第9話:顔見知り/狂気
「よく来てくれました」
田中から依頼内容を聞いた俺は、公園のトイレで冒険者装備を身に着けギルドへ赴いた。
「まあそういう契約ですから」
「ああ、私たちは君の罪に目を瞑る。 その代わり」
「依頼を受ける」
「うむ、よろしい」
俺が言葉の先を取ると、田中は口元だけ穏やかな笑みを浮かべた。
『未公開のダンジョンをギルドの許可なく攻略してはならない』
これは二年前、勝手にダンジョンへ入って死傷者が多数が出たため制定されたれきとした法律だ。 不可抗力な部分があるとはいえ、俺はその法を犯した罪がある。
それを盾に俺は田中と契約を交わさせられていた。
簡単に言うと、俺は田中にとって自由に動かせる便利な戦力なのだ。
ただし強制ではなく、一応拒否権はあることが唯一の救いだ。
「さて、これで全員集まりましたね」
田中に連れられ会議室のような部屋に入ると、すでに招集された冒険者が静かに待機している。 その中に一人、見覚えのある少女がいて俺は少し驚いた。
「あれ? 店員さん……?」
「ああ、どうも。 今日はよろしくお願いします」
「え? え?」
戸惑った様子の一星夜子に説明する間もなく、田中がスクリーンに画像を映し出した。 どうせ忘れるのだから、説明しても仕方ないので俺は次々に映し出されるダンジョンの情報に集中するのだった。
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井の頭公園ダンジョン
湖の下から這い出てきたモンスターを近所の住民が発見。
現在被害なし。
周囲は立ち入り禁止とし、調査に向かうが失敗。
入り口は湖にあり、水棲のモンスターが氾濫しているため近づくことが困難。
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「つまり何も分かってないってことですか?」
説明を聞き終えた後、夜子の言葉に田中は頷いた。
「ええ、そういうことですね」
「いっそのこと湖を蒸発させちまえばいいんじゃねえか?」
冒険者の意見に田中は苦い表情で首を横に振った。
「有力者の意向で、周囲の環境に被害は出すような方法は取れません」
「ははは、人の生き死にがかかるかもしれねえ状況で環境保護ってか? 二年前のことを忘れちまったのかねえ」
「……」
二年前、ダンジョンが現れ、モンスターが各地で氾濫した時、相当数の死人が出た。
現在は冒険者の奮闘により、氾濫して死傷者が出るような悲しいニュースはほとんどなくなった。 環境保護は素晴らしいことだ。 しかし実際に戦う人間からすれば、それはただの平和ボケ発言にしか聞こえないだろう。
「まあ、いいや。 正攻法でやるしかないならもう行こうぜ。 ここで話し合ってる時間がもったいねえよ」
「分かりました。 では最後に、勢い余って攻略しないようにお願いいたします」
「分かってるって」
そして俺たちは用意された車に乗って、吉祥寺方面へ向かった。
「ねえ、店員さんも冒険者だったんですか?」
「ですね。 色々あって週末だけダンジョンに潜るような形での活動ですけど」
「趣味?」
「みたいなもんですかね」
俺と夜子が話していると、会議中よく喋っていた男が舌打ちしてこちらを睨みつけてきた。
「舐めてんじゃねえよ、エンジョイ野郎が。 頼むから足だけは引っ張んじゃねえぞ」
強面だから普通に怖い。
ここにいるメンバーはこれから一緒にダンジョンへ潜る、いわば仲間だ。 そんないい方しなくてもいいのに、と思いながら俺は夜子と目配せして口を閉ざした。
「(店員さんがどんな風に戦うか、楽しみにしてますね)」
夜子はそう囁いて、窓の外に視線を移すのだった。
○
未だ深夜、井の頭公園は月の光で照らされていて薄明るい。
湖の周囲だけはライトが設置されているため、昼間のように明るかった。
「ではこちらの道具をお使いください」
そう言って渡されたのはマウスピースのような魔道具だった。 それを付ければ水中でも呼吸が可能になるようだ。
とはいえ最大の問題は水中では動くが制限されるという点だろう。
「んじゃ、行くぜ」
強面の男や他の冒険者は平然と入水した。
(こいつら怖くないのかよ……)
俺はそこの見えない海に入るような恐怖を感じて、入ることをためらってしまう。
「怯える必要なんてありませんよ」
腰まで水に浸かった夜子が振り返ってほほ笑んだ。
「ゲームみたいなもんです。 ドロップを落とす雑魚NPCに怖がるプレイヤーはいないでしょう?」
「……そうですね。 ありがとう」
頷いたものの俺には彼女の言っていることが全く腑に落ちていなかった。
俺はそんな風に割り切れない。
田中が兼業を勧めた理由がなんとなくわかった気がした――今まで戦いとは無縁の生活をしていた人間が急に戦い漬けの生活を送れるだろうか――否。 それは日本人の戦わないという精神を一度壊す――狂わなければできないことだ。
「メンタル的にはまだまだ1級だな……っ」
強いだけでは冒険者は務まらないのだろう。
それでも依頼を受けた以上、ここで待っているわけにはいかない。 俺は意を決して、湖へと潜っていくのだった。
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