駅に潜むもの〜連鎖〜

マサユキ・K

そして、また駅にて……

休日の構内は静かだった。


俺は改札を通ると、何気なく後ろを振り返った。

特に意図は無い。

無人の改札機を挟んで、これから行く先が何となく別世界のように思えたからだ。


まるで、ロケットに乗る宇宙飛行士だな……


俺は黙って苦笑いを浮かべた。


平日は通勤通学者でごった返す構内も、今は閑散としている。

最近はレジャー客も減ったとニュースで報じていたが、それにしても人が少ない。


俺はバッグを手提げから肩に掛け直すと、前に向き直った。

今日は部活の日だ。

歴史研究会というマイナーな部だが、発表会の準備のため登校しなければならない。


面倒くさいな……


文化部ならあまり活動しないと思って入ったが、当てが外れたもいいとこだ。


連日の資料作りに勉強会……

休みの日まで駆り出される。

アイツらときたら……他に楽しみは無いのか?

先輩の馬鹿面を思い浮かべながら、俺はプラットホームへと降りた。


階段の壁には、落書きが目立つ。

塗料スプレーで描かれたそれは、卑猥なマークと見知らぬ個人名が大半を占めていた。

どっかの不良か、欲求不満のオタクの仕業なのだろう。


どうでもいい事だ……


ホームに降り立つと、風で飛ばされた紙パックの残骸が足元にまとわり付いてきた。

俺は悪態をつきながら、それを蹴飛ばした。

足癖が悪いのは子供の頃からだ。

気に入らないものは何でも蹴飛ばす。


それにしても、相変わらず汚いホームだ。

路上にはゴミが散乱し、塗料の剥げ落ちた壁はすだれのようになっている。

ベンチには、こびり付いた食べ物のカス。

灰皿の周りは、吸殻の山。

世界一汚いと言われるニューヨーク地下鉄も、こんな感じなのだろうか。

ここの駅員は、一体どんな教育をされているのだろう。


だが、まあ……


それも、自分には関係の無い事。


どうでもいい……


俺は溜息をつき、最後尾車両の停止線まで歩を進めた。

乗車する際の、いつもの定位置である。

黄色線の上に立ち、ふと足元を眺める。

小さなが、ホームのふちに付いていた。

俺は気分が悪くなり、すぐに視線をらした。

思い出したくもない記憶の断片が、脳裏をよぎる。


……くそっ!


気分を変えようと携帯を取り出した時、突然叫び声が聴こえた。

見ると、一人の男が数名の駅員と押し問答をしている。


「……離してくれ!もうこれしか……方法が無いんだ……」


何か、そんな事を叫んでいた。


酔っ払いか?


そう思ったが、尋常では無い男の形相に俺は思わず息を呑んだ。

蒼白の顔面が、苦悶のため異様なほど歪んでいる。

宙を泳ぐ眼は、したたるほど真っ赤に充血していた。

夕刻を過ぎると、この手の客はたまに見かける。

路面にゲロをき散らしながらわめき散らす酔っ払いだ。

だが今暴れている男は、明らかにそれとは違って見えた。

言ってる事は意味不明だが、酔っているようには見えない。

どちらかと言うと、何かに興奮……

いや、おびえているといった印象だ。


だが、しかし……


だからどうだと言うんだ……


結局、どうしようもない。


わざわざしゃしゃり出て、この人はシラフですよと進言する気もない。

相手は赤の他人だし、何より面倒事は嫌いだ。


警笛が鳴ったので顔を上げると、丁度列車が構内に入って来るところだった。


助かった……


これで関わらずに済む。



ぐしゃっ……!!



先頭車両が俺の前を通過した直後、ふいにがした。


続いて起こる急ブレーキの金切り音。


そして、怒号と悲鳴──


あわてて振り向いた俺の目に、運転席から飛び出す操縦士と、線路を見下ろす駅員の姿が飛び込んできた。

数名の客が、口や頭を手で押さえている。

その中に、先程の男の姿は無かった。

俺は瞬時に、何が起こったか理解した。


飛び込みだ!


初めて……見た……


度を越した衝撃は、逆に冷静さを生むらしい。

俺は悲鳴を上げる事も無く、じっとその光景を眺めた。


あの男……


一体、どうなったんだろ……?


俺は見物人の輪に加わろうと、一歩踏み出した。


とその時……


何かがコツンと靴に当たった。


見ると、小さながぴたりと寄り添っている。


なんだ?


こんなもの、どっから転がってきたんだ?


遠くで騒ぐ群衆に目をやる。

誰もこちらを見ていない。

俺は無意識にそのボールを拾い上げた。



「次はあなたが遊んでくれるの?」


「えっ!?」


背後からの唐突な声に、思わず飛び上がる。

振り向くと、小さな幼女が立っていた。


白いワンピース姿に、腰まで伸びた黒髪──


いたいけな瞳で見つめられ、俺は非常時の最中さなかとは思えぬ胸の高鳴りを覚えた。


「……これは……君の?」


俺は当り前のように、手にしたボールを幼女に差し出した。

幼女は黙ってそれを受け取ると、小さな手でゆっくりと俺の背後を指さした。

誘導されるまま振り向く。



そこには……



……



たった今右往左往していた駅員や乗客の姿が、掻き消すように消えていた。


ホームにいるのは、俺とこの幼女の二人のみ。


俺は驚きのあまり言葉を失った。


何だっ!?


皆どうしちまった?


一体、何が起こった?


疑問符のついた台詞ばかりが頭を駆け巡る。


こんな馬鹿な事って……あり得ない!


がたがたと全身が震え出す。


俺は答えを求めるかのように、幼女をかえりみた。


うつむいたまま、小さな肩が揺れている。


泣いているのか?


いや……違う!



シャァァァァァーっ!!!



突如、鳥類のような鳴き声が構内に響き渡った。

俺の全身は総毛立ち、氷のように硬直した。

見開いた目で、反射的に声の主を探す。



シャァァァァァーっ!!!



また奇声が放たれ、幼女の体がぶるんと震えた。


間違いない。


声の主は、この子だ!


大きく上下する肩が、威嚇する肉食獣を連想させる。

身動き出来ない俺は、凝視するしかなかった。


しばらくして奇声が止み、幼女の頭がゆっくりと持ち上がった。


俺の喉から、声にならない叫びがほとばしった。


耳の付根まで裂けた口──


赤く燃える眼球──


蜘蛛の巣状に浮き出た血管──


そして


頭から突き出たつののような異物──


それは……


下半身から一気に力が抜ける。

腰の砕けた俺は、その場に座り込んだ。



な、なんだ、こいつは!?


ば、化け物……!!



逃げ出したいが、思うように体が動かせない。

尻餅をついたまま後退あとずさる俺を眺め、化け物は不気味な笑みを浮かべた。

そして赤いボールを前に差し出すと、何やらつぶやき始めた。


次の瞬間、信じられない事が起こった。

ボールがグニャリと変形し、何かの形を取り始めたのだ。


太く、長く……


所々に斑点模様のようなものが浮き出る。


蠢動を繰り返しながら、形作られたそれは……


頭部の無い……だった。


俺の全身に衝撃が走る。


見覚えのある特徴的な斑点模様……


脳裏に、数日前の記憶が蘇った。


場所は此処──いつもの乗車位置。

帰宅の列車を待つ俺の足元に、一匹の野良猫が寄ってきた。

甘い鳴き声で身体を擦り寄せるその姿が、うとましかった。


いや……


決して猫だけが原因では無い。

その時の俺は、ひどく苛立いらだっていたのだ。


返されたテストの成績が悪かったから……

部活で先輩に嫌味を言われたから……

彼女からのメール返信が無かったから……


何もかもが、うまくいかなかった。


だからつい腹いせに、その猫を蹴飛ばしてしまった。


軽く蹴ったつもりだった。

だが、飛ばされた方向が悪かった。

そいつはホームから線路上に落下した。

俺は慌てて線路を見下ろしたが、猫の姿は無かった。


逃げたか……


ほんの一瞬後悔が胸をぎるが、すぐに振り払った。

程なく警笛を鳴らしながら列車が入構してきた。


にゃあ


先頭車両が俺の横あと数メートルまで迫った時、ふいに鳴き声がした。

驚いた俺の目に、ホームにしがみつく猫の姿が映った。

俺は緊張のあまり、身動き一つ出来なかった。



助けてと叫び続ける猫……



茫然と眺めるだけの俺……



知る由もない先頭車両が、目の前を通過していった。


俺は、列車が停止するまでその場で震え続けた。

恐る恐る足元に目を向けると、ホームの縁にが付いていた。


猫の姿はどこにも無い……


ドアが開くと、俺は逃げるように飛び乗った。



幼女の姿をした異形は、猫の死骸を路上に下ろすと嬉しそうに微笑んだ。

裂けた赤い口腔が、耳元までむき出しになる。


次の瞬間、俺は我が目を疑った。


路面に横たわる死骸が、微かに痙攣し始めたのた。

それは次第に大きく、次第に激しくなっていった。

やがて猫特有の動きでくるりと反転すると、それはぶるぶると震えながら身を起こした。


……そんな……馬鹿な!?


頭が……頭が、無いんだぞ……


なぜ動ける!?


俺の思考は、混乱を極めた。


人外の異形──


動く猫の死骸──


あまりの現実離れした光景に、俺の理性は完全に麻痺してしまった。

まるで、映画を観ているかのような高揚感が湧き起こる。

無意識に手を叩き、顔には薄ら笑いが貼り付いた。


……こんな……ハハハ


……馬鹿な……ハハハ


後退りしながらも、その滑稽こっけいさに可笑おかしさが込み上げた。


元は猫だったそいつは、ふらつきながらも着実に俺の方へと近づいて来る。

向き合うと、切断された断面がもろに目に入った。

普通ならむかつきを催すであろう光景も、今の俺には珍妙な造形物にしか見えなかった。


可笑しくて可笑しくて、たまらなかった。


何もかもが、腹をよじるほどの笑いを誘発した。


この猫らしき物体が、動いている事……

それを見て、驚きもせず笑っている事……

あの日助けようともせず、見殺しにした事……

近寄って来ただけなのに、蹴散らした事……


そして、あの日イラついていた理由


勉強不足を棚に上げ、答案の点数に腹を立てた事……

規律違反を注意され、先輩を逆恨みした事……

二股がばれて、彼女に絶縁宣告された事……


なあんだ


結局、全部俺が悪いんじゃないか。


なのに、を蹴飛ばしてしまった。


なんの罪も無いアイツを殺してしまった。


だから、こんな事になったんだ。


自分の無責任さが、この事態を招いてしまったんだ。


結局……俺が……悪いんだ……



背中が何かにぶつかり、後退りが止まる。

うつろな視界で見上げると、ホームの支柱に邪魔されていた。


可笑しさが極限に達した。


俺は大声をあげて笑った。


涙が止めどもなくあふれ出るが、もはや何の涙かも分からなかった。


ひとしきり笑った後、俺は視線をから幼女の方へと戻した。

嬉しそうに眺めていた幼女は、それに気づくと小さく手を振った。


バイバイ


そう言っているような気がした。

俺も、涙でくしゃくしゃになった笑顔で振り返す。


バイバイ


それにしても、こいつは一体


幽霊か


猫の化身か


まさか、エイリアンという訳でもあるまい。


朦朧もうろうとした俺の耳に、どこからかすすりり泣きのような声が聴こえてきた。


俺は周囲を見渡した。


誰もいない。


よく見ると声はあちこちから漏れ出ている。


待合のベンチ……


支柱の陰……


灰皿の中……


俺はもう一度耳を澄ませた。


【……ったく、課長の奴死んじまえ……】


【……アイツ、今に思い知らせてやるわ……】


【……あのバカ、またいじめてやる……】


恨んでやる!


ねたんでやる!


苦しめてやる!


憎い……憎い……憎い……!!!


自分にも一度は身に覚えのある恨みつらみの言葉が、周囲に木霊こだまする。

幼女は両手を広げ、満足そうな表情を浮かべていた。

まるでその声を、かのようだった。


それを見て俺は理解した。


そうか!



構内に蔓延するドス黒い邪心が、渦巻く奔流となって幼女に飲み込まれていく。


コイツは、こうして生まれたんだ。


入れ替わり立ち替わり訪れる乗客──

その誰もが、楽しい思いをしているとは限らない。

むしろ、不平不満を抱えた者の方が多い筈だ。


会社、学校、仕事、勉強、同僚、友人……

業績、成績、昇進、恋愛、金銭、交友……


ありとあらゆる場面で、放出される負の感情


嫉妬、挫折、悔恨、侮蔑、憎悪……


駅という閉ざされた空間に蓄積した負の念が、この異形を作ったんだ。


そう……


あたかも、暗闇の中で増殖するバクテリアのように……


きっと俺も、コイツを生み出した内の一人なんだろな。

人を逆恨みし、妬んで、嘘ばかりついてきたからな。

所詮、猫に八つ当たりして殺すような出来損ないなのさ。


きっと、生きる価値も無いんだろう……


俺にはもう、驚きも、恐怖も、悲哀も、未練も湧かなかった。

何も感じず、何もかもがどうでもよかった。



もう、ここらで……終わりにすっかな。



出来損ないが、この世に生きる理由など無い。

それなら、やる事は一つだ……


俺は四つん這いになると、進む方向を変えた。

線路上までは、ほんの数歩の距離だ。


つまらない日常だったが、最後に面白いものが見れてよかった。


手がホームの縁にかかる。


「……めろっ!」


遠くの方で、また声のようなものが聴こえた。

きっと空耳だろう。

構内には誰もいないんだ。


「待て……やめろっ!」


混濁した意識の中、声のする方へ顔を向ける。

人影らしきものが近づいていた。


また変なのが来たな。


苦笑いを浮かべながら身を乗り出そうとした時、誰かが肩を掴んだ。

複数の手が、四方から俺を押さえ込む。

影は次第に鮮明となり、やがての形を取り始めた。

腕を取られた俺は、懸命に逃れようとあがいた。


沈みゆく意識の中、最後の力を振り絞り叫ぶ。


「いいから離せよ!もう……!」


赤く充血した目を向けると、そこに幼女の姿は無かった。


俺は警笛の音を聴きながら、笑みを引き攣らせた。

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