混乱

「ただいまー」


 静寂に包まれたまま、紫すみれとの無言の時間がしばらく続いた頃。


 玄関から明るい声がした。


「あ、おばさまが帰ってきたみたい。もう大丈夫?」

「う、うん。大丈夫」

「そ、よかった。おかえりなさーい」


 戸惑う俺を置いて、ようやくその手を解いた紫すみれは母さんを出迎える。


「あら、すみれちゃん来てたの?」

「えへへ、今日は部活が早く終わったので。ついでにカレー作っておきました。颯君とは一緒に先に食べちゃいました。ご飯も新しく炊いてますので」

「あら、助かるわ。ほんと、すみれちゃんうちの子にならないかしら」

「やだー、おばさまったら。私、洗い物してますからお風呂でもどうぞ。沸かしてますので」

「ほんと? もう、こんなことなら毎日来てもらおうかしらー、なんちゃって。ふふっ」

「えへへっ」


 和気藹々。

 そんな二人を見ながら俺はまだ心臓の高鳴りが治らない。


 さっきまでの紫すみれの手の温もりがまだ残っている。


 カレーの味も。

 手首の痛みも。

 彼女の甘い香りも。


 頭が混乱する。

 縛られたままの一方的で強制的な食事に震えていたはずなのに、なぜか俺は興奮していた。


 あんな目に遭わされたのに。

 紫すみれにされたことを母さんに話そうなんて気にはならない。


「……」

「颯、どうしたの? すみれちゃんに迷惑かけてない?」

「う、うん」

「じゃあ母さんは風呂入ってくるから。すみれちゃんが帰る時はちゃんと送るのよ」

「わかったよ」


 母さんは風呂へ。

 そして紫すみれは片付けを始める。


 俺はキッチンの椅子に座って、スマホを手に取る。

 

 すると、何件か着信があった。 

 登録してない番号だが、ついさっき見た番号なので誰からかはわかる。


 三船咲だ。


 しかしかけ直すなんてことはしない。


 そこに紫すみれがいる。

 かけたらまた縛られるかもしれない。


「片付け終わったら帰るから。滝沢君、送っていってくれる?」

「も、もちろん。紫さんって家、近いの?」

「うん、歩いてすぐだよ」

「そうなんだ。高校からこっちにきたの?」

「まあそんな感じ」

「一人暮らし?」

「そうなの。だから夜道はちょっと不安だし。滝沢君がいてくれたらすごく助かるなあ」


 そんな話をしたあと、また静かに片付けを始める彼女を俺は無言で見守った。


 そして帰り支度を済ませた彼女と一緒に家を出て。


 紫すみれを家まで送っていくこととなったのである。


 

 

 

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