2.逃げる影


月日は流れ、僕は今日も本を読む。


本のジャンルはいろいろある。


御伽噺、エッセイ、実用書、古典、ノンフィクション、聖書、その他様々。


ウェンディママが話してくれた内容が入っているピーターパンの話も見つけた。


ピーターパンは乳母車から落ちた所を乳母に見つけられず、迷子となった事から、歳をとらなくなり、海賊フック船長やインディアンのタイガーリリーが住む異世界ネバーランドに移り住み、妖精ティンカーベルと共に冒険の日々を送る永遠の少年である。


ネバーランドにはピーターと同じように親とはぐれ歳をとらなくなった子供達がいる。


その子供達をロストボーイと言い、ピーターは彼等のリーダー的な存在である。


勿論、ピーターパンは架空の少年だ。


だけど、何故、ピーターは、この話に拘るのだろう?


架空ではなく、自分がピーターパンになって現実にするつもりだろうか?


永遠に少年のままなんて、無理なのに?


だって、いつかはみんな大人になる——。


チリンチリンチリーン・・・・・・


鈴の音が聞こえ、見ると、ティンクが開けっぱなしのドアの前で立っている。


「ティンク、おいで」


僕が手を広げると、ティンクはニッコリ笑い、駆けて来た。


「今日は何を読んであげようか?」


只、本を読むだけより、誰かに読んであげる事は、結構楽しい。


僕は、たまにティンクに本を読んであげる。


「これ? これは難しそうだよ?」


ティンクが持って来た本を開いて見る。


本を読み始めた頃は、わからない字ばかりで、調べる事だけで日が暮れていたけど、今は、スラスラと難しい字も理解できて読める。


文字は不思議だ。


これは言葉を伝達し、記録する為に線や点を使って、形作られた記号の事なんだ。


元はピクトグラムという絵のような文字で、それが転用され、変形し、簡略化され、文字となったようだ。


記録は文字という手段の中で、他にも様々な方法で残される。


表意文字、点字・指文字、楽譜・数式・絵画、音声記号、文字コードなどがある。


表意文字とは、ひとつひとつの文字が意味を表すが、必ずしも言語の発音を表してはいない文字の体系。数学は代表的な意表文字である。


点字・指文字とは、多くの場合、線や点で表現されるが、他の表現による文字もあり、点字は字母、または文字を点の配列で、指文字は字母を指、手、腕の形で表すもの。


楽譜・数式・絵画は、ある意味を表すが、それを通常の言語に翻訳する事ができない。


音声記号は音声を表す事ができるが、意味を表す事がない。


文字コードとは、字母や書記素のひとつひとつを符号に重複なく対応させたもの。


記録されたものの記号、つまり、文字は、それだけでは理解できない。


各種の文字体系を分類しなければならない。


類型的な分類。


文字体系の系統による分類。


表記する言語による分類。


使われた時代や使われる地域による分類。


つまり、僕にとって、本を読むと言う事は難しい記号を解く事から始まる。


おかげで、今は数ヶ国の言葉の理解ができるようになった。


言葉を知る事で、知った事は、世界は広いと言う事。


文字の数だけ人がいて、言葉の数だけ国があり、言語の数だけ世界はある。


こんな広い広い、果てもない世界で、大人がひとりもいないなんて、有り得るのだろうか?


「それは『はてしない物語』・・・・・・旧地名ドイツの作家、ミヒャエル・エンデによるファンタジーだ。ネバーエンディングストーリーとも言うね」


そう言って、ピーターは僕とティンクの傍に来た。


「覚えてるの? これだけ多くの本を読んでて?」


「ボクは一度読んだ本は二度と忘れないよ、なんなら内容も教えようか? 現実世界に住む少年は古本屋の店主から——」


「まだ最初の方しか読んでないのに内容言ったら駄目だよ! ティンクが楽しみに聞いてるんだから!」


慌てて、僕がそう言うと、ピーターはクスクス笑って、


「わかった、言わないよ」


と、頷いた。


「今日もロビンとマイケルは乗馬の練習?」


「あの2人、あっという間に、馬と心を通い合わせたよ、ま、当たり前か、ロストボーイなんだから」


「ピーター、ロストボーイは他に誰がいるの?」


「おかしな事を聞くね、シンバは。ロストボーイは、この世界にいる子供達、全員だよ」


「でも、子供って、どこからどこまでが子供ってラインに分けるの? いつになったら大人?」


「・・・・・・それは——」


何か言いたそうだが、ピーターは、その後、黙り込んだ。


「僕達はいつか大人になるでしょ? サタンが来るって事になって、世界が崩壊して、人々がカオス時代を築いたでしょ? その頃、もう大人達は違う星に移住してたとしても、それから何年経ったかな? 世界に秩序もなかったから、時間も月日も関係なかった。只、太陽が昇り、沈んで、月が現れるのを見ていた。兎に角、僕はウェンディママが、誕生日を祝ってくれて、その時に、5歳の誕生日おめでとうとか、言ってくれたから、あぁ、僕は5歳なんだとか、6歳なんだとか、7歳なんだって思った。だとしたら、もう少なくとも、7年は月日が流れてるって事だよね? 当時、今の僕と同じ7歳だったら、14歳だ。14歳だったら、21歳。年齢だけなら、大人の部類に入ると思わない? そう考えると、この世界に、大人はいるって事になるよね」


「いないよ。大人はいない」


何故、そんなにキッパリ言えるのだろう?


「でもさ、ピーター?」


「シンバはまだ全ての本を読んでないんだね、肝心な本は読んでないみたいだ。ネバーエンディングストーリーもいいけど、シンバに必要な本は他にもあると思うよ」


ピーターはそう言うと、この図書室から出て行く。


僕を見上げているティンクに、目を落とすと、ティンクは俯いて、鈴を鳴らしながら、ピーターを追うように、部屋から出て行った。


「・・・・・・ティンクも何か知ってるのかな——」


だとしても、ティンクは喋れない。


全ての本を読めば、わかる事なのだろうか?


今日も日が沈んでいく、そして明日も日が昇る。


時間はどれだけ残されているのだろうか?


考えすぎたせいか、その夜は眠れなかった。


用意された部屋で、ロビンもマイケルも一緒に寝ている。


ベッドが3つ並び、ボクは窓側のベッドで寝ている。


寝返りをうった時、チリンチリンと鈴の音が聴こえて来た気がした。


「ティンク?」


と、起き上がり、ドアの方を見るが、ドアは閉まっている。


ボクは寝相の悪いロビンとマイケルを余所目に、ドアを開け、ローカに出てみた。


シンと静まり返った夜のローカは思いの他、暗くて、恐怖心が湧いた。


「ティンク?」


鈴の音も消え、ティンクの姿もない。


この前読んだ本で怖い内容のものがあったのを思い出した。


体に悪寒が走り、ブルッと震わせると、ボクはドアを閉め、ベッドに潜り込んだ。


なのに、潜り込んだ瞬間、またチリンチリンと鈴の音がするから、毛布をかぶったまま起き上がり、閉まったドアを見る。


「・・・・・・ティンク?」


毛布をかぶったまま、そっとベッドを出て、再びドアを開ける。


シンと静まるローカに、左右を見る事もなく、バタンとドアを閉めた。


そして、部屋にある小さな棚の引き出しの中をゴソゴソと漁り、非常用の蝋燭とマッチを見つける。電気を点けたら、ロビンやマイケルだけじゃなく、ピーターや爺やまで起きてきて、大騒ぎになりそうだと考え、蝋燭の頼りない灯りで、ローカに光を与える事にした。


闇は怖いが、光さえあれば怖くないと思ったのが間違いか、蝋燭の灯りは恐怖心を増した。


毛布を頭から被り、蝋燭を持ち、ローカに出て、


「ティンク?」


小さい声で、呼んでみる。


シーンと静まるローカは奥の方が更に静けさを増している。


「ティンク? どこ? 一緒に寝室に戻ろう? 出ておいで?」


きっと眠れないティンクは僕が寝ている部屋を探して歩き回っているのかもしれない。


今頃、暗いローカで怖くなって、どこかで小さくなっているかもしれない。


そんな事を考えると、ベッドに潜り込んで耳を塞ぐなんて事はできなかった。


確かに鈴の音が聴こえたのだから——。


それにしても屋敷は広すぎて、下手したら迷子になりそうだ。


余計にティンクの事が心配になる。


ゆらゆら揺れる蝋燭の光に、自分の影も揺れる。


やがて、ローカの壁に小さな灯りが距離を置いて点いている場所に着く。


——声がする? ピーターの声だ。


扉がちょっとだけ開いていて、そこから、やはり頼りない光が漏れている。


そっと覗くと、ピーターが横になっている爺やに、何か話している。


「ジョン、キミの誕生日が来たよ、おめでとう」


ジョンとは爺やの名前だろうか。


「10歳になったね」


——10歳!?


思わず声をあげそうになり、自分の口を自分で塞ぐ。


どう見ても爺やは、爺やと言われるだけあって、オジイチャンに見える。


10歳の子供ではない。


「ねぇ、ジョン? キミは生まれた時の記憶ってある? まだこの世界に大人達がいたんだよね? キミは生まれたばかりで、何も知らなかったのに、身勝手な大人達はキミに必要のないチカラを与えた。自分達が助かる為に能力者を創り上げ、回避不可能な隕石を能力で止めようとした。そんな変わったインチキ染みた研究も、隕石を回避できるならと、あらゆる国々から金が積まれ、研究は成果をあげた。その結果がロストボーイ達なんだよね?」


——これは爺やとピーターとの想い出?


——それとも作り話?


「だけど、隕石の方向を変えるより、もっと確実な回避方法が見つかった。それはこの星に似た星を見つけた事。そこに移住する事。大きな隕石を動かすだけのチカラを必要とする為、大勢の能力者が創りだされたのに、無意味に終わった」


——能力者?


——超能力を持った人間がいるって本があったけど、あれはフィクションだった。


——フィクションがノンフィクションになる事もあるの?


「大人達はサタンから回避できる事がわかると、今度はサタンよりも能力のある人間が怖くなったんだよ。だから、みんな捨てられたんだ。ロストボーイ達は勝手に能力を持たされ、勝手に怯えられて、勝手に置き去りにされた。そうだろう? そうなんだよ、ジョン、今更、首を振るなよ」


——置き去りにされたって、僕達の事?


「ジョン、アイツ等は許してはいけない。ジョンもそう思うだろう? その姿に、何度も泣いただろう? 急激に老いる事、それが能力を身につけた代償だったんだよね。ジョン、キミにこの話を聞いた時、ボクは——」


言葉に詰まったのか、突然、無言になるピーターに、僕は再び、ソッと覗き込んで見ると、ピーターの肩は小さく揺れて、震えているようだった。


泣いているのだろうか。


「大丈夫さ、ジョン、シンバを手に入れたんだ」


——僕?


「アイツだけは! シンバだけは、いつか苦しめて、苦しめて殺してやるから」


その台詞に思わず突拍子もない行動をとってしまい、壁にガンッと頭をぶつけてしまった。


その音にピーターが気付かない訳がないと、僕はその場から逃げ出した。


走り出す僕の影に向かって、


「誰!?」


と、ドアが開いて、ピーターが叫んだ声が聞こえた。


消えてしまった蝋燭の火。


だが、壁についている小さな灯りが、シンバの逃げる影を映し出す。


毛布はどこかへ落として来てしまった。


息が切れる程、一気に走り、振り向いて見るが、追っては来なさそうだ。


「ハァ、ハァ、ハァ・・・・・・なんだったんだ、今の話——」


今の話が真実だとしても、幾つか疑問が浮かぶ。


話し手はピーターだった。


なのに、どうして『ボク達』ではなく『ロストボーイ達』と、言ったのか。


前にピーターは『ボクはね、ロストボーイと言うチームを作って、大人達が移住した星へ行こうと思う。ボク達を置いて、サタンから逃げた大人達を、今度はボク達ロストボーイが支配するんだ、逃がしやしない、一人もね』そう言っていた事があった。


置いて行かれた事への復讐心だと思った。


でも本当に隕石の方向を動かせる程のチカラがあるとしたら、何故、わざわざ、大人達が移住した星へ行くのだろう?


隕石の方向を変えればいいだけなのに?


復讐心からならば、隕石を大人達が移住した星へ向かわせればいいじゃないか?


なのに、何故、わざわざ大人達が移住した星へ行くんだろう?


この疑問がある限り、真実だとしても、信憑性に欠ける。


嫌な汗が頬を伝った——。


今、思い過ごしか、目の前を小さな影が過ぎった気がした。


ギクッとして、息を呑むが、鈴の音が聴こえた気がした。


「ティンク?」


その小さな影は変なオブジェの奥に隠れたような気がした。


それはそれは小さな影で、鈴の音が聴こえなければ、只の風にも思えたかもしれない。


だって、全て、気がした程度の事だから。


「ティンク? ティンクなの? 逃げなくても大丈夫、僕だよ? ティンク?」


ソッと近付いて、オブジェの奥を覗くと、ティンクが小さく座り込んで、僕を見上げている。


「どうしたの? トイレに起きた後、部屋がわからなくなったとか?」


と、ティンクに手を伸ばす。


ティンクは首を振りながら、僕の手を握った。


その手が温かくて、普通に、ごく普通に、当たり前の事がホッとして、不安が失せた。


「いい子だね、一緒に寝ようか?」


と、僕がティンクの頭を撫でると、コクンと頷いてくれた。


僕は蝋燭をその場に置いて、小さなティンクを抱っこした。


抱き上げて、改めてわかる、ティンクの小ささ。


軽くて、逃げる影が小さすぎて見失うのも納得できる。


ティンクは何歳だろうか、まだ2歳か3歳か——。


こんなにも聞き分けのいいティンクは、僕達よりも、うんと大人に思える。


「ねぇ、ティンク? ティンクは僕の事が好き?」


コクンと頷くティンクに、僕はニッコリ微笑んで、


「僕もティンクが好きだよ、だから、ずっと傍にいてあげるね」


ズルイ言い方をした。


本当はピーターが怖くて、でもピーターのお気に入りのティンクが傍にいれば大丈夫だと思った事からの台詞だ。


だが、傍にいてねと言ったら、その臆病な自分が見透かされそうで、強がって、傍にいてあげるねと言った。


コクンと頷くティンクに、頷き返せず、只、微笑む事しかできない僕を、どう思っただろうか。


だけど、今、ティンクに救われている事は確かな事で、僕は忘れないだろう。


この小さくても、温かく、優しいティンクの存在を、信じている。

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