ご挨拶もしなくっちゃ

「明日読む本かあ……」


 帰り道も紫すみれはおとなしかった。

 時々、なんでもないことを話しかけてくれたりはしたが、昨日までのように踏み込んだ質問とかもなく。

 それはそれで平和でよかったのだが、かえってそれが不気味ではあった。

 嵐の前の静けさというか。

 何かの前兆のような気さえしてくる。

 それにさっき部室で彼女が見せた暗い表情。

 やはり彼女の機嫌を損なうと危険な香りがする。


「ちゃんと約束は守らないとな……ん?」


 部屋に戻ってすぐ、本棚を漁っているとラインがきた。

 スマホを見ると、紫すみれからメッセージが入っていた。


「明日の本、楽しみにしてるね。部活、頑張ろうね。」


 そんなメッセージに俺は、少し体が熱くなった。

 女の子からもらった初めてのラインだからというのもある。

 それに相手があの紫すみれとなれば、男なら誰だって興奮の一つくらいするのが当然だ。


 理由はどうあれ、学園のアイドルに明日俺と話をすることを楽しみにしていると言われる日がくるなんて、数日前には想像もつかなかっただろう。


「……なんて返したらいいんだろう」


 俺はこの通り女の子とろくに話したこともない非リア充野郎だ。

 気の利いた返事も思いつかない。

 

 手を止めて、彼女から来たメッセージをじっと見つめながら悩んでいると、さらに通知音と共にメッセージが入ってくる。


「ねえ、今なにしてるの?」

「ねえ、ちゃんと本探してる?」

「ねえ、もしかして家に誰かいるの?」

「ねえ、既読スルーはちょっと辛いなあ」


 彼女からのメッセージが画面を埋め尽くしていく。

 その勢いと得体の知れない圧力に俺は、言葉を失った。


 そして思い出した。

 彼女は病んでいる。

 メンヘラなのだ。


 少し浮かれていた自分がなんと愚かで安直な人間なのか、改めてそれを知る。

 この子には気を許してはいけない。

 まだ俺が彼女の想い人だと確定もしていない状況で、こんなに何通もラインを送りつけてくるなんて正気じゃない。


 友達関係ですらこうなら、もし本当に付き合ったりなんかしたら監禁どころの騒ぎではないことは容易に想像がつく。


 怖い。

 だけど今日俺は学んだこともある。

 彼女の機嫌を損ねてもいけない。


「ごめん、なんて返したらいいかわかんなくて。ちゃんと探してるところだよ」


 不慣れな手つきで、震える指でなんとかそうメッセージを送った。

 するとすぐに、


「よかった、無視されてるのかと思っちゃった。じゃあ明日の朝、どうなったか聞かせてね」


 そのラインが来たあと、俺の方から「わかった、頑張る」と送ってメッセージは途切れた。


 ホッと一息ついたあと、俺はひとまず風呂に入った。

 そして気を落ち着かせてから、風呂を出てすぐにスマホをチェック。 

 彼女から何も連絡が来ていないことにもう一度胸を撫で下ろして、そこからようやく明日の部活で使う本を探すことに。


 ラノベが好きだと、彼女はそう言っていた。

 俺もラノベは好きだが、しかしジャンルでいえばツンデレヒロインの話が俺の好みだ。

 ここはひとつ、俺の好きなものを彼女に読ませてみることにしよう。

 彼女のメンヘラ気質が根っからのものではなく本などの影響なのだとすれば、読む本によってはその性格が変わることもあるかもしれない。


 そんなわずかな可能性を信じて俺は、ツンデレ要素が詰まった本を数冊選んでカバンに詰め込んだ。



「おはよう滝沢君」

「お、おはよう紫さん」


 朝。

 今日はなんと紫すみれが自宅まで俺を迎えにやってきた。

 家の前で偶然、とかではなく。

 玄関まできてピンポンを鳴らして、俺を呼びにきた。


 母さんがリビングにいたのだが、ピンポンが鳴った瞬間に、家を出る準備がちょうど整っていた俺は直感でそれが紫すみれだとわかって荷物を持って飛び出したのだが。


「颯太、お客さん? あら、その子は」

「か、母さん? もう、出なくていいって言ったじゃんか」


 もちろん朝から俺を迎えにくる友人なんて今まで一人もいなかったもんだから、母さんも不思議そうに玄関まで来てしまった。


 できればというか、話がややこしくなるので紫すみれには会わせたくなかったのだけどこうなっては手遅れ。

 とりあえず適当な言い訳をつけて誤魔化そうとあたふたしていると、そんな俺になど目もくれず母さんは紫すみれに話しかける。


「すみれちゃんじゃない。今日はわざわざ颯太を迎えにきてくれたの?」

「おばさまおはようございます。ええ、通り道ですし、実は昨日から同じ部活になって、それで」

「あら、そうなの? この子ったらそういう話全然してくれないから。じゃあ、颯太をよろしくね」


 ぽんっと母さんに背中を押されて俺は玄関の外へ。

 そしてニヤニヤしながら「いってらっしゃい」と言って母さんは玄関を閉めた。


「あ……」

「どうしたの滝沢君?」

「え、いや……あの、母さんとは面識があったの?」


 まず気になったのはそこだ。

 母さんは紫の名前を知っていたが、俺から彼女の話をしたことなんて一切ないし、母さんは専業主婦だから外で彼女と知り合う機会なんてそもそも考えにくい。

 だとすればどうして二人は知り合いなのか。


 それを聞くと彼女は笑いながら説明してくれた。


「滝沢君のお母さんとは夕方買い物するスーパーでよく会うの。でね、息子さんが同級生だってことは聞いてたんだ」

「そ、そっか。なんだ、前から知り合いだったんだね」

「ねー。世間って狭いよね。知り合いの人の息子さんと同級生で、こうして友達になるなんて」

「ほ、ほんとだね」


 彼女のメンヘラ気質にすっかり警戒心を高めている俺はてっきり彼女が俺のいないところで母さんに近づいていたんじゃないかなんて、よからぬ想像をしてしまったがどうやら違ったようだ。

 まあ、住んでるところは近所みたいだしこういう偶然もあるかなと。


 勝手に納得して一緒に学校へ向かった。





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