第10話

 「━━━━━ウグォァッ!?」

 

 悲鳴を上げたのは、私ではなく有栖川の方だった。一体何が起きたのだろう。恐る恐る目を開くと、有栖川は白目を剥いて私の横に倒れていた。そして、それを茫然ぼうぜんとしながら見つめる私を優しく抱き起こしたのは、意外な人物だった。

 

 

 

 「━━━━━大丈夫か、サーガ」

 

 「……保津、君?」

 

 そこに居たのは、保津陽太君だった。私の肩に手を回し、彼は心配そうに私の顔を覗き込んでいる。どうして保津君がここに? と尋ねる暇もなく、警察官や世奈、大地君らが慌てた様子で駆け寄ってきた。

 

 「有栖川を取り押さえろ! 気絶してるからって油断するな、二人がかりだ!」

 

 「綾火っ! 大丈夫?」

 

 「世奈……うん、平気。 それより……」

 

 ゆっくりと起き上がりながら、私は、突如現れた保津君の方へ向き直る。彼は、上着を脱いでTシャツ姿になり、右肩から腕にかけてついた引っ掻き傷を、砂埃が入らないようにパンパンと払っていた。

 

 「ったく……たまたま近くを通りかかったら、サーガが知らねぇ奴に襲われてるのが見えてな。 最初はビビったけど……間に合ったみたいで良かったよ」

 

 「スッゴいよ保津君! 猛スピードで綾火のとこに駆け寄って、そのままアイツの顔面にストレートかましたんだもん! チョーカッコ良かった!!」

 

 「あぁ……まさに電光石火だった」

 

 ワーワーと騒ぐ世奈と、キョトンとする大地君。そんな二人を横目に見ながら笑う保津君に、私は軽く頭を下げた。

 

 「その……助けてくれて、ありがと」

 

 すると、保津君はニカッと笑って私の頭に右手を乗せ、

 

 「気にすんな! てか、お前が無事で良かったよ。 ……これからもずっと、俺がお前のこと守ってやっから」

 

 「っ……!」

 

 優しくささやく彼の顔を、その時何故か直視できなかった。不思議と、顔が熱くなっていく。二年前に忘れていた気持ちが、今、少しだけ蘇ったような気がした。

 

 じゃあな、と告げてその場を後にする保津君の背中を、私はボーッと見つめていた。なんていうか、一瞬のうちに色々な事が起こりすぎて、脳がそれらを上手く処理できてないみたいな感じだった。いつの間にか、警察官は有栖川を署内に連行してしまったらしい。ポツン、と警察署前に取り残されてしまった私たち三人。ふと、視線を感じて隣に目をやると、大地君が少しムッとしたような表情でこちらを見ていた。

 

 「大地君? ……どうかした?」

 

 「……いや、何でもない」

 

 そう言って、一人警察署に入っていく大地君を見ながら、私は首を傾げていた。

 

 

***


 

 ━━━━翌日。

 

 警察署内のソファで、大地は難しい顔をしていた。サーガが、保津という男に助けられる場面を目の当たりにしてからというもの、何故か、胸が締め付けられるように痛くなるのだ。この感覚は、彼にとって初めてのものだった。

 

 (……って、何を考えているんだ僕は! サーガは、ついこの間まで僕の姉さんの仇だった女じゃないか!)

 

 まぁ、実際には彼女は仇なんかじゃなかった訳だが……。そんな問答を心中で繰り返しては、ムシャクシャして頭を掻きむしる大地。目の前をせわしなく通りすぎていく警察署の職員たちの足音がドタバタと響き、彼の平静を一層刺激した。そんな、モヤモヤする彼の頭の中で、ただ一つだけ離れないものがあった。

 

 (……サーガ様、か……)

 

 それは、自分が小学生の時に見た、姉と遊ぶサーガの様子だった。彼自身、サーガやウィンディ、レイヴンといった人物たちは、よく家に遊びに来ていた事もあってよく知っている。意味不明な言葉で話し合って、楽しそうにしていたサーガたちを、大地はよくドアの隙間から覗き見ていたのだ。特に、姉と一番仲が良かったサーガのことは、鮮明に覚えていた。彼女と幾度か言葉を交わした事もある。もしかすると、自分はこの時から、サーガの教えに洗脳されていたのかもしれない、と大地は思った。

 ……というよりもむしろ、自分はその時からサーガという女に…………

 

 

 「━━━━い、おい! ちょっと良いか?」

 

 「えっ!? あ、はいっ!」

 

 西大路刑事に呼ばれ、慌てて返事をする大地。クスクスと笑いをこぼす職員たちの視線を受けて少し顔を赤くしながら、彼は手招きする西大路に連れられ、人気のない廊下の一角に立たされる。

 

 「……嬢ちゃんたちは?」

 

 「あぁ、今日は来ていません。 怪我の手当てをするから、と」

 

 「そうか……まぁ良い。 事件についての情報と、有栖川の供述とを伝えておこうと思ってな」

 

 「……」

 

 ゴクリ、と唾を飲み込む大地。いつものように乱雑に資料を手渡しながら、西大路は淡々と説明を始める。

 

 「ヤツはこの近くの廃病院に身を潜めていてな、そこで身柄を拘束した。 廃病院には手術室みたいな部屋がいくつかあって、そこが九条凪沙を襲った犯行現場であると思われる。 その部屋から、七輪なんていう医者に似つかわしくない代物が見つかったからな」

 

 七輪……恐らくそれが、姉さんを一酸化炭素中毒にした凶器で間違いない。と、大地はそう確信した。

 

 「有栖川は、何と……?」

 

 「私はやっていない、の一点張りだ。 まぁ、聴取始めて間もないからまだ何とも言えんが……まぁ少なくとも、ヤツは四年前から闇医者をやっている訳だから、このまま帰れはしねぇだろうよ」

 

 「そう、ですか……」

 

 正直、大地は有栖川が素直に犯行を認めるとは思っていなかった。それよりもむしろ、彼は西大路の話を聞きながら、昨日有栖川が叫んでいたある言葉を思い出していた。

 

 

 『綾火……そうか、お前が綾火か。 ……なら、お前を今ここで殺せば、ヤツの顔に泥を塗れる……!』

 

 (ヤツ・・、とは一体……)

 

 もしかして、有栖川に犯行を指示した人物が居るのだろうか? あるいは、何か別の……。まるで探偵になったかのように色々と思案にふけり出す大地に、西大路が声をかける。

 

 「どうした? ……何か気になる事でもあったか?」

 

 「あ、いえ。 ……ただ、その……」

 

 歯切れの悪い言葉を返す大地。その頭には、もう一つだけ、気にかかっている事があったのだ。

 不思議そうに眉を潜める西大路に、大地は意を決して頼み込んだ。

 

 

 「あの……二年前に起きた、川原町の火災事故についての資料を見せて頂けませんか?」

 

 

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