている僕に、ゆっくりと手招きしながら言った。その声はいつもの張りのある声ではなくて、震えている。


傍に行くと、爺やは、なんだか、とても小さくなったように思えた。


こんなに痩せていたっけ?


「・・・・・・シンバ、どうして、この部屋がわかったんだ?」


「え? うんと、それは——」


「やはり、昨日の夜、この部屋を覗いていたのは、お前か?」


「・・・・・・ピーターには言わないで?」


泣きそうになる僕に、爺やは少し微笑んで、


「あぁ、言わないよ」


そう答えると、僕の手を握った。


僕も、爺やの、骨と皮ばかりの手を握り締める。


白くて、血管が浮き出ていて、骨が痛くて、そんな爺やの手が、僕の手を強く握り締める。


「シンバ、能力は使うな」


「え?」


「直ぐに老いぼれになってしまう。絶対に使うな」


「・・・・・・」


何も答えない僕に、


「昨日の話を聞いていたんだろう?」


そう尋ねてきた。


「聞いたけど、よくわからなくて」


「そうか。そうだな、わかる筈もない。わかるように何から話してやろうか? シンバ、お前は、お話が好きなんだろう? ウェンディがそう言っていた——」


「ウェンディママが?」


「ウェンディは、わたしの姉だった」


「嘘!?」


「ハッキリとサタンの存在がわかったのは、もう何十年も昔なんだ。人はサタンをどうするか考えた。サタンは隕石とはまた違う。大きさは惑星クラスの星だ。いつか軌道を変える可能性もある。だが、祈るだけで、人は終われない。サタンを爆破させる計画もあった。宇宙船でサタンに辿り着いた宇宙飛行士は、こう言ったらしい。『サタンは私達が住む星とは違う。私達が知っている、どんなに硬い物質でも、サタンには敵わない』とな」


「それって、爆破できないって事?」


「そうだな、そういう事だろうな。ある学者は言ったそうだ。『高度文明を築いた星のゴミ、それがサタンだ。あれは我々よりも更に天才達が築いた人口惑星の失敗作で、それを宇宙に捨て去ったのだろう』と——」


「そんな!」


「責められないよ。誰だって、ゴミはどこかに捨てる。そうだろう?」


「だけど・・・・・・」


「それに、もしかしたら、あれは私達の大昔の人が捨てたゴミかもしれない。今になって、軌道を変え、この星に向かってきたのかもしれない。今の人間達よりも大昔の人の方がはるかに文明が栄えていたと言うからね」


「だとしたら、結局はこの星の人々の罪と罰の報いなの?」


泣きそうになる僕の頭を撫で、爺やは再び、僕の手を握って、話し出した。


「兎に角、人は、サタンをどうするか考えた。勿論、直ぐの話じゃないが、必ず衝突して来るサタンに人々は恐怖を覚えた。そんな時、能力者の研究を行っていた研究所がある薬を発明した。シンバは超能力を知っているかい?」


「本で読んだよ、テレパシー、透視、予知、念力、瞬間移動とか、超自然的な能力の事で、一般的には想像上のものとされるけど、超能力を主要な研究対象とする超心理学という学問分野も存在するって。だけど、超心理学は科学哲学の立場からは疑似科学とされるって。だから公的機関や大学などでも、殆ど、その研究はされてないって」


「だが、研究を続ける者はいた。何故なら、少なくとも、世界には超能力を語る者がいたからだ。その者達は普通の人間だ。なら、普通の人間が超能力を使えても不思議じゃないだろう?」


「・・・・・・」


「そしてある薬が発明された。それを人間の体に摂取させると、超能力が使えると言う——」


「摂取したの?」


「最初は反対者もいた。だが、体に害はないし、うまく行けば、サタンを念力で方向移動させられると言うと、全ての国が賛成し、もっと摂取しやすくする為に、更なる研究を続けられるよう、金が集まった。そして、薬は生まれた赤ん坊に予防接種をするように、必ず——」


突然、黙り込み、苦しそうに噎せるようにする爺や。


「大丈夫? 無理にたくさん話すから!」


僕は横たわっている爺やの手を強く握り、肩から腕にかけて擦ってみる。


大丈夫だと、爺やは手を強く握り返して来た。そして、また話し出す。


まるで、今、話しておかなければならないかのように——。


「だが、その薬を使っても、必ず超能力者が生まれるとは限らない。何故なら、人とは教わらないと学べない生き物だ。学んだとしても、それが必ず成果が出る訳でもない。それでも数少ない中で超能力者は現れ始めた。わたしがその一人だ」


「爺やが?」


「信じなくてもいい、聞いてほしい、シンバ。そして、シンバは能力を使っては駄目だ」


「どうして?」


「言ったろ? チカラを使うと、体が急激に老いていく。それがチカラを使う代償なのだろう。わたしはまだ、たったの10歳だ。シンバとは3つ程度しか変わらない。だが、シンバはわたしを爺やと呼ぶ。それは、わたしが爺やと呼ばれるに等しい容姿なのだろう」


「・・・・・・」


「大人達はこの代償を知らない。少ないながらに現れた超能力の強いチカラに、怯える者もいたが、必ずしも、全員がわたし達を捨てた訳じゃない。ウェンディのように、子供を育てる能力が優れていた者達がいた、その子供達に子供を任せ、大人達が、この星を出たのは、避難できる場所を手に入れようとしているだけだ。能力がある者は能力者同士の方が、能力が目覚めやすい。目覚めた者達でサタンを退かせる為にも子供達だけが残って良かったのだろう。例え、失敗したとしても、宇宙空間でさえ、能力があれば、自由に飛べるのが能力者だ。その時、大人達が避難できる場所を持っているだろう。これが誰一人、被害者が出ないようにと考えた事だ——」


「・・・・・・あの、でも、おかしくないですか? 避難できる場所を手に入れるって、大人達、全員が避難できる場所を探しに行ったの? そうじゃなくて、もしかして、避難する場所は、もうあったんでしょ? ピーターが言ってた、ネバーランド、そこがそうなんでしょ?」


そうじゃなければ、この星を全ての大人達が出て行くのはおかしい。


「・・・・・・それに宇宙空間でも飛べるって言っても、ずっと飛んでる訳にいかないでしょ?」


そう、どこかの星に移動しなければ、ずっと宇宙で彷徨うなんてできない。


だが、もし、避難できる場所があるなら、子供も一緒に連れて行けばいいのではないだろうか——?


「なかなか戻ってこないと思えば、こんな所にいたのか」


その声に、ドアの方を見ると、ピーターがいる。


「爺や、お喋りが過ぎるよ? そろそろ寝ないと、体が持たない、ほら、死神の足音が聴こえる」


そう言ったピーターに、爺やは目を丸くする。


「なんて事言うんだ!」


シンバがピーターに吠えると、


「どうして? シンバには聴こえないの? ほら、聴こえる、カツーン、カツーン、カツーン、死神が履いているハイヒールの音だ」


と、クスクス笑いながら、ふざけた事を言うピーター。


「やめろ! どうしてピーターはそうやって言っていい事と悪い事の区別がつかないの?」


「今の何がいけなかったのかなぁ?」


「傷付くだろう!」


「誰が?」


「爺やが!」


「どうして? どうして傷付くと思うの? そうか、シンバも本当は死神の足音が聴こえてるんだ。だけど本当の事を言うと爺やに悪いと思ったんだね? でも変だね、だって、本当の事なのに? どうして言っちゃ駄目なの?」


思わず、僕はピーターに殴りかかりそうになったが、爺やが、僕の手を強く握って、


「いいんだ、いいんだよ、そう、もうすぐお迎えが来るのはわかっている」


そう言った。


「もう眠るよ、たくさん話せて楽しかった。シンバ、最後に聞いておくれ。ピーター、すまない」


爺やがそう言った途端、ピーターが、


「言うな!!!!」


大声で叫んだ。だが、


「サタンは来ない」


爺やがそう言った事が、ハッキリと聞こえた——。


ピーターは、寝たままの爺やに向かって、暴れるように、拳を振り上げ続け、そのチカラは半端なくて、止める僕さえ、跳ね飛ばされた。


だが、僕は、跳ね飛ばされても、何度もピーターを止めに入る。


「やめろ、ピーター! 落ち着いてよ!」


やっとピーターが呼吸を乱しながらも、落ち着いたと思ったら、僕に振り向いて、


「もう死んでいるって言ってよ、そしたら、ボクも無駄に暴れなかったさ」


そう言った。


「え? 何が?」


訳がわからず、問う僕を尻目に、部屋を出て行くピーター。


気が付けば、暴れたピーターのせいで、爺やに付いていた管やら機器類は外れていて、心電図はピーッという音が流れていて、爺やは眠るように動かなかった・・・・・・。


「爺や? 爺や? ねぇ? まだ聞きたい事、たくさんあるんだ、起きたら、また話してくれるんだろう? ねぇ? ねぇったら!」


死についての本は読んだ。


死とは生命活動が不可逆的に止まる事、或いは止まった状態。


人間が他の生物と異なる1つの特徴は、自分自身がやがて死ぬという事を知っていると言う事だ。言い換えると未来を考える事ができる動物は人間だけであり、死を知る事さえなければ、人間は楽に生きられる。


本でそう読んだ時は、悲しい事だなんて、考えもしなかったけど——。


僕は、死神の足音が聴こえると言ったピーターが、とても許せなくて、初めて、殺意と言うものを覚えた。


涙は出ない。


只、僕はピーターに言わなきゃと思った。


何を言おうと思ったのか、ピーターの顔を見た途端、全て、頭から消えた。


図書室で、ロビンとマイケルと笑い転げるピーター。


何もなかったかのように、笑っているピーター。


爺やが死んだなんて思ってないのか?


いや、そんな筈はない、ピーター自身が『もう死んでいる』そう口にしたんだ。


「シンバ、遅かったね、待ってたんだ」


そう言って、僕を手招きしているピーターがわからない。


「聞いてよ、シンバ、マイケルが笑えるんだ」


「言っちゃ駄目だよ、ピーター! シンバは笑わないよ」


「いーや、マイケル! シンバもきっと笑うよ」


「笑わないよ、別に面白くないよ」


ピーターとマイケルがそう言いながら、コロコロ笑っている。


既にロビンは腹を抱えて、一人で大爆笑している。


無性に腹が立つのは、仲間に入れてないからじゃない。なのに、


「ほら、シンバがわからなくて、怒った顔してるよ」


なんてピーターが言うから!


「いい加減にしろよ!!!!」


らしくない大声を出してしまった。


シンとする。


「どうしたんだよ、シンバ? 何をそんなにイラついてるんだ?」


ロビンが尋ねてきても、なんて答えればいい?


爺やを殺されたんだと言っても、きっと、ロビンやマイケルには、わからない。


これは僕ではなく、ピーター自身が言うべき事だ。だから、


「ピーター、大事な話があるんじゃないの?」


そう言ったのに、


「あぁ、そうなんだ、みんなに集まってもらったのはね、ロストボーイとして、そろそろちゃんとした活動をしようと思うんだ」


爺やの話ではなく、そんな話を出してきたピーターに、僕は呆気にとられる。


爺やの心音が止まったのは、今さっきの出来事だ。


忘れた訳じゃないだろう。


「ちゃんとした活動って?」


マイケルが無邪気に聞く。


「うん、ロビンとマイケルには、世界中にいるロストボーイ達の先頭に立ってもらう」


「わぁ、オイラ達が? それってロストボーイの隊長?」


嬉しそうなマイケルに、


「バーカ! 隊長はこの俺だろ?」


と、ロビンが突っかかる。


その様子をクスクス笑いながら、ピーターは、


「じゃあ、隊長として、まず、空を飛べなきゃね」


と、あの小瓶に入った意味不明なパウダーを出してきた。


「空!? 空を飛べるの?」


目をキラキラに輝かせ、マイケルはピーターを見る。


「うん、ボクが発明したこのパウダーを体に降りかければね」


「そんな話の前に、話さなきゃならない事があるだろ、ピーター!」


僕はピーターだけじゃなく、楽しそうに笑うロビンとマイケルにも、だんだん腹が立ってきて、


「大体ロビンもマイケルも、少しは考えたらどうなんだよ?」


と、大きな声を出していた。


「空を飛ぶ? 何の為に? 必要ない! サタンは来ない!」


「・・・・・・シンバ? 今、なんて?」


聞き返すロビン。


「サタンは来ない」


「何?」


「サタンは来ない」


何度でもリピートする僕。


「何言ってんの? シンバ? サタンが来ないって、どういう事?」


マイケルが冗談だと思っているのか、半笑いしながら聞いてきた。


「わからない。爺やがそう言っていた」


「わからない? だったら、爺や呼んで、話を聞いてみたらいいよ」


「それは名案だね、マイケル。是非、そうしたい。ね、ピーター?」


意地悪でそう言ったら、ピーターは、


「爺やは死んだんだよ、シンバも知ってる癖に、どうしてそんな意地悪な事を言うの?」


と、行き成り、悲しんだ顔を見せる。


確かに意地悪で言ったが、どうして被害者のような口振りで言われるのか。


「死んだ? 爺や死んだの?」


マイケルがそう尋ねた瞬間、しまったと思った。


死んだんじゃなく、殺されたんだ!


「もう年寄りだったからね、最後はボケちゃってたかもしれない。で、爺やがサタンは来ないって言ったの? シンバに? 何の根拠があって言ったのかな? 最後の夢、かな? きっとサタンは来ないとボク達に思わせたかったのかもね、最後まで爺やは優しかったね」


「違う!!!!」


叫んだ僕に、


「違う? 何が?」


キョトンとした顔で尋ねるピーター。挙げ句、


「シンバ、人はね、永遠じゃない。いつかは死ぬ。知り合いが死ぬ事は悲しいけど、いつまでも悲しんでいたら、爺やは天に召されない。爺やはボク達の為に精一杯生きてくれたよ、天に召される事をボク達は心から願わなければならないよね」


と、悟そうとして来る。


「そうか、爺や、死んだんだ、もう年寄りだったしな」


と、ロビンは当たり前のように頷く。


「まるで本の世界だ」


僕がそう呟くと、


「え? 何て言ったの?」


と、3人共、声を揃えて、僕を見た。


「まるで本の世界みたいだって言ったんだ。死について知識があっても、経験がないから、悲しいと言う感情さえ持たない。キミ達は感情のない文字だけの世界で生きている登場人物みたいだよ! 特にピーターは酷い。僕と同じ目の前で爺やの呼吸が止まるのを感じてるのに、どうして? どうしてそんなに普通でいられる訳? まるでピーターパンそのものだな」


僕が怒るという事は、とても珍しい事で、ロビンもマイケルも、何を怒っているのかわからないのもあるせいか、ぽかーんとした表情で、僕を見ていた。


わからないならば、わからせる迄だと、


「ピーター、ウェンディママも死んだんだろ?」


そう言った。


するとロビンもマイケルも、急に顔色を変え、


「え? 何? どういう事? ウェンディママ、この屋敷のどこかにいるんじゃないの?」


と、ピーターに詰め寄って行く。


僕は、少し冷静にならなければならないと思い、図書室となる、その部屋を出た。


ウェンディママは本当に死んでいるのだろうか。


確信も証拠も根拠もないが、ハッタリではない。


爺やの話を聞いて、ウェンディママはとっくに亡くなっているんだと感じたんだ——。


庭に出て、薔薇園を歩く。


薔薇の香りが今日も変わらず甘く匂う——。


白いベンチで、足をゆらゆらさせながら座って、本を開いて見ているティンク。


「ティンク」


声をかけると、本から目を離し、こっちを見たが、また本に目を戻した。


「その本、どうしたの? 図書室から持ち出したの?」


そう聞いても答えは返って来ない。


どうしてティンクは喋れないのかな。


僕はティンクの隣に腰を下ろした。


「ねぇ、ティンク、この薔薇園はきっと枯れるよ。もう爺やがいないから」


薔薇の手入れをしていた爺やを思い出す。


「ご飯もね、もう美味しい料理は並ばないよ」


煮込み料理が得意だった爺やを思い出す。


「車もね、乗れない。ブレーキの所に僕達は足がちゃんと届かないから、運転できないでしょ?」


運転の荒い爺やは、必ず車のボディをどこかにぶつけていたのを思い出す。


「高いところの物を取るのも、爺やに頼めないね」


椅子を使って自分で取れと怒っていた爺やを思い出す。


実際、余りコミュニケーションはなかったが、何故だろうか、たくさんのいろんな爺やが僕の中に存在しているんだ。


一緒に生活をしていただけあって、爺やを目にしない日はなかった。


今になって、突然、涙が溢れてきた。


「どうして、いろんな話を教えてくれる前に、名前を教えてくれなかったのかなぁ」


ピーターがジョンと呼んでいたのが、爺やの名前だろうか。


爺や自身に聞けば良かった。


名前さえ、聞かないまま、もう二度と会えない。


だけど最後の最後まで、僕に大事な事を教えてくれた。


知識は持ってるだけじゃ意味がない。


経験しなければ、悲しいと言う事さえ、わからないんだ——。


だけど経験してからでは、全てが遅過ぎる。


爺やが死んでから悲しみを知るなんて、僕には優しさがないんだ。


僕だけじゃない、みんな、優しさがない。


もしも爺やが言ったように、サタンはこの星のゴミだったとしても、他の星のゴミだったとしても、誰かの事を考えたら、簡単に捨てたりできないゴミなんだ。


僕達は自分に降りかかる不幸でしか、悲しみを知る事ができない。


どうしてだろう、誰も悲しませたくないのに、優しさなんて、誰も持っていない——。


それでも、誰かの優しさに触れたいんだ。


僕達は誰かの優しさの犠牲の元、笑っているのかもしれない。


晴れている空が青くて、涙が余計に溢れ出る。


ティンクは泣いている僕を不思議そうに見つめた。


ティンクには爺やが死んだ事を、どう教えればいいんだろうか。


本には、死んだ者の事を『星になった』と、表現されるシーンがあった。


それが一番いい伝え方なのだろうか——。


ティンクはベンチの上に立ち、僕の頭をイイコイイコと撫で始めた。


そして、持っている本を僕に差し出す。


それは星の地図だ。


「・・・・・・これ、勝手に持って来て、ピーターが怒るかもしれないよ?」


僕がそう言うと、ティンクはニッコリ笑い、本を開いて、僕に見せた。


そして星を指差して、僕を見る。


泣かないでと言う風に僕の手を握り締めて。


「・・・・・・爺やは星になったんだって言いたいの?」


僕がそう言うと、ティンクはコクンと頷いた。


ティンクに、死んだ者の事を星になったと言うような本を一冊でも読んだだろうか?


いや、そんな覚えはない。


だったら、どうしてティンクは、知っているんだろうか?


誰かが死んだ時に、誰かにそう言われたんだろうか?


誰に——?


ピーターに?


ティンクは、本をペラペラと捲り始める。


僕は手の甲で涙を拭き、一緒に本を見る。


「ティンク、ほら、これが右から二番目の星なんだって。ネバーランドへの道だって」


ティンクは、そう言った僕を見た。


「ティンクはネバーランドに行きたい?」


左右に首を振るティンク。


「どうして? ティンクのママが先にそこに行ってるんだよ? ティンクを待ってるよ?」


でも、ティンクは首を左右に振る。


「ティンク、ママに会いたくないの?」


また首を振る。


「だったら、ネバーランドに行きたいだろう?」


でも行きたくないと首を振る。


僕は溜息を吐いて、


「わからないなぁ。だったら、ティンクはママに会いたいけど、ネバーランドには行きたくないって事?」


意味不明だが、そういう事になるかなと、そう尋ねてみる。


ティンクは、コクンと頷く。


「え? ネバーランドには行きたくないの? でもママに会いたいのに?」


ティンクは頷く。


「じゃあ、ママがこっちへ来ればいいと思ってるの?」


そう尋ねると、ティンクは黙り込んで俯いた。


「ティンク?」


覗き込むと、ティンクはしわくちゃな顔を真っ赤にして、涙を堪えている。


「どうしたの!? ごめん、僕のせい?」


よく考えたら、ティンクはまだ小さいし、ママの事をちゃんと覚えてないかもしれない。


それを、僕は無理矢理、聞きだそうとしたんだ。


誰だって、知らない場所になんか行きたくないし、でもママには会いたいと思うのは普通で、それなのに、僕は、わからないなぁってティンクの気持ちも考えずに簡単に言いすぎた。


挙げ句、こんなに小さな女の子が、声も出さずに涙を堪えている。


泣いていいんだよって、泣かせておいて、言える台詞でもない。


オロオロしていると、ティンクは突然、走り出した。


「ティンク?」


ビックリして、追おうとしたら、ティンクは、ピーターを見つけ走り出し、ピーターに抱きついたのだった。僕はピーターを目の前にゴクリと唾を呑み込む。


「・・・・・・イライラしてるからって、ティンクを泣かすな」


そう言われ、僕は違うと言おうとしたが、何も言えず、俯いた。


ピーターはティンクを抱き上げる。


ティンクはピーターの首に手を回し、クスンクスンと泣いている音を立てる。


「シンバの言う通り、ウェンディママはとっくに死んでる」


ピーターがそう言ったので、僕は顔を上げた。


「ロビンにもマイケルにも話をして、納得してもらったよ」


「納得?」


「するしかないだろ? 人は死ぬもんだ」


「だからって簡単に納得なんてできるもんじゃない!」


「じゃあ、どうしろって? 死んだ者を生き返させる事なんてできないのに?」


「・・・・・・ティンクのいる前でする話じゃない」


「ティンクはシンバより死ぬ事を理解してるよ」


「え?」


「みんな、星になるんだ。キラキラの星になって、ボク達を見てくれている」


ピーターが教えたんだ。


ティンクに、死んだら星になるんだって、ピーターが教えたんだ・・・・・・。


「右から二番目の星に飛んだら、死んだ者達が降り注いでくれるみたいに、ボク達をネバーランドへ導いてくれるよ。言ったろ、スターダストみたいに綺麗なんだって」


「・・・・・・ピーターの知り合いが死んだの? だからティンクにそう教えたの?」


「死んだ? お前にはそんな事言われたくない」


「え?」


「殺されたんだよ」


「殺された? 誰が? 誰に?」


そう聞いた僕に、ピーターは今迄、見せた事もない表情で僕を見る。


無表情なのに、ピーターに恐怖を感じている僕は手が震えていた。


黙って背を向けるピーター。


ティンクが、泣き疲れたのか、ピーターの肩に顔を乗せ、寝ている。


「待って、ピーター! 僕は何もしていない!」


そう叫んだけど、ピーターは待ってくれなかった。


本の中のピーターパンは、子供達をネバーランドに連れて行く。


二つ目の角を曲がって、朝まで真っ直ぐ、右から二番目の星に向かう。


そんな御伽噺を僕が納得したら、ピーター、キミは振り向いてくれるの?


キミは全てを話してくれるの——?


能力は使ってはいけないと言った爺やの最初で最後の忠告が頭から離れない。


だけど、右から二番目の星に飛ばなければ、僕はどうなるの?


ピーターが怖い・・・・・・。

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