第25話 森の朝

 いつの間にか寝ていた。カメラもオートモードにするのを忘れていたせいで一点をずーっと映していたようで、コメント欄は配信に関係ないコメントで盛り上がっていた。


 興味もないので適当に流し見し、布団から抜け出して部屋の外へ出る。廊下もまた植物がところどころに飾られている。


 それらを眺めながらとりあえず向いた方向に歩いて行くと昨日見た玄関に出た。そのまま扉を開けて外へ出る。


「ん……っくぁぁ……ぶへぇぁぁ……」


 朝の新鮮な森の空気を肺いっぱいに吸い込み、伸びをして、二酸化炭素を吐き出す。軽い眩暈を感じる。


「はぁ……」


 顔洗いたいな……。家の中に小川があったけど、僕の顔の成分を含んだ水を植物に吸わせるのは気が引ける。井戸とかあればいいのだが。


 井戸か……この地面を掘っていくと95層に着いたりするのかな。それとも階層ごとに時空的な隔たりがあって階段以外の手段では辿り着かないのだろうか。


 そんなことを考えながら周囲を散策する。多分無理だろうな。そもそもこのダンジョン自体が木の洞の中だ。地下鉄も何もかも無視して出来上がった場所だから、きっと別次元なんだろう。


「あ」

「ん……起きたか」


 前から八咫が歩いてきた。昨夜のような雰囲気は感じないが、妙な気まずさを勝手に感じてしまう。


「井戸ならその先だ」

「ん、わかった」

「アイザが朝食を振舞うと言っていたから、終わったらまっすぐ戻るんだぞ」

「朝食か……昨日の料理も美味しかったし楽しみだな」


 昨日の料理……お酒……気付けば自分で地雷原に踏み入れていた。


「顔に出ているぞ」

「うぐ……」

「いつまでもくだらない事を気にしている暇があったらさっさと顔を洗ってこい」


 それだけ言うとさっさと行ってしまった。なんだよ、僕だけが気にしてるのかよ。ならもう気にしない。昨日は何もなかったのだ。


 言われた通りに進むと井戸があった。何の変哲もない井戸だ。でもやっぱりちょっと植物感が強く、井戸を覆う屋根から赤い木の実が付いた房が垂れている。可愛らしいな。


 水を汲んで、顔を洗う。レッグポーチから宿舎から拝借した歯ブラシ(多分、新品)を取り出し、歯を磨く。歯磨き粉はなかった。家から持ってきても良かったけれど、どこにペッてするか悩んで持ってこなかったんだよな……。そも、すぐ帰る予定だったし。


 仕方なく素磨きで磨きながらボケーっと木の実を眺めていたら後ろから足音がした。振り返ると、まだ7割くらい寝てそうな顔でこちらへ向かってくるエミが見えた。でっかいシャツをパジャマ代わりにしているようで、布のお化けみたいだった。


「おはようございます」

「ん……」


 寝起きは悪い方らしい。ていうかこれ起きてるのか? 自動で動いてるって言われた方がまだ信じられる。


 水の入ったバケツを差し出してやると、無言で顔を洗い始める。そしてびちゃびちゃの顔をシャツの裾をまくって拭きだしたので慌てて顔を逸らした。勘弁してくれ……。


 それが終わると服のポケットから歯ブラシを取り出し、徐に手を伸ばして木の実を一粒むしり、ブラシ部分に押し付けてから歯を磨き始めた。


「……えっ、これってそういう使い方するんですか?」

「ん……」


 短く小さい返事だけをするエミ。見様見真似で同じようにやってみる。赤い汁がブラシに滴。実ごと行ってたな……やってみるか。


「ん……んんっ!?」


 すっっっっっっっぱい!!!!


 思わず吐き出したくなるくらいにすっぱい! 体が毒物だと思い込むくらいにはすっぱい……!


 けど吐き出したら失礼かもと思うと吐き出せない。僕が呻き声を上げたせいでエミがこちらをジーっと見ている。


「……め、目が覚めますね、これ……」

「ん……」


 興味があるのかないのか、適当な返事をして歯磨きを終え、口をゆすいで井戸の裏にペッてしていた。よく見れば排水溝のような場所がある。なるほど、最後に流せばいいのか。


 自分の歯磨きが終わったらさっさと踵を返して帰っていった。来た時よりも足取りが軽いのは、やはりあのすっぱさで目が覚めたからだろう。


 エミが家の角を曲がって見えなくなってから、僕はすぐに歯磨きの実をペッてして、井戸の水で綺麗に排水溝を洗い流した。




 アイザの家に戻ると玄関でエミが待ってくれていた。


「遅い」

「ごめんなさい」

「こっち」


 すっかり目が覚めても眠たそうな目をしたエミをついていくと昨日とは違う場所に案内された。昨日の場所が会議室や宴会場と言うなら、こっちはリビングだ。昨日ちらっと耳にしたが、アイザには娘さんがいるようなので、普段はここで食事をしているのだろう。


 見れば席にはすでに八咫が着席していた。その向かいには昨日はいなかった人が座っていた。その隣にはさっさとエミが座った。じゃあ僕は八咫の隣かな……。


「貴様はそこ」

「慣れないんだよな……お誕生日席」

「誕生日じゃなくても座れ」


 ピッと指差されたお誕生日席にそっと座る。これも王様だからか……やだなぁ、もう。


 落ち着かなくてふわふわ視線を彷徨わせていると、エミの隣の人物と目が合った。僕としたことが自己紹介をしていなかった。


「おはようございます。アイザのお世話になってる将三郎です」

「あっ……サフィーナです……! よ、よろしくお願いします、王様……」


 めちゃくちゃ緊張されてしまっている……。


「アイザの娘だ」

「あぁ、道理で……! よく見たらお母さんによく似てるね」

「えへへ……」


 お母さんのことが好きなのかな。嬉しそうに喜んでいた。このくらいの年頃なら親に反発しそうなのに、良い子だな……。


 と、勝手になごんでいたら料理が乗ったお皿を持ったアイザがやってきた。


「遅くなってすみません! 食事にしましょう」


 さっきまではそうでもなかったのに、料理の良い匂いを嗅いだ途端にお腹がくぅと鳴る。聞こえてしまったみたいでサフィーナがくすくすと笑っていた。

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