第54話 満月の夜に君は誰を想う(1)
羽衣島から遠く離れた筑浦市郊外の住宅街。
一軒家の二階にある勉強部屋では、ベッドに寝転んで月を眺めている少女がいた。
長い銀色の髪を白いシーツに流すように横たわっているのは、御堂一真のクラスメートである朝霧鏡花だった。
「羽衣島で一部交通規制だって。」
鏡花は耳に届いた声に目を向ける。
そこには、部屋の主である黒髪の少女がいた。
襟のついた部屋着の彼女は、銀縁の眼鏡をかけた瞳をスマートフォンに落としている。
「え、マジで。なんでわかったの、委員長。」
「通知が来たの。羽衣島の観光サイトから。天抄総合公園の近くで不発弾が見つかったんだって。」
「うわー……。眼鏡クン達、大丈夫かなあ。」
「大丈夫でしょ。国連の発表では、不発弾は今のとこ爆発の危険はないみたいだし。今頃、別荘に籠もってゲームでもしてるんじゃない? 一応、メッセは入れとくけど。」
「やっぱり心配だよねえ。」
鏡花はニヤニヤしながら委員長の横顔を見つめる。
「当たり前でしょ。クラスメートなんだから。」
彼女は無表情にそう呟きながら、短い文章を打つとスマートフォンをテーブルに置いた。
「だよね。友達だもんね。」
委員長は横目で鏡花を見ると、小さくため息をついて立ち上がった。
「そろそろ夕飯の時間ね。母が、お友達も一緒に、だって。」
「いいの? 私も。」
ベッドから跳ね起きた鏡花を見て、委員長は少し恥ずかしそうに呟く。
「……ここにはあなた以外にいないでしょ。お友達は。」
「うへへ。ちょっと嬉しいかも。」
「食事終わったら、予定どおり勉強の続きだからね。あなたが自分の家で勉強できないって言うから
「いやあ。委員長のベッドは寝心地がよくってさ。」
鏡花の屈託のない笑顔に委員長は小さくため息をつくと、部屋のドアを開ける。
「私、ちょっと先に行ってるから。すぐに降りてきてよね。」
「はあい。」
委員長が階段を降りていく音が遠ざかると、鏡花は再びベッドに寝転んでぽつりと呟いた。
「国連からの発表は不発弾の処理かー。定番だな。」
そして、窓越しに彼女を見下ろす満月に語りかけるように囁く。
「やっぱ出ちゃったねえ、お化け。」
彼女は銀色の長い髪を細い指先で弄びながら続ける。
「眼鏡クンとお友達は、これから南の島で肝試しだ。」
鏡花は、彼女の小さな
「御堂一真君。私、あのお月様を見ながら、君のこと考えているよ。」
鏡花は白い手を赤い満月へと伸ばす。
「君は今、誰のことを想ってる……?」
◇
羽衣島の南東にあたる天抄湖付近では、地元警察と国際連合による交通規制が敷かれていた。
普段は観光客や地元の住人達の姿が見られる時間帯だが、今日はひっそりと静まり返っている。
天抄総合公園の管理棟では、薄灰色の装甲に身を包んだ御堂一真が夜空を見上げていた。
満月は妖しく輝き、星々の光もかき消さんばかりだ。
今まさに調査活動が始まろうとしている時に、赤く光る月から目を逸らすことができない自分を一真は不思議に感じていた。
『一真、一真ったら。』
耳元の骨伝導スピーカーから届いた城戸あかりの声に、一真が応える。
「……なんだ。」
『状況はどうなの。次元獣は?』
「進みが遅くなっているが、ルートは予測通りだ。おそらく大進達がいる湖の方が先に現れるだろう。」
『了解。なあに、一真。ぼーっとしちゃってさ。どうせ、例の女の子のことでも考えてたんでしょ。』
「……。くだらんこと言ってる暇があったら、久遠と作戦の確認をしておいてくれ。そっちにもすぐにヤツが来るぞ。」
一真は通信を切ると、大きくため息をついた。
(まったく、どうしたって言うんだ俺は……。)
彼はそう心の中で呟くと、内部ディスプレイに映る赤い満月から目を逸らすように瞳を閉じる。
闇に揺れる銀色の長い髪が彼の
◇
御堂一真が配置されている管理棟からさほど離れていない場所にある小さな丘の斜面には、古い洞窟の入り口があった。
「湖畔の洞窟」と言う名で島の観光名所にもなっている古い洞穴である。
入口から数十メートルほどより先は、自治体のバリケードにより完全に塞がれているものの、奥の方はかつて避難所や防空壕として使われたほど深く、そのさらに先は島の地下で網の目のように広がる地下空洞に繋がっていた。
木製の看板が立てられた洞穴の入口には、投光器の光を受けて輝く二体のディメンジョン・アーマーが佇んでいる。
城戸あかりの機体と、久遠が駆る白騎士と呼ばれる機体だった。
どちらも他の機体と同じく西洋鎧を思わせる外観であったが、あかりの機体は全体が直線的なパーツで構成されており、久遠を包む白亜の鎧はクラシカルで流線的なフォルムを持ち、胸部や腕の装甲の一部に装飾が施されていた。
あかりの第三世代機には愛用のトンファーと長槍が装備されている。
久遠の白騎士は、前回の調査では無かった白い大槍と巨大な盾を手にしていた。
彼らの元に、管理棟屋上の一真から通信が入る。
『二人とも、そろそろ調査活動開始の時刻だ。』
洞窟の前に配置されているあかりと久遠は揃って頷く。
『久遠、作戦は先ほど話した通り。攻撃はあかりに任せて、次元獣の気を引きつつ、防御に徹してくれ。』
「了解です。一真君。」
『あかりは大きく動いて奴の隙を作ってくれ。俺がこいつで射抜く。』
一真が金属製の掌を、傍に設置された巨大な砲身にのせる音がした。
あかりが口を尖らせて通信を開く。
「別にあたしがやっつけちゃってもいいんだよね。良子。」
羽衣島研究所の中央研究室にいる篠宮良子は、小さく息をつくと困り顔で答える。
『今回の次元獣は前回調査したOG型よりもさらに大型で、装甲も頑丈だわ。無理せずに一真君の狙撃に頼るようにして。』
「管理棟に設置した、例の小型砲ですね。」
久遠の通信に大鳥真美が答える。
『ああ。一真に持たせた「ディメンジョン・ランチャー」は、前回の調査で使った
真美の説明を受けて、良子があかりに語りかける。
『今回はUNITTEの新兵器に花を持たせると思って。ね、あかり。』
「はあい。新兵器なら仕方ないわね。」
そう答えたあかりは、久遠の方を向き直る。
彼女は鎧姿で白騎士の周りを歩き、前方と横からその姿をしげしげと見物すると、心底惚れ惚れした声をあげた。
「久遠君の盾と槍! やっぱカッコいい……! いいなあ。」
「えっと……そうかな……。」
同じく鎧姿の久遠は、手にした巨大な盾と長い槍に隠れるようにしながら恥ずかしそうに答えた。
二人の様子をモニターで見ていた真美から、自慢げな通信が入る。
『どうだい、カッコいいだろう。白騎士専用に開発した大盾「ヴァイス・シェル」に「ディメンジョン・ランス」。ウチの開発部門こだわりの品だ。見てくれ、この流線美と光沢……!』
大鳥真美のうっとりした声が通信で届くと、あかりは再び彼の新しい装備を見つめた。
UNITTEの紋章が深い青色で描かれた白亜の盾は、上方に流麗なカーブを描いたシルエットを持つ美しい盾だった。
厚い複合金属で造られ、鏡のように磨かれたその表面には何層にもコーティング加工が施されて艶かしいほどの光沢を纏っている。
右手に持った円錐状の穂先を持つ長い槍は、持ち手を包むガードが優美な曲線を描いており、槍全体を包む輝くような白色と相まって、まるで盾と揃いでデザインされたかのようだった。
二人の元に、篠宮良子からの通信が入る。
『久遠君。盾の使い方は水瀬さんから説明を受けているわね。これまで開発した装備の中でも、最も高い防御力があるわ。でも、油断は禁物よ。』
はい、と小さく答えて頷く久遠。良子の通信が続く。
『あかり、久遠君は本格的な調査は今回が初めてになるわ。あなたがリードしてあげて。』
「分かったわ、良子。大丈夫よ。久遠君のことは私がしっかり守ったげる。」
そう言って彼女の機体は金属製の親指を立てた。
『ええ。頼むわね。二人とも、しっかりね。』
良子からの通信が終わると、久遠とあかりは洞窟入口の両側へと戻った。
あかりは面貌の内部に取り付けられているディスプレイに映る白騎士の姿に目を向ける。
(久遠君のことを守る……。私、なんであんなことをサラリと言ったんだろう。)
あかりは、自分が先ほど言ったばかりの台詞を反芻していた。
(そうよね。久遠君は大事な仲間だから。きっとそう……。)
あかりは自分に言い聞かせるように心の中で呟くと、夜空を見上げた。
白い装甲に身を包んだ久遠は、まるであつらえたように機体にフィットしている盾と槍を見つめている。
彼は、羽衣島研究所で装備品のレクチャーを受けた後に、大鳥真美が小声で打ち明けたことをふと思い出す。
(その槍と盾はな、良子からのオーダーなんだ。彼女も内心複雑なんだよ。すまないが、わかってやってくれ。)
身を守るためだけには大き過ぎるような盾と、敵から距離をとって戦うための長い槍。
それらは、久遠が白騎士を駆ることを内心では拒んでいる篠宮良子の複雑な心境が形になったかのようだった。
(だとしたら、なぜ篠宮先生は再び僕がこの鎧を身につけることを半ば予測してこの武器を用意してくれたんだろう……。)
久遠は頭によぎった考えを振り払うように、盾と槍を構え直して洞窟の前に立つ。
磨き抜かれた白い盾の表面には、夜空の赤い月が映し出されていた。
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