これは現実

「……」


 シャワーの音が壁越しにうっすら聞こえる。


 今、俺が部屋にいるのに紫すみれは体を洗っている。

 それを想像しただけで理性が簡単に吹き飛びそうになるが、歯を食いしばって俺は耐えた。


 しかし耐えるのが限界。

 そこから先の行動がとれない。


 もし隙を見て部屋を出ようとした時に風呂上がりの彼女と鉢合わせたら。


 裸は見れる。

 が、しかし俺の未来は真っ暗だ。


 一回のラッキースケベのために人生を棒に振るなんて、そんなリスキーな痴漢行為をするような真似はできない。


 しかしここで待っていても無事でいられる保証はない。

 もし紫すみれが俺を誘惑するために何も纏わずに風呂から出てきたら。


 もう、おしまいだ。

 こうして何もしないこともまた、リスクが高い。


 やらずに後悔するならやって後悔しろ。


 それは昔、亡くなったじいちゃんが俺に教えてくれた言葉だ。

  

 勇気を出せ。

 部屋から出たらとりあえず今日の安全は保証される。


「……よし」


 俺は、この部屋からの脱走を決めた。

 決めたからには一刻も早くだ。

 

 迷っているうちに紫すみれが風呂から出てきたら終わりだ。


「……」


 息をのんで部屋を出た。

 そして廊下だ。


 廊下の脇にははキッチンとトイレ、そして浴室があるだけで玄関までさほど長くないはずなのに、その扉が遥か向こうに見える。


 ただ、だからといって怯むわけにはいかない。


 俺はまだ、明日が欲しい。


「ねえ、滝沢君そこでなにしてるのー?」


 廊下に一歩踏み出そうとしたその時。


 お風呂場から可愛らしい声が響いた。


「あ……」

「ふふっ、買い物? それとも忘れ物? あー、もしかして私の入浴を覗こうとしてた? いけないんだー、友達のお風呂覗くとか。ねえ、そこでなにしてるのー?」


 反響音で大きくなった彼女の声が廊下に響く。


 俺は、音を立てないように後退りした。


「……ちょっとトイレ借りようかなって」

「あー、ごめんごめん。でも、もうすぐ私も出るからちょっと我慢できる? ほら、いくら友達でも裸まで見られたら私恥ずかしいし」

「う、うん。そうだね」


 俺はゆっくり扉を閉めた。

 

 そして首を傾げる。

 物音は立てていないはずなのに、どうして彼女は俺が部屋から出ようとしていたことがわかったのか。

 もしかして監視カメラでもついて……いや、自分の部屋に仕掛ける意味がわからないし、それに俺が今日ここに来たのは偶然だ。


 備えておくのも無理な話。


 しかしなんにせよ俺は部屋から出られない。

 そのまま振り切る選択肢もあるが、その時に裸の彼女に止められでもしたら大事件どころでは済まない。

 バレている以上リスクが高すぎる。


 ……どうすりゃいいんだ。



「るんるんるーん」


 よーく見える。

 お風呂場のモニターから彼の姿が。


 元々、防犯用の設備だったんだけどお風呂に入ってる時に部屋の様子を確認してどうなるのかほんと疑問だった。


 でも、こうやって使うんだね。

 ふふっ、ちゃんと部屋に戻ったみたい。


 さて。

 体も清めたし。

 ちゃんと下着も新しいのにかえて。


 今日は夜が長いかなあ。

 

「ちゃんと、おばさまには滝沢君の外泊許可もらってるからね」


 


 

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