ネバー

「ただいま」


 三十分ほどして、すみれが戻ってきた。

 部室には俺一人。

 校庭から運動部の掛け声が響いてくるほど部室は静かで、そろそろ夕陽が沈もうかという薄暗い時間。


 差し込む赤い光に照らされるすみれは、ゆっくり俺のところへ来る。


「何読んでたの?」

「うん、すみれがすすめてくれたやつを」

「結構進んだ?」

「もう終盤だよ。面白くてどんどん読んじゃうんだ。気がつけば話が進んでて」

「じゃあすぐに読み終わるね。私も他の本読みながら待ってるから全部読み切っていいよ」

「ほんと? 正直なところそうしたかったんだよ。ごめん、付き合わせることになって」

「いいのいいの。のめり込んじゃって、気がつけばやめれないところまでくることってあるもの」


 すみれは黙って俺の隣に座ると、カバンから取り出した小説を読み始めた。


 俺も、本の続きを読む。


 すみれが勧めてくれた本の内容はこうだ。


 ヒロインは裕福な家庭で育ったが、仕事ばかりの父と自らの趣味にばかり没頭する母を見て、なぜこの二人は結婚したんだろうと深く考えた。


 子供が欲しかったから?

 だとしても、子供の自分を大切にはしてくれていない。

 お金と食事と場所はある。

 でもそこには愛がなかった。


 両親を反面教師にして、恋愛や結婚はしないと考えていたヒロインはしかし、友人や男たちから向けられる自分への損得勘定による好意ではない、本物の愛を経験してみたいと考える。


 無償の愛。

 何も顧みずに自分を、他人を愛してくれる人に出会いたい。

 無性に、誰かを好きになりたい。

 そんな人を、好きになりたい。

 

 高校になると出会いを求めて家を飛び出した。

 そして運命の出会いを果たす。


 たまたま行ったイベント会場を襲った強盗事件に巻き込まれたヒロインは、たまたま居合わせた同級生の男子に助けられる。


 自らの命を顧みず、全力でヒロインを庇う男子。

 彼は名乗ることもなく立ち去ったがすぐに彼の名前と住所を、そして学校が同じであることも知る。

 

 彼の母親のこと、趣味のこと、女性のタイプ、歩き方、走り方、交友関係に至るまで。


 ヒロインは全てを調べ尽くす。

 そして、彼のことを好きになった。


 好きだから調べたのか、調べた結果好きになったのかは定かではない。


 ただ、こんなに他人に興味を惹かれたことは今まで一度もなかった。


 だから確信する。

 彼が運命の人だと。


 そして決断する。

 彼と運命を共にすると。


 彼が万が一にも誰かに目移りしたり、自分への興味をなくしたりしてはいけないと、ヒロインは考える。


 誰とも会わせないように監禁するか、それとも毎日抱いて抱かれて骨抜きになるまで溶け合うか、はたまた既成事実を、つまりは子供を作ってしまえばいいのか。


 そのどれでもなく。

 一緒に、暗いところまで堕ちてしまえばいいのか。


 彼はどんな自分なら受け入れてくれるのか。

 受け入れてくれるなら、どこまでもエスカレートしてしまいそうな自分がいる。


 ヒロインはそう自覚して物語は終盤。


「ねえ、やっぱり帰ろ。早く颯君とイチャイチャしたい」


ヒロインがどんな選択をするのか。

 そのクライマックスのところで。


 すみれの呼びかけに俺は本を閉じた。

 どんな結末が用意されているのかは、また明日のお楽しみだ。


「帰ろっか」

「うん」


 二人で手を繋いで部室を出る。


 彼女の手はとても冷たくて。

 でも、とても柔らかくて。

 細い指は、だけど俺の手を掴んで離さない。

 離れる気がしない。


 彼女に手を引かれて俺は学校を出て。


 夕日に向かって歩き始める。


 どこへ向かっているのか。

 わからない、でも不安はない。


 彼女と一緒だから。

 

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