一人暮らし

「ここ、私の住んでるアパートなの」


 紫すみれが住んでるアパートとやらは、本当に近所だった。


 俺の家を出て学校側に歩いて最初の角にある三階建てのアパート。


 外観は古いが、大学も近くにあるのでいつも一人暮らしの学生でいっぱいなイメージがあったけど。


「ここ、安くて人気みたいだけどよく入れたね」

「ちょうどアパート探してる時にね、空きがでたの。でも、こんなに近所なのも何かの縁かな」

「そう、かもね。ええと、それじゃここで」


 今日の俺はどこか変だ。

 いつも紫すみれといる時はソワソワしているけど、それは正体がバレないかという風呂から。

 でも今は違う。

 緊張というか、彼女のことをひとりの可愛い女の子として見てしまっている自分がいる。

 きっと手を握られたせいだろうというのはわかっている。

 女の子に免疫がない俺はチョロいのだ。

 ただ、この一時の感情に流されて紫すみれに心を許してはいけない。


 平気な顔で人を縛るような女だということを忘れてはいけない。


「帰るの?」


 キョトンとした顔で、ねだるように俺を見てくる紫。

 また、ドキっとさせられるが心を鬼にしないと。

 それに、一人暮らしの女の子の家に上がり込むなんてそんなこと……


「紫さん、今日はここで」

「帰るの?」

「え? あの、だから俺は」

「帰るの?」

「あ、ええと……」


 手を掴まれたまま、離してくれない。


 大きな瞳で俺を覗き込む紫すみれは、その瞳をなぜか潤ませる。


「どうして帰るの? 一人暮らしだから怖いっていってるのに」

「な、なんで泣いてるの?」

「怖いの。ここ、廊下も暗いしやんちゃそうな人がいっぱい住んでて」


 ぎゅっと手首を握られる。

 強く握られているはずなのに、縄と違って痛くない。

 むしろあたたかく柔らかい。


 そんな彼女の不思議な手の感触に俺の心臓の鼓動はどんどんと強くなっていく。


 外はすっかり暗くなっていた。


 それからのことはよく覚えていない。


 ゆっくり彼女に手を引かれて、見慣れない階段を登った景色はなんとなく思い出せるが。


 気がつけば俺は紫すみれの部屋にいた。

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