8.共犯者


夕方のカフェは、昼に比べると忙しい訳ではない。


「神場、レジ!」


「はい!」


まだ一度もコーヒーを淹れる事もなく、デザインカプチーノの練習さえしていない。


朝から晩まで雑用ばかりで、嫌になる。


「980円です、1080円ですね、100円のお返しです、ありがとうございました」


客に釣りを渡し、深く頭を下げ、客が店を出て行くと同時に、客が入って来た。


「いらっしゃいませ!」


再び、頭を下げ、そして、


「何名様でしょうか?」


そう尋ねると、


「3名」


と、3本の指をあげる女に、俺は驚く。


「やだ、神場君じゃない! そうか、カフェってここだったんだ?」


そう言った女のまわりにいる2人の女が、


「なによぉ、華月、彼氏?」


と、キャアキャア騒ぐ。


「彼氏じゃなくて、共犯者」


そう言って笑う三上に、シャレにならないだろうと、冷や汗が出る。


「お客様、3名様ですね、こちらへどうぞ」


テンパッてしまい、禁煙席か喫煙席か聞くのを忘れ、勝手な判断で喫煙席へ案内してしまった。


水とお絞りを持って行こうとして、


「神場、トイレ掃除行って来い」


先輩にそう言われ、接客を交代する。


トイレに入り、動悸が激しいのを落ち着かせる為、顔を洗面所で洗う。


「元気そうね」


その声に、顔を上げ、鏡を見ると、背後に三上の姿——。


「き、き、キミも元気そうで!」


大畑並にドモる俺に、クスクス笑う三上。


「あれからどうしてるかなって思ってたんだ」


あれから——


忘れられないが、忘れようとして、でも忘れちゃいけなくて、いつもいつも俺の中で寄せては返す波のように存在している、あの日の事——。


治らない傷が、延々とズキズキ痛みを訴えるようで、でも誰にも言えない出来事。


「葉山さんや大畑君、行方不明の筈だけど、特にニュースにもなってないね」


「あ、あぁ、そうだな」


大人になろうと言う人間の一人や二人、行方不明になった所で、大したニュースにはならない。


世の中、もっと恐ろしい事件で一杯だ。


勿論、表沙汰に出来る事件だけだろうが、裏ではもっと恐ろしい事ばかりだろう。


もしかしたら、大畑も葉山も、ニュースにならないのは、昔、実験体だった事で、死んだ事も、国が世間には未発表にしているだけかもしれない。


だけど、大畑や葉山の家族や友人、それから恋人は未だ帰らない二人を、まだ待ち続け、悲しんでいるかもしれない——。


俺達は、永遠に、そういう事を考えて生きていかなければならないんだな・・・・・・。


「日野君には会ったりしてる?」


「いや、どこに住んでるのか知らないし」


「そっか」


「三上は、大学、楽しい?」


俺は振り向いて、鏡ごしではなく、生の三上を見て聞いた。


「うん、楽しい。うまく華月になれてると思う」


「・・・・・・あれ? そういえば、なんで日野? 帆村の事は聞かないの?」


「実はね、今、帆村君と付き合ってるの」


「え!?」


「だから帆村君は会ってるんだけど、日野君とは会ってないから」


「そ、そ、そうなんだ」


動揺を隠し切れず、また大畑並にドモッてしまった。


「神場君とも全然会えないままで、どうしてるだろう?って思ってたんだ。会えて嬉しいよ。元気そうでなによりだし。そうだ、今度、帆村君のラーメン一緒に食べに行かない?」


「あ、あぁ、そうだな、うん、なかなか仕事が休みがとれないんだけど、休みがとれたら、是非!」


いつ帆村とはそういう関係になったんだろう?


なんか複雑な気分だ。


「私ね、やりたい事、見つかったんだ」


「やりたい事?」


そう言えば、『みんな働くのね、私は大学へ行くの。やりたい事とか、わからなくて。とりあえず大学へ行って、楽しく過ごしたい! 目一杯、楽しみたい』そんな事を言っていたっけ——?


今、思えば、その台詞も、ずっと実験体だったのだから、生きる楽しみを味わいたいと思うのは当然だろう。


「私ね、ボランティア始めたの、今、一緒にコーヒー飲みに来てる友達もね、一緒にボラしてるの。犬や猫の里親を探したり、動物愛護のポスターを作ったり!」


それが、やりたい事、か——。


「・・・・・・それで動物実験に反対したりしてるの?」


そう聞いた俺に、三上はコクンと頷き、


「やってる事は小さいけど、頑張ってみる。何も変わらないかもしれないけど、私が辛かった思いを誰にも感じさせたくない。それが動物でも、同じだと思うから」


そう言った。


「でもね、捨てられた犬や猫の飼い主を見つけるまで世話してたら、私が飼い主になってあげたくなっちゃって、今、家に猫が3匹もいるんだよ、庭には犬が2匹!」


クスクス笑いながら、そう言って、三上は、ハンドバックの中からスマホを取り出し、猫の画像と犬の画像を俺に見せる。


「大きな家だから、もう少し増えてもいいかな・・・・・・なんてね!」


「三上は・・・・・・本当に優しいな——」


「本当にそう思ってる?」


「思ってるよ」


「私はどう足掻いても人殺しだよ。何も考えずに自分の為だけに人を殺せた。命で実験を繰り返す研究員達と同じなのよ。それが嫌で、自首しようかと何度も思って、何度も警察の前をウロウロしちゃった」


「・・・・・・そうなの? でも自首できなかった?」


自首されたら、俺も共犯者と言う事で、捕まるのだろうか。


直ぐに自分の事の心配が頭に浮かぶ辺り、俺も嫌な人間で、自分の為だけに生きている。


「警察の前をウロウロしてる所を帆村君に見つかっちゃった」


ベッと舌を出して、まるで失敗した子供の顔のような表情を見せる三上。


「たまたまね、警察に落し物を引き取りに来た帆村君とバッタリ再会してね、最初は自首なんかするなって言う説得をされて、大学の前に待ち伏せされたりして、私が警察に行かないように見張ってる感じだったんだけど、何度も会ってる内に、なんかね——」


「そっか」


「それに帆村君って、口は悪いんだけど、実は凄く優しいんだよね」


それは、なんとなく、俺も思っていた。


ぶっきらぼうで、メンドクサがりで、だけど、何気に周りを見てるし、あの時、罪を隠そうと、本気で、一番最初に言い出したのも帆村だった——。


それは帆村なりの三上を助ける為の手段だ。


俺も、帆村同様、罪を隠す手段しかないと思っていた。いや、今も思っている。


隠し通す事は苦しいが、帆村は、三上と一緒に背負う事を決めたんだろう。


三上が幸せそうな笑顔を見せるので、俺は良かったなぁと心から思っている。


あぁ、やっぱり彼女ほしいな、俺——。


「おーい、神場! 厨房の洗い物、やってないじゃないか!」


先輩の怒鳴り声が聞こえ、しまったと思い、


「ごめん、また今度ゆっくり!」


と、三上に手を上げ、トイレを飛び出す俺の背に、


「神場君! ライン教えてよ!」


三上が叫んだ。


俺は振り向いて、暫し、沈黙——。


「番号も。あ、まさか、まだスマホ持ってないとか?」


不安げにそう聞いた三上に、思わず、プッと吹き出してしまった。


社会人になってまで、スマホ持ってないって、そりゃちょっとないだろう。


「いや、持ってる。持ってるけど、今はロッカーの中に置いてあるから、どうしようかなって思っただけ。自分の番号って覚えてなくて。とりあえず、後で紙に書いて、会計の時にでも渡すよ」


そう言って、俺は厨房へ急いだ。


三上との再会は、良くも悪くも俺に、いろんな気持ちを与え、マヌケにも走ってはいけないと言う注意さえ、頭から飛んでいて、熱い沸かし立ての湯を持っていた店員とぶつかり、俺は左腕に熱湯を浴びてしまった。


それは消毒用に使う熱湯で、火傷は免れないだろう。


直ぐに袖を捲り上げ、冷水につけたが、店長命令で病院に行く事になった。


大袈裟にも救急車を呼ばれ、だが、どこの病院も急患で一杯らしく、ふれあい病院なら受け入れてくれると言う事で、俺を乗せた救急車はかなり遠いが、都心へと向かう。


ふれあい病院——。


こんな病院に来たくはなかったが、救急車が俺を運んだのだからしょうがない・・・・・・。


表向きは普通の病院だから、大丈夫だろう——。


心配するような事は何もない筈——。


内科、外科、消化器科、循環器科、呼吸器科、神経内科、脳神経外科、整形外科、泌尿器科、皮膚科、麻酔科、放射線科、精神科、耳鼻咽喉科、眼科、小児科、婦人科、リハビリステーション科・・・・・・


急患として待っている間、案内板を見ていたが、いろんな科があって、見てるだけで頭痛がする。


ふと、白衣の男と目が合い、一度、目を反らしたが、俺は考えて、また男を見て、でもわからなくて・・・・・・


白衣の男は近づいてきて、笑顔で、


「神場君じゃないか」


そう言った。だが、俺は誰かわからなくて、いや、わかっているんだけど、わからなくて、眉間に皺を寄せたまま、黙っていると、


「僕だよ、僕」


そう言われても。只、もしかしたら・・・・・・


「・・・・・・日野?」


「アハハ、メガネないから?」


嘘みたいだ、まるで別人に見える。


似ていても、人間って雰囲気が違うと、別人だ。


「神場君は、こんな所でどうしたの?」


「ど、ど、どうしたのって!」


今日、何度くらい大畑並のドモり具合をするのだろう、俺。


日野と気付くまで、時間がかかり過ぎて、気付いてからも驚きを隠せなくて。


「腕、怪我してるの?」


「火傷しちゃって」


「そう、じゃあ、皮膚科だ? 酷いの? あんまり酷いと抗生物質うたなきゃね、救急外来にいるって事は急患で?」


「・・・・・・ねぇ? 医者なの? 日野って医者なの!?」


「まさかぁ、僕は研究員だよ」


そう言った日野の手の中にカプセルがあり、白い蝶が生け捕られている。


狭いカプセルの中、舞えずに、苦しんでいるような蝶。


俺は目線を蝶から日野へ向ける。


ニッコリ笑って、俺を見る、日野の、その笑顔がわからない。


「け、研究員って?」


「まず診察を受けてきなよ、その後、屋上で待ってるから」


俺はとりあえず、名前が呼ばれるのを待ち、その後、治療を受け、急いで屋上へと走った。


火傷は跡が残るかもしれないらしいが、そんな事よりも、日野の話が聞きたくて、治療中も痛さなんて感じず、俺は早く屋上へと向かいたかった。


夕焼け空の下、風を感じている日野の姿を見つける。


日野は蝶を逃がしたのだろう、今、空高く舞い上がる白い蝶を見上げている。


いつまでも、いつまでも、空を見上げている日野。


駆け寄ると、俺に気付いて、振り向いた。


「早かったね」


と、にこやかな笑顔を見せ、最初に会った時はかけてなかったメガネをクイッと上げた。


メガネの日野に、やっぱり日野だと頷ける。


「あれは何て言う蝶なの? あの場所にも沢山いたよね?」


「興味あるの? この蝶は日本の気候では生きていけないんだ、特にもうすぐ梅雨だしね」


「・・・・・・じゃあ、あの場所に沢山いたのは温室から逃げ出したの?」


俺の問いに、日野はフッと笑った。


「日野、研究員って、いつから?」


「前からだよ」


「前って?」


「騙しててごめんね、僕は日野 陽太と言う人物じゃないんだ」


「え?」


「アハッ、実はメガネも普段はかけてない。神場君に会えたから、今、わざわざデスクに戻って、引き出しの奥から出して来た。やっぱりメガネの僕の方が安心するでしょ?」


「・・・・・・日野だよね?」


「ううん、本物の日野 陽太は亡くなってる。僕はね、元々、研究員なんだよ、若く見えるだろうけど、年齢も実は結構上だったりするんだ」


メガネをクイッと上げながら、笑顔で話す日野。


「水花を病院から逃がし、君達のデーターを盗みやすくしたのも僕。水花が話してただろう、『蝶だって短い命で外を自由に飛ぶのに、キミはそうしたいと思わないの?』て言った研究員がいたって。あれ僕。いやぁ、メガネかけてるとは言え、水花にバレやしないかとドキドキだったよ。あ、髪型も違うのわかる?」


「そ、そんな・・・・・・信じられないよ・・・・・・彼女は自分の意思で逃げたんだよ、逃がしてもらった訳じゃないよ!」


「逃げれないよ。児童養護施設と言う名の研究所で思わなかった? そう簡単に逃げれる場所じゃないって。それはここの病院も変わらないよ。ま、病院だけあって外来は多いけどね。だから逃がしてあげたんだよ」


逃がしてあげただなんて、まるで生け捕った昆虫を逃がしたかのような言い方で、全て手の中で動いていたとでも言うのか。


「僕がキミ達を頼りに逃げるよう、話も進めたようなものだよ。実験体に仲良しなんていないのに、わざわざ仲良しというキーワードを何度か出しながらの、次の実験の内容を話したのは苦労したよ、実験とは関係ない話を、話題に入れなきゃいけないんだよ、人とは仲良しの為なら、どんな時でも、どんな事でも助ける・・・・・・とかね、わざわざ、そんな事を言って、水花がキミ達を頼りに行くよう仕向けたんだよ。勿論、一番最初に三上 華月に会いに行くように、仲良しより絆が強いのは血の繋がりのある者だって話もしたよ? だから水花は最初に三上 華月に会いに行ったろ?」


なにもかもシナリオ通りのような・・・・・・。


「逃がしても安心してたよ。キミ達のデーターはちゃんとコピーして持って行ったし、ここの病院と森の中の施設の詳しい地図のコピーも持っていった。だから迷う事はないだろうしね、彼女の体の中にはマイクロチップも入ってる。どこに行っても、直ぐにわかる」


「・・・・・・何の為に?」


「何が? あぁ、何故、森の中の児童養護施設から都内の病院へと移り変わったかって事? それは勿論、病院の方がサンプルもデーターも多く取れるからだよ、それに今はコソコソ隠れてる方が見つかりやすいもんだろ?」


「そうじゃなくて! どういう事? 日野は何者なの!? 今回の黒幕は日野なの!?」


「黒幕って酷いなぁ、あの日の出来事はね、大きな計画の中の小さな1コマに過ぎないんだ」


「小さな1コマ? どういう事? 一体、何の為に、あの日、俺達は——?」


「それはね、水花を・・・・・・ある国へ送る為だよ——」


「ある国? 海外って事?」


「実験体の水花にパスポートはとれない。水花は三上 華月になる必要があった。だが、実験体だった水花が外に出て、素直に研究員の言う事なんて聞く訳ないだろう? だから自分の意思で動いてもらう事にしたんだ。勿論、意思と言っても、こっちの手の中で動いているだけだけどね」


「ちょっと待ってよ、葉山や大畑が殺されたのは?」


「あぁ、あれね、あれもね、まぁ演出の内だと思えばいいよ。小道具のメガネと同じようなもの、必要があるような、ないような、そんな感じ?」


「・・・・・・なんだよ、それ——」


「水花の自分が実験体だと言う話は、神場君と帆村君の胸に痛く残っただろう? 記憶が曖昧でも、やはりどこかでハッキリと感じていた筈。水花と華月の争いに巻き込まれたと言うより、葉山と大畑が死んだ事で、余計に水花の気持ちにリンクできた筈。いや、殺されたのが自分じゃなくて良かったとさえ、どこかで思っていただろう? その罪悪感からも、神場君と帆村君の中で、水花は殺人者から悲劇のヒロインへとなった。その為の演出かな」


「・・・・・・悲劇のヒロインになる必要があったのか?」


「水花と、誰かを、恋に落とさせたかったんだ。危機を乗り越えた男女は結ばれる、統計的に言って、その確立は高いからね、その為の殺人劇だったんだよ」


「恋!? なんで恋を!?」


「だってパスポートとれても、研究所から外に出るのも大変だった水花が海外に一人で飛んでくれる訳ないだろう? 心から信頼できる奴と一緒なら飛んでくれるだろうけど、そうは言っても、実験体に友人が出来ても、そう簡単に友人を信頼するとも思えない。やっぱり同じ危機を潜り抜け、同じ秘密を持った相手じゃないと、心から信頼し合えないでしょ? それにやっぱり自分と同じ実験体だった人の方が、より信頼できる。そうなるとやっぱ恋人ってのが更に信頼は厚いでしょ。そんな恋人ができたら、水花はどこだって飛べるよ」


どこだってって、どこへも飛ばせない癖に——。


「でもさ、女は水花だけじゃなく、葉山 美樹もいたよね、彼女と誰かが恋に堕ちても困る。だから葉山はいなくなる必要があった、その為、葉山が疑われるように、ラジオに細工して、デタラメなニュースを流した。案の定、葉山は皆から疑われ、その場から逃げた。水花も追いかけた。きっと葉山は真犯人を見つけると言い出すだろう、まずは死体を調べに行くよね? 犯人扱いを受けるより、見たくもない死体をじっくり見て調べる方が、よっぽどいい。水花は自分が殺人者だと知っている、犯人を知っている人間がわざわざ自ら色々と調べないよね、棚は葉山が隅々まで調べると、わかっていた。だから僕は棚の中に犯人は華月になり済ました水花だという紙切れを残したんだ。人間の心理なんて、プログラムされた通りしか動かないもんなんだよ。その紙切れを見つけた葉山は、水花に問い迫った筈。水花は葉山を殺すしかなかった——」


そんな全て計画通りみたいな言い草!


殺すしかなかったって、人が殺される事が演出?


小道具のメガネと同じ?


そんなバカな!


そんな事が簡単に計算されて、人の心を読み取れて、思うままに動かせるもんか!


「じゃあ、葉山が人影を見たと言ったのは?」


「蝶だよ」


「蝶?」


「蝶が好む蜜を人のカタチに塗っておいたんだ、窓にね。蝶が飛べば、あっという間に人影は消えたり出たりする。白い羽は光に反射し、影となる」


そう言えば、窓の外に赤いペンキのようなモノが塗られていたのを思い出す。


「蝶が好む蜜って、あの赤いペン——」


ペンキと言おうとして、血だと悟り、言葉を飲み込む。


あの蝶は死体に集まっていた。


いや、死体に集まっていたのではない、血に集まっていたのだ。


まさか、只、それだけの為に、あの蝶を沢山、逃がしたのか?


虫一匹、違う国から持ってくるだけで生態系が狂うとは考えないのか?


あぁ、そうか・・・・・・日本の気候に合わず、直ぐに死んでしまうなら、沢山、放してしまっても、生態系の狂いはないって事か——。


あの蝶でさえ、殺人劇に使われただけの道具。


「何故・・・・・・医務室の窓に、そんな細工を——?」


「神場君は社会人になって、仕事ってちゃんと休みある?」


——何の話だ?


「カフェの店員だっけ? 僕の仕事は、なかなか休みがとれなくてね。あの日も夜に研究室に戻らなければならなかったんだ。みんなは卒業旅行で、休み中だったかもしれないけど、僕は仕事が次から次へ山積みの社会人。まぁ、あの日、キミ達と一緒に行動をとるのも仕事の内だったんだけど・・・・・・そう考えたら、朝から晩まで全て仕事で終わった日だったなぁ」


仕事——?


「それでなんだっけ? あぁ、なんで医務室の窓に細工をしたかって事だったね。最終的に医務室にみんなを集めておけば、計画がうまく進まなくても、みんなを直ぐに眠らせて、一旦、僕は帰れるだろう? ほら、みんなをあの廃墟に集める為に水花が使った薬。全身麻酔状態になって数秒で気絶するって奴。あそこなら、薬が置いてあっても、誰も変だと思わない。だから簡単に気絶させれる薬も置いてあったんだ。水花もあの場所で薬を手に入れたんだよ、薬の名前は実験体の時に、研究員から何度も聞かされてるから覚えてる筈。水花も言ってたけど、一応ね、実験体には、実験の説明や使う薬の名前と内容を話す規則になってるんだよね。それで水花は、その薬を手に入れ、みんなに使って、みんなを廃墟へ連れて来たんだよ。薬は量によって、眠る時間も変わる。明日の朝まで眠らせ、僕は仕事に行き、次の朝、僕も眠らされたように、みんなの傍で起きれば問題ない。その為、あそこに行くように人影を見せる必要があった。誰も気付かなければ、僕が気付いたふりをして、人影だと叫んでいたよ」


仕事があったから医務室に招いた——?


全ては計画——?


悪びれなく、戸惑いもなく、淡々と話す程、これは計画通りだったのか——?


人が殺される事、死ぬ事が、まるで当たり前のように——?


もしかしたら、俺も殺されていた——?


そうだな、俺が大畑や葉山だったかもしれない・・・・・・。


たまたま、大畑と葉山が三上の手で殺しやすかっただけであって、俺が殺しやすい場所にいたり、殺すべきと言う動きを見せていたら、俺が殺されていたんだ。


「で、水花と帆村君は仲良くやってそう?」


「え? 仲良くって・・・・・・三上と帆村が付き合ってる事、知ってるの?」


「知ってるも何も、そうなるように仕向けたんだよ。帆村君のカバンから財布を抜き取っておいて、それを落し物として警察に届けておいた。財布の中には帆村君の献血カードとか入ってたし、警察から連絡が入る筈だよね、自首を考える水花と偶然に出会う。帆村君は自首を止めるだろうね、なんせ共犯者となる自分も捕まると思ったら、止めなきゃね。何度も会ってる内に、男と女は恋に落ちる——」


人の心までもシナリオ通りに本当に恋をさせた——!?


「当然、見た目的に大畑と恋に落ちるってのは難しいなと思ったから、アイツは最初から不必要だったけどね。だけどあそこで育ったメンバーとして一応は参加してもらわないとねぇ。でも殺されて、うまい演出の一部にはなったよ。豚は捨てる所がないって言うけど、本当だねぇって思って笑いそうになったよ」


クスクス笑いながら、そう言う日野が、楽しそうで、本当にわからない。


計画に不必要だったが、児童養護施設で育ったと言う事で、今回の恐ろしい計画の一部にされ、偶然にも殺された事が笑い事で、うまく演出されたと喜べると言うのか——?


俺は笑えない。


「なんで帆村だったの? 俺じゃなくて・・・・・・」


その問いに、日野はフッと笑い、


「意外だったからだよ」


そう答えた。


「意外?」


「意外だったよ、キミの推理は。カフェの店員なんて勿体無いくらい行動力もあるし、死体にも恐怖を感じる様子もなく、ジッと見ていたしね。そんな神場君の持ち物を抜き取り、警察に届け、偶然、悲劇のヒロインの彼女と再会させる。きっとキミは変だなと察してしまい、何かに勘付くよ。恋にならず終わってしまったら、計画は台無しだろ? そんな無駄な賭けには出ないよ、必ず計画通りに動くよう、そこは無難に帆村君でしょ。彼は深く物事を考えないみたいだしね」


「・・・・・・もしかしてまだ何も終わってない?」


「流石! 察しが早いな。神場君、これを水花と帆村君にプレゼントしてくれないか?」


白衣のポケットから取り出した海外旅行のチケット。


——そういえば、海外へ飛ばしたいとか言っていたな。


——元々、水花のパスポートをとる為だったとか。


「近所の商店街の福引でも当たったって言ってさ、でも行く相手がいないから、二人で行って来なよって、そんな文句でもつけて、プレゼントしてあげてよ。キミの事なら、2人共、信頼するだろう? 何をしてるのかもわからない僕と違い、お洒落なカフェの店員って身元も知れてるし、そのプレゼントも怪しむ事なく受け取ってくれるよ。なんせ、キミも同じ危機を潜り抜け、同じ実験体だった仲良しなんだからさ」


その国はまだ発展途上国の小さな国——。


「・・・・・・この国に水花を行かせたら、どうなるの?」


「水花の体内には、あるウィルスが仕込まれている。そのウィルスは、あるウィルスと合併すると、新型ウィルスとなって、あっという間に広まり、死者も出すだろう。あ、でも、その合併するウィルスは日本には、ないウィルスなんだ」


「でも、この国には存在するウィルスなんじゃないの!?」


俺は、そう言って、海外旅行のチケットを見る。


「そうだよ、その国にはね、水花の体内に仕込まれたウィルスと合併するウィルスがある。合併しなければ、感染力の小さい只のウィルスなんだけどね。勿論、水花の体内にあるウィルスも弱いウィルスでね、空気の中で生きられない。だから体内に潜んでいる。でも、ちょっとした咳などでね、外に出ちゃう奴もいるんだ、ソイツ等は生きる為に、自分を強くするウィルスと合併する。そうして強くなったウィルスは人間を犯す——」


「・・・・・・水花はどうなるの?」


「死ぬんじゃないかな、海外で、そのまま」


「帆村は!?」


「もうキスくらいしてるだろう? 帆村君の体内にもいると思うよ、ウィルスが」


「・・・・・・なんで三上だったの? なんで?」


「それは水花と華月が双子だったからだよ」


「・・・・・・双子だったから?」


同じ顔だから、片方を逃がし、片方を体の中でウィルスを育てる為、飼い、そして、時期が来たら、最初から入れ替えるつもりだった——?


「もしかして、計画は俺達が小さい頃から、ずっと? 俺達が子供の頃、華月か水花のどちらかを犠牲にするのも、最初からわかってた? 実験体には、実験の内容とか、子供にも話すんだよな? 俺達7人の内、誰か一人、実験体のまま残るように話し、その誰か一人を俺達に選ばせたけど、本当は俺達は最初から華月か水花のどちらかを選ぶよう知らない内に仕向けられていた——?」


最初から選択権なんてなかった——?


何も答えず笑っている、この白衣の男が、怖い——。


「神場君は運命って信じる? 僕はね、運命とは大きな歯車を動かす者が操るモノだと思ってるんだ。葉山が生理だったのも、生理の血を服につけてたのも、大畑が葉山を最初に疑ったのも、全て計画にはない事だった。だが、動き出した大きな歯車は、うまく回るものなんだよ。わかるかな? キミと僕がここで会ったのも偶然なんかじゃない、運命だったんだよ。そしてキミが水花と再会したのもね」


——もう知ってるのか?


——だって、ついさっきだぞ、再会したのは!


——俺達は常に監視されてる?


「そんな警戒した顔しないでよ、僕が水花と帆村君は仲良くやってそう?って聞いたら、キミは2人が付き合ってる事を知ってるのか?って聞いたよね? 2人が付き合ってる事を知ってるなら、どちらかに再会したんだろうなって思っただけだよ。キャラクターからして帆村君がベラベラ喋る訳ないだろう? だから水花と再会したと思ったんだ。それだけだよ」


——俺の心を読みやがった。


——それだけじゃない、ちょっとした会話で俺の様子をしっかり見抜いて、全て先読みしてやがる。


——コイツ、穏やかな口調だけど、本気で怖い。


「だからそんな脅えた顔しないで?」


「・・・・・・なぁ、ウィルスとかさ、そんな危険な事をして日本だって危ないんじゃないのか? そうなったら俺もお前も、死ぬんじゃないのか? それが運命なのかよ?」


「日本は大丈夫なんだよ、アメリカも同意権だし、強くなったウィルスが来たとしても、伝染病にはならない。もう薬ができてるから」


全ては小さな1コマ。


これも小さな1コマ——。


そして当たり前のように消される小さな命——。


「神場君、僕が育てた蝶を一匹、この世界に逃がすだけで、大きく世界は変わるんだよ」


蝶——。


「僕の担当は蝶なんだ。ねぇ、双子って蝶の羽に似てると思わない? 同じ羽模様で、まるで鏡に映してるみたいでしょ?」


「・・・・・・水花は蝶だったの?」


「そうかもね、凄く恐ろしく美しい蝶。でも蝶は手の平で握りつぶせば死んじゃうけど」


「・・・・・・水花は日本の・・・・・・使い捨ての兵器——?」


俺の問いに、日野は嬉しそうに笑い、


「やっぱり神場君、好きだなぁ、察しが早いんだもん」


と、メガネを上げ、俺を見ている。


メガネを上げる度に、俺は日野を思い出す。


本物の日野に会ってなくても、俺の中で日野は生きていた。


「本物の日野は? 日野はいつ死んだの?」


「・・・・・・日野君ね、彼は孤児院を出た後、一人暮らしをしてたんだ。身内もいないし、いなくなった所で、誰も何も思わない」


「なにそれ? それって、日野を殺したって事?」


「殺してないよ、日野 陽太のデーターを知る為に、この病院で生活してもらったんだ。今も病院内で生きてるよ。只、社会的には抹殺だから亡くなってるって言っただけ。彼ね、本当にコメディしか見ないんだよ、セックスは駄目みたいで、恋人もつくれない。ま、トラウマが関係してるんだろうけどね。でも苦労したよ、他人のトラウマを理解するのはね。でも見事だったろう? 僕の演技は! 神場君、本当に心配してくれてたもんね? 背中なんか擦ってくれてさ。そうそう、三上 華月が探偵を雇って、キミ達に招待状となるハガキを送っただろう? その探偵も僕なんだよ。わぁお! 驚いた?」


「——本物の日野はどうなるの? まさか、また実験体になるの?」


特に驚く事もなく、そう聞いた俺を、つまんなそうな顔で、


「それは僕の判断で決める事じゃないから」


だけど、にこやかに答えて、俺を見る目は、本当に日野 陽太じゃないんだと思わされた。


だけど、コイツにだって、結局は決定権なんてないから、判断できないでいる。


結局は誰もが、大きな存在の下で、生きて、死んで——。


つまり、誰もが、皆、小さな方舟の中にいるようなものだ。


羊達は脅えながら、手を取り合い、愛し合っているかのように生きているが、誰もが、自分自身しか守れずに、例え守られたとしても、自分を守る為なら、差し出すんだ、守ってくれる人でさえ——。


自由を手に入れたと、羽を広げて、大空を舞っても、本当は自由なんかじゃない。


俺は海外旅行のチケットを見ながら、この国の人達が伝染病で苦しむ時、日本が手を差し伸べ、恰も、救世主のように助ける景色を想像していた。


助かった命達に、感謝され、神のように祈られる——。


誰も疑わないだろう、普通に正当なパスポートで、観光として来た三上 華月を誰も疑わない。


それに三上 華月は、日本で裕福に暮らす普通の大学生のお嬢様だ。


ボランティアに励み、明るく元気な、心優しい女の子で、彼女は、どこにでもいる女の子なんだ、今は——。


つまり、彼女は親や友人、学校の先生などの監視の下、普通に生活を送って来た人間で、それは日本の兵器ではないと言う証明。


今は、彼女が死んで、悲しむ者も怒る者も普通にいて、国民として守られる義務がある極普通の女の子だから——。


寧ろ、日本人の彼女は海外にしかないウィルスに殺された悲劇のヒロインで、それは日本が被害者ともなる事で——。


あぁ、なんて恐ろしい世界なのだろう、ここは。


そして、なんて醜くて恐ろしい・・・・・・無知な人間達——。


全ては神の手の中の事とは知らず、神を信じる羊達——。


「・・・・・・俺になんで全部話したの?」


海外のチケットを渡すだけなら、全部話す必要はない。


わざわざ丁寧に俺の質問に答え、全てを話した理由はなんなんだ——?


「ほらね」


何が『ほらね』なのか、クスクス笑い、俺を見て、


「キミになら何でも話すよ、キミだから、あの時、トラウマの話しもしたんだよ、キミだから、あの時、児童養護施設と言う名の研究所だなんて事も言ったんだよ。僕はキミを信用してるから」


まるで日野自身がそう言っているみたいに、そう言った。


だが、日野から直ぐに別人に変わる。


「要するにキミは察しが良すぎるんだよ。勘がいい。そういう奴は敵にはしたくない。キミは選ばれたんだよ、運命を操る側に——」


よくわからない台詞を吐かれた。


いや、直ぐにわかった。


人は平等じゃない。


そう、俺は選ばれた。


コイツと同じ立場に——。


もし三上と帆村が海外で死んだ事などをニュースなどで知ったら、俺はきっと、何か勘付くだろう。


実験体だった三上の死に、俺が何か察してしまう前に、全て話し、俺を近くに置いといて、使おうという魂胆。


もしかしたら、俺はここに来るように見えないチカラで動かされたのかもしれない。


近くの病院が急患で一杯だった為、わざわざ救急車で遠くの病院に運ばれ、火傷を診て貰う・・・・・・もしかしたら火傷も——。


だけど俺はまだ神の近くにいる訳じゃないから、それも偶然と言えば、偶然で終わる話だ。


だがこれからは、この世を動かし、人の運命さえも動かしている神の近くで、俺はコイツみたいに動かされ、人の死を何の感情もなく、この目で見て、偶然も奇跡も、全て、この手に握るのか。


握りつぶしてしまうのか——。


つまり——


「・・・・・・俺は神の共犯者って訳だ」


不敵に笑う俺に、少し妙に感じたのか、不可思議な表情をし、メガネをクイッと上げた後、


「流石、察しがいいね」


と、囁き、俺を見つめる。


俺は誰も助けられない、小さな、小さな羊。


乗り込んだ方舟の中、出口がなくて、彷徨う羊。


只、世界が終わる音を聞いている。


神が選んだ小さな小さな羊しか乗れない方舟。


まるで昆虫の標本のようだ——。


蝶が戻ってきて、俺のまわりを飛び、そして俺の目の前で、羽ばたきを止め、冷たいコンクリートに墜ちてゆく——。

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羊達の箱舟 ソメイヨシノ @my_story_collection

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