第66話 湖を歩く

 色の濃さや淡さ、赤みや青みを明確に感じるようなことはこれまでの人生でなかったように思う。見上げた空は、一括りに言ってしまえば紫一色だ。しかし濃い青紫色の空に浮かぶ白けた薄紫色の雲というのは見ていて不思議な気持ちになる。毒々しくも美しく、いつまでも見ていたくなるような、そんな空だった。


「将三郎さん、終わりましたよ」

「ん……うわ、すごい量だな……」


 目下で行われていたダークエルフの身体検査を視界に入れないように見上げていた視線を下ろすと、草の上には無数の暗器のような物が並べられていた。毒々しい色をした刃の投げナイフや、縫い針をそのまま手のひらサイズにしたような武器から短剣、どこに仕舞っていたのか湾曲した片手剣まで。


「セオリー通りなら全部毒塗れなんだろうな」

「扱いには細心の注意を」


 刃には触れず、持ち手を掴んでそっとレッグポーチに収納する。全部仕舞い込んでからこのダークエルフをどう運ぶか悩み、そっと自分の足元に手を伸ばす。今ならできるかもしれないと思ったからだ。


 触れた場所は地面。だが地面と手の平の間には僕の影がある。それに触れ、手の平に集めた魔力で引っ張り出すように、影を握って腕を引いた。


「ほぅ」

「できた!」


 肩に留まる八咫が感嘆の声を漏らす。日々噛み合っていく八咫の神性は僕に影を操る能力を与えた。引っ張り出した影はゆらゆらと陽炎のように揺れつつも、何物も通さない強靭さを兼ね備えている。


 この影の操作に関してはいつかできると思っていた。八咫が自ら率いる燼兵団隠密部隊【黒烏こくう】という存在は影の部隊だ。影と一体化して隠密行動を行う僕らはいつしか影そのものになれる……いや、なるべきだ。だからこそ、影を操作するのはできて当然のスキルだと僕の中で確信があった。


「教えてもいないことをするなと怒鳴り散らしてもいいところだが、成果が大きいので今日の所は許してやろう」

「素直に褒めてくれてもいいだろう?」

「許してやる代わりに褒めてやるとも。影を扱うスキルを身に付けられるのは隊長格の証だからな」


 下っ端工作員として入隊した僕だったが、もう隊長格らしい。これに関しては少々気が引けるところもある。八咫の加護が体に馴染めばできることは増える。月日を重ねれば重ねるだけ僕は成長する。

 しかしそれはただ生きてるだけでレベルアップするということだ。それは日々、鍛錬を積み重ねる他の部隊の者とは違って楽をしているということになる。それが申し訳ない気持ちは強い。


「日々の鍛錬の賜物だな」

「いや、僕はそんな努力なんて……」

「皆が寝静まった後にこっそり自己鍛錬していることは知っている」

「!」

「私も知ってます」

「!?」


 リスナーにも知られたくなくて黙っていたのに何で知ってるんだ!


 魔導カメラもオートモードで部屋に放置してこっそり抜け出して時々鍛錬をしていた。だって移動がメインのこの配信で訓練する時間は夜しかなかったから……。誰よりも劣っている僕はそうして足りない部分を稼ぐしかなかった。それはとても情けない話だった。王様が一番弱いだなんて、話にもならない。だから誰にも知られないように気を付けていたというのに……!


「恥ずかし過ぎて消えてしまいたい……」

「何故恥ずかしがる? 貴様の努力は素晴らしいものだ。誰よりも弱いと自覚して尚、努力する姿勢は尊敬に値する」

「えぇ、とても格好良いですよ、将三郎さん!」

「うぅ……」


 これに関してはどれだけ肯定されようと気持ちの折り合いはつかない。自分の恥部を褒められて喜ぶ人間は恐らく少ない。僕はそっち側にはなれない。


「もうこの話は終わり! ほら、集落探すよ!」


 無理矢理話を切り上げた僕はふわりと浮かぶ影でダークエルフの両手と両足をしっかり縛り上げ、舌を噛まないように猿轡も噛ませる。絵面はとても酷いがこれも彼女の為なのだ……等と心の中で供述しつつ、地面……自分の影の上に浮かせながら立ち上がる。


「全然気付かなかったぞ……しょうちゃん……」


 そんなヴァネッサの声を背に受けながら、自然と早くなる足に全部任せて僕達は集落を探す為に湖畔を歩き始めた。




 暫く歩き進めて景色が林と呼べるくらいに木々が増えてきた頃、大きな影が僕達ごと周囲を黒く染めた。見上げるが空はまだ暗くない。といっても夕方の頃合いで、オレンジと紫、濃い青紫色のグラデーションが木と木の間から見える。ここに来て初めて紫色以外の空を見たな。


「根の影ですかね」


 アイザの言葉に振り返ると、なるほど、この湖沼地帯の背景と化していた根に太陽が半分ほど隠れていた。見ているだけで遠近感がおかしくなって目が疲れる。


 太陽が沈む程に影は世界を浸食していく。かと言って僕の支配域が広がるようなこともなく、ただただ不安だけが広がっていく。見上げた空に星はなく、ただ月だけが昇っている。


「日が暮れるまでには集落を見つけたかったんだが……もしかして森には住んでないのかもしれないな」

「身を隠すのであれば森というのが私達ダークエルフの基本でしたが、こちらの種族は違うのかもしれませんね……」

「仕方ない。今日は見張りを立てて休むとしよう」


 レッグポーチから大きな布をアイザに手渡し、僕は手早く焚火の用意を済ませる。片方の手に木の皮を持ち、もう片方の親指と人差し指の間で雷属性の魔力を使った火花を散らせる。その火花が木の皮に小さな火種を作る。それを消さないようにそっと準備しておいた枯草の中に入れて包み込み、ゆっくり長く、息を吹き込む。立ち昇る白煙は次第に増え、スイッチが入ったように枯草が燃え上がる。それを薪の中に放り込み、小枝に火を移す。無事に小枝が燃焼し、薪に火が移ればもう安心だ。


 振り返るとアイザはすでにテントを建て終えて、追加の薪を拾う為に袋を用意していた。


「待ってアイザ」

「どうしました?」

「ここの階層の木は怖い。燃やしたら変な煙とか出るかもしれない」

「あ、確かに……紫黒大森林ヘルフォレストでもそういう木は少しだけありました。危機感が薄れてますね。気を付けます」


 危機感は大事だ。僕みたいな凡人は危機感だけはしっかりしておかないといけない。この階層では、ここに来る前に時間を見つけてはしこたま集めておいた薪でしか焚火はできないだろう。湖沼地帯を突破する頃には薪がなくなっているかもしれないな……まぁ、その時はまた集めればいいだけの話だ。


 隣で横にされているダークエルフの顔を見る。起きるにはまだまだ時間が掛かりそうだった。

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