第55話 満月の夜に君は誰を想う(2)
あかりと久遠が待機している洞窟前から見える距離にある天抄湖。
雄大な羽織山を望む湖の南側には、観光スポットや島民の憩いの場として知られる広い公園があった。
湖に面した広い敷地には観光者向けの土産物店や、クレープやアイスクリームの売店が並び、海側へと続く遊歩道に沿ってベンチが点在している。
普段は湖を訪れた観光客が買い物や軽食を楽しんだり、緩やかな斜面の草地や点在するベンチで湖の風景を眺める家族連れや恋人達で常に賑わう場所だ。
だが、今夜は水を打ったように静まり返っており、設置された無数の投光器が夜の
その中心には滝川大進と諏訪内静香の機体が並び立っていた。
国連組織UNITTEが保有する機械の鎧「ディメンジョン・アーマー」である。
第四世代型と呼ばれる大進の機体は、鉢金と鎖頭巾を模した頭部と緑に染めた胸部以外の部分は一真の機体と共通であったが、大進の高い身体能力に合わせて機動性重視の調整がされると共に、防御力を担保するために甲冑の大袖に似た盾が両肩に装備されている。
背中に取り付けた愛用の大剣は、大人の背丈ほどの大きさのある
横に立つ静香の第五世代型は、直線的なパーツが多かった前世代型から一転し、曲線を多く用いた新しい装甲が描く美しいフォルムを持っているのが特徴的だ。
第四世代フレームへの新型装甲導入の他に、静香の
背部に装備された二対の羽根のような
その結果、ディメンジョン・アーマーの中でも特に流麗な姿を持つと共に、搭乗者の保護と継戦能力に優れた機体となっていた。
「静香殿。」
諏訪内静香の機体に、大進からの通信が入る。
「準備は万全のようでござるな。」
「はい、大進君。」
静香はそう言って頷く。
「全くとんだことになってしまって、なんだか残念でござるな。」
「え……?」
「今夜、一緒に話をする予定だったでござろう。」
「……はい。」
「拙者も話したいことがあったでござる。……しばらく、その……ゆっくり話をする時間も無かったでござるからな。」
静香は頭部装甲の下で小さく微笑むと、大進の左腕にそっと手を当てる。
「大丈夫です。夜は……長いですから。」
「そうでござるな。次元獣など、さっさと片付けてしまうとするでござるか。」
大進の力強い言葉に、静香は黙って頷いた。
『滝川君、諏訪内君。もうすぐ次元獣が湖に到達する。準備の方は大丈夫か。』
二人の元に、筑浦研究所の北沢主任から通信が届く。
今回の調査活動では、現場での全体指揮を御堂一真が担当し、羽衣島研究所にいる篠宮良子達が久遠とあかりを、筑浦にいる北沢主任達のチームが大進と静香のサポートを行う、という変則的な形となっていた。
「万全でござるよ。
『十五年前でも三体しか目撃例のない珍しいタイプだ。LD型のようなドラゴンタイプの形状だが、複数の頭部を持つのが特徴だ。』
大進と静香の内部ディスプレイに、HD型の三次元データが表示される。
そこには五つの長い頭部を持つ直立した竜が表示されていた。
「ヤマタノオロチのようなものでござるな。」
『そういうことだな。十五年前、スイスのレマン湖に出現した個体を捕獲したジュネーブ事務局がずっと隠し持っていたらしい。捕獲時の戦闘で五つの頭部のうち二つを失ってるが、残りの頭部から繰り出される攻撃は未知数で、両手の鉤爪や長い尾の攻撃も強力だ。落ち着いて対処してくれ。」
「心得たでござる。」
『頼んだぞ、二人とも。あとは篠宮君からの調査開始指示を待ってくれ。』
北沢主任からの通信が切れると、大進は眼前に広がる湖を見つめた。
赤い月影が映る湖の水面に、大進は前回の筑浦水郷パークでの調査活動を思い出していた。
機体の外部カメラを空に向けると、黒い巨大な影のような布織山の斜め上に、うっすらと赤みを帯びた満月が輝いている。
(前回のようなことには絶対にさせぬでござる。)
彼の脳裏には、霞ヶ浦に面した筑浦水郷パークで四体の水棲型次元獣と戦った記憶が蘇っていた。
LZ型が振るう槍や、お互いの装甲がぶつかり合う金属音が彼の頭の中で響く。
優勢だったはずの状況が、次元獣の並外れた生命力の前に一転し、大進と静香は一時的に窮地に陥った。
辛くも勝利を得たが、静香は力を制御できずに強大な超越力を暴走させることとなってしまったのだ。
(拙者の甘さゆえに、あのようなことになってしまったのござる……。)
静香が我を忘れて念動力を振るう姿が
その時、湖を見つめていた大進の脳裏に、彼の姉であり師匠でもある滝川しのぶの言葉がよぎった。
(お前も本当はすでにわかっていよう。……向かい合う時が来たのではないか。)
大進は横に立つ鎧姿の静香に目を向ける。
彼女を包む薄灰色の鎧は、大弓を手にしたまま湖を見つめていた。
(わかっているでござるよ、姉上。拙者が自分の心から目を逸らしていたことが全ての迷いを生んでいたのでござる。向き合うでござる。自分自身の心と。そして……。)
彼は月の光を浴びて輝いている静香の機体を見つめたまま心の中でそう呟くと、再び赤い月の輝く夜空に目を向けた。
◇
大進と並ぶようにして無言で湖を見つめていた静香は、意を決したように口を開く。
「……北沢主任。五浦さんと少し話したいのですが、いいでしょうか。」
『五浦教授と……? ……わかった。作戦開始ラインに到達するまでまだ少しだけ時間がある。直接回線を繋ぐが、メイン回線の受信だけはできるようにはしておいてくれ。』
「ありがとうございます。北沢主任。」
静香はそう言うと、大進の機体に目を移す。
鎧に身を包んだ彼は、静香を見て小さく頷いた。
◇
『久しぶりね、静香。とんだバカンスになっちゃったわね。』
直接回線で静香の耳元に届いた五浦の優しげな声に、彼女は金属製の面貌の下でホッとした表情を見せる。
彼女が羽衣島の合宿に来て以来、五浦と話すのは初めてだった。
この数年、こんなに長く五浦と話さなかったのも記憶になかった上に、前回の調査からは普段の仕事でも必要な会話以外はあまり交わしていなかったのだ。
「……五浦さん……。」
『どうしたの、静香。』
彼女からの通信には周りの喧騒が聞こえておらず、声に小さな反響があることから第一研究室から出た廊下で話しているようだった。
静香の機体も待機場所から少し離れた場所に移動しており、二人の直接通信を聞いているのは静香と五浦だけだった。
静香はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「覚えてますか、筑浦水郷パークでの調査前日のこと……。」
『ええ。』
五浦は短く、だができる限り優しい口調で答えた。
調査前日の最終確認MTGにて、その日の静香の変調を感じ取っていた彼女は、大進と組んで調査に臨むことになっていた静香の出撃を止める提案を行った。
それに対して、静香は反射的に強く拒否したのだ。
五浦は、今まで見たことがない反応を示した彼女の姿を、まるで昨日のことのように思い出せていた。
静香は小さな声で話し出す。
「……私、怖かったんです。」
『静香……。』
「彼とは……大進君とは……昔からずっと一緒にいたのに、高校に入ってからは彼との時間はどんどん少なくなっていくし、お互いの環境も変わっていって。これ以上彼との関係が変わっていくのが怖かったんです。あの時の私は、彼と繋がる確実なものは、もうこの機械の鎧だけだと思っていたから……。」
「……静香。」
「五浦さんは、私のことを真剣に考えていたからこそ、ああやって私を止めてくれたのに……。」
五浦は彼女の言葉が震え、掠れていくのを感じていた。
静香は絞り出すようにして告げる。
「私、ずっと謝りたくて……。」
『静香……。』
五浦は少し間を置いて、ゆっくりと話し始める。
『静香は、超越力が暴走しそうになったあの時のことを覚えている?』
水郷パークでの調査で我を失った静香は、これまでに彼女自身でも経験がないほどの強い念動力で、次元獣の巨躯を易々と捻り潰そうとしたのだ。
静香の耳元に、彼女を止めようと研究室から届いた五浦の声が再現される。
「……はい。あの時、五浦さんの言葉が聞こえなければ、私、どうなっていたか……。」
『あの時、私はね。あなたの力を自分の怒りやフラストレーションを晴らすために使ってほしくなかったの。それは、あなたが一番望んでいなかったことだものね、静香。』
「五浦さん……。」
『でもね、静香。あの後少し考えたわ。私はいつしかあなたのことを
五浦は続ける。
『喜びや愛情。怒りや不満。どんな心も、それはあなたの一部だわ。それに蓋をせずに、自分自身で受け止めて昇華させることができれば、決して間違った方向に力を使うことはないもの。」
「……どんな心も……私の一部……。」
「心を解き放って、静香。たとえ心のままに思い切り力を使ったとしても、きっとあなたは大丈夫。……それにね。」
「それに?」
五浦は小さな笑みを浮かべて彼女に答える。
「大進君みたいなタイプはね、
五浦の笑い声混じりの言葉に、静香は頬を赤らめながらも小さく口を尖らせる。
「……五浦教授の方が彼のことをわかっているみたいでちょっと悔しいです。やっぱりお医者様だからですか。」
五浦は廊下の壁に背をもたげて、思わず優しげな笑み見せる。
考えてみれば、彼女が静香にこんな話題を出すのは初めてのことだった。
「医師や研究者としてというより、長年やってきた同性の先輩としてのアドバイスね。あなたの心のわだかまりが解けた時、彼に思い切り気持ちをぶつけてらっしゃい、静香。」
「……はい!」
静香は目を潤ませてそう答えると、ディスプレイに映る五浦に微笑みを返した。
◇
UNITTE羽衣島研究所の中央研究室。
研究者達が忙しく作業を進める中、筑浦の北沢主任から通信が届いた。
『篠宮君、諏訪内君と五浦教授の直接通信が終了したところだ。二機とも調査ポイントWで配置についている。』
『こちらこそありがとうございました、北沢主任、五浦教授。』
壁面ディスプレイに映る北沢と五浦に、良子は頭を下げる。
(良かったわ。静香も少しは楽になったかしら。)
彼女はほっとした表情で笑みを浮かべた。
中央研究室では、壁一面を使ったディスプレイを前に立つ篠宮良子を中心に、大鳥真美博士、リードメカニックの南ひろ子、羽衣島研究所の楠木、水瀬、柊といった中心メンバーと研究員達が各席についていた。
彼らから少し離れた位置で不安そうに画面を見つめているのは、御堂一真の妹である千鶴だった。
通信用のヘッドセットをつけた楠木副所長が立ち上がると、千鶴の元に歩み寄って話しかける。
「本当に大丈夫なの? 千鶴ちゃん。やっぱり、別の部屋にいても良いのよ?」
次元獣と呼ばれる存在は十五年前に出現した時の映像が各所に残っているため、千鶴のみならず世界中の人間がその姿を知っていた。
だが、その次元獣が再び現れて世を脅かす姿を見るのは、UNITTEと無関係である中学三年生の彼女にとって大きな負担になると楠木は考えていたのだ。
「……はい。本当のことを言えば少し怖いんですが……。見なくちゃいけないと思ったんです。お兄ちゃんが……自分自身を危険に晒して戦っている姿を……。」
彼女の小さな、しかし決然とした声に、楠木は小さく頷く。
「わかったわ。ここで、一真君やみんなのことを応援してあげてね。」
小さな手を固く握りしめて壁面ディスプレイを見つめる千鶴の肩に、楠木はそっと手をのせた。
(線が細いように見えて、芯が強い子だわ。さすが、あの一真君の妹さんね。)
◇
篠宮良子はデスクに手を置いたまま、壁面ディスプレイを凝視している。
手のひらにはじっとりと汗をかいていた。
複数に分かれたウィンドウには、現地に立つ五体の機械の鎧が映し出されている。
撮影用に固定されたカメラの一つが送り届けている映像の隅に、赤い満月が輝いていることに気が付いた。
(前回の大規模調査も満月だったわね……。)
『境界』と呼ばれる異空間、そしてその境界から現れる次元獣は、月齢と関係があることが知られていた。
UNITTEが初めて行った大規模調査が終わった夜、満月の下で抱きしめた白い鎧の姿が脳裏に浮かぶ。
(久遠君……。結局、私はまたあなたを白騎士にのせることになってしまった……。)
彼女が心の中で発した言葉をかき消すように、ディスプレイに表示された湖周辺の地図に赤い警告表示が灯る。
「篠宮所長代理、次元獣が開始予定ラインを通過しました。」
オペレーターを務める
中央研究室にいる研究者やスタッフの視線が彼女に集まる。
何よりも緊張する瞬間だった。
今ならまだ作戦を変更できるかもしれない。
今ならまだ調査を止められるかもしれない。
だが、自分が開始を告げると同時に、その可能性は失われ、運命が変わる。
機械の鎧を駆る五人。
UNITTEに関わる多くの人々。
そして、この世界。
変わるのだ。それぞれの運命が。
少しずつ。あるいは大きく。
それは重く閉ざされた扉に、小さな鍵を差し込むような瞬間だった。
良子はほんの僅かの間、目を閉じて心の中で告げる。
(みんな、どうか無事で……。あかり、静香、一真君、大進君。そして……久遠君。)
彼女は再び目を開き、静かに、そしてはっきりと宣言する。
「これより、国際連合ウィーン事務局外的脅威局UNITTEは、天翔湖周辺緊急調査を開始します。」
篠宮良子の言葉と同時に、画面に表示されたステータスは調査開始に変わり、タイムコードのカウントが始まる。
研究者やメカニック達が筑浦研究所や現地付近に設営された後方支援ベースとのやり取りを始める喧騒の中で、篠宮良子はディスプレイを見つめ、心の中でそっと呟いた。
(久遠君、必ず無事で帰ってきて……。そして……見守っていてね。彼方……。)
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