心当たりはなあい?

「……ごめんなさい!」


 廊下で深呼吸して、意を決して、覚悟を決めて、死ぬ気で家庭科準備室へ飛び込んだ俺は開口一番謝りながら土下座した。


 土下座しながら謝った、というべきか。

 すると明るい声が聞こえてくる。


「反省してるの? 私に嘘ついたこと、ちゃんと悪いって思ってくれてるんだあ」


 快活な、乾いた声につられて俺は顔を上げた。


 すると、


「あ……」

「動いたらダメだよ? まだ聞きたいことたくさんあるから」


 俺の鼻先に鉛筆の尖った芯がちょこんと触れた。

 たかが鉛筆だが、しっかり削られていて刺されば大怪我は間違いない。

 冷や汗が頬を伝い、喉が閉まって声を失った。


「質問その一。あの女の子とはやっぱり仲がいいの?」

「あ……」

「どうなの? ねえ、否定してくれないの?」


 鉛筆がちくりと鼻先にめり込む。

 その瞬間、俺は声が出た。


「ち、ちがうよ! あの子のことは本当に知らないんだ!」

「ほんと? じゃあ、次の質問ね。部活、楽しみにしてくれてる?」

「え? も、もちろんだよ! 放課後が待ち遠しくて仕方ないんだよ俺」

「そっか、よかったあ。じゃあ最後の質問ね」

 

 鉛筆は俺の鼻先から離れた。

 それにホッとして息を吐く俺に対して、覗き込むようにしながら彼女は聞いた。


「あの日のももにゃんの中の人、心当たりはなあい?」



「……やっぱり言えない」


 家庭科準備室で紫すみれにされた最後の質問に対して俺は、「知らない」と答えた。

 嘘をついた。

 

 しかしその時の彼女の反応は案外あっさりしていて、「そっかあ。じゃあ仕方ないね」と言って俺を解放してくれた。


 で、解放されたので俺は教室に戻ってきたわけだが。


「……いないな」


 俺が警戒していたのは三船咲という女。

 彼女が俺を待ち伏せしていて、また話しかけられたらどうしよう思っていたがそんなことはなく。


 無事、自分の席に五体満足で帰ってこれた。

 今はこの硬い椅子の座り心地も落ち着く。

 傷んだ狭い机の冷たさが気持ちいい。


「はあ……」


 いつもなら放課後が待ち遠しかったのだけど。

 今はずっと授業をしていてほしいと願ってしまう。

 それくらい俺は参っていた。

 紫すみれは十中八九俺の正体に気付いている。

 なんであんな回りくどい質問の仕方をするのかはわからないが、目星をつけていることは間違いない。

 そして俺は何度も嘘を重ねてしまっている。

 もう手遅れだ。

 今から謝ったところで許してはもらえないだろう。

 いや、許してもらえたとしても待っているのは紫すみれからの束縛だ。


 やはり隠し通すしかない。

 放課後、部活が終わったら証拠隠滅のために俺の正体を知る人たちに連絡をしておかないと。


 絶対に俺がバイトしていたことを言わないでくれと。

 


 

 

 

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