第49話 ムーンライト・セッション

 久遠達の合宿は七日目を迎えていた。

主目的であるレポート作成も大詰めとなり、朝から晩まで一日中、各チームごとに細かい修正や最終的なまとめを行っていた。

いつも通り夕食と食後のお茶会を終えた後は、今日は各自早めに部屋に戻り、それぞれの時間を過ごしていた。


   ◇


 御堂一真は窓辺に置かれた一人がけの革張りソファーに身体を預けるようにして座っていた。

目の前のガラステーブルにはスタンドで立てた携帯ゲーム機が置かれ、画面には横たわる巨大なモンスターを囲むようにして立つ三人のキャラクターが映し出されている。

ファンタジー世界を舞台にしたオンラインゲームらしく、赤茶けた大地の上に立っているのは黒髪の男性剣士と、大斧を持った赤髪の巨漢女性、そして長弓を持った銀髪の軽戦士だった。

『いやー、やっぱ眼鏡クンは強いねえ。助かっちゃった。』

銀髪のエルフ女性が、画面を覗き込む一真に挨拶を送るように手を振る。

愛用のワイヤレスヘッドフォンから聞こえてくる声に、一真は小さくため息をついた。

オンラインゲーム内のボイスチャットで彼と話をしているのは、クラスメートの朝霧鏡花と委員長だった。

夏休み前に一真と同じゲームを購入した鏡花は、何かと理由をつけては一真と委員長をオンラインでの協力プレイに誘っていたのだ。

『流石にこのエリアの大ボスは強かったね……。私、うまくできなかった。』

ぽつりと呟いた委員長に、一真が答える。

『そんなことはない。委員長はマップが完全に頭に入ってるし、アイテムの使い方も的確だった。あと少し操作に慣れれば、もう少し上のエリアにも行けそうだな。』

『御堂君……。』

『眼鏡クン、私も褒めてよー。』

朝霧鏡花の拗ねたような声が入ってくる。

一真は画面の中でこちらを指差してくる銀髪のエルフを見ながら、大きなため息をついた。

『鏡花は狙撃手らしくなったな。エイムは前から正確だったが、立ち回りが抜群に上手くなった。特に、動かないところがすごくいい。』

『動かないところ?』

委員長の質問に、鏡花が代わりに答える。

『良い狙撃手の条件は味方を信頼すること。そうでしょ、眼鏡クン?』

「よく覚えてたな。狙撃手は味方が敵を掃討してくれることを信じて無駄に動かない。味方は狙撃手が無駄に動かず敵を足止めしてくれると信じてるから、大胆に動いて敵を掃討できる。お互いの信頼関係が大事なんだ。」

『……そうなんだ。』

委員長は短く言葉を返す。

このゲームでは初心者向けとされる接近戦用の大斧をようやく使いこなせるようになったばかりだというのに、同じ頃に始めたばかりの鏡花は難易度の高い長弓や狙撃銃を自在に扱っているのだ。

『委員長、今嫉妬したっしょ。私と眼鏡クンの強い絆に。』

『……! ……してません。』

「全く……。」

一真は再び深いため息をつくと、ふと窓から差し込んできた白い光に惹かれるように外に目を向ける。

薄い雲に覆われていた月が僅かに姿を見せようとしていた。

『ところでどう、南の島は? 眼鏡クン。』

「どうって、何のことだ。」

『決まってるじゃん。アバンチュールとか、不純異性交遊とか。』

『鏡花さん?』

『委員長も気になるっしょ?』

『別に気になりません。』

画面の中でキャラクターを向かい合わせて口論している二人を見て、一真は呆れ顔で答える。

「あるわけないだろ。この島には仕事と部活で来てるんだ。妹も一緒だしな。」

『なんだ、つまんないの。早く帰ってきてさー、夏休みデートしようよ。』

『ちょ、ちょっと……。』

『もちろん、委員長も一緒でいいよ。ライバルがいた方が燃えるし。委員長もそうでしょ?』

『ラ、ライバル!?』

ヘッドフォンから流れる委員長の裏返った声を聞きながら、一真はやれやれとばかりにため息をつく。

「夜も遅いし、ここのエリアボスは倒した。そろそろお開きにするか。」

『もー、いいじゃん、眼鏡君、もうちょっと一緒にいてもさあ。外見てみなよ、綺麗な月だよ、ほら。』

『……本当だ……綺麗……。』

委員長の言葉に、一真は窓から夜空を見上げる。

南国の海の遥か高くに、待宵の白い月が輝いていた。

三人はしばらくの間、それぞれが過ごす場所で同じ月を眺めていた。

委員長は一軒家の二階にある、教科書と参考書に囲まれた自室から。

朝霧鏡花は荷解きもろくにしていない、一人暮らしのマンションから。

そして、一真は彼女達から遠く離れた羽衣島の古い洋館から、夜空に輝く白い月を飽くことなく見上げていた。

『不思議だね。離れてるのに、三人で遊んで、一緒に綺麗な月を見てる。』

「……そうだな。」

『おお、珍しい反応。さては、月を見て、私のことが恋しくなった?』

「別に。」

『それとも、委員長のこと?』

委員長は息を潜めて一真の言葉を待つ。

「……別に。誰のことも。」

『じゃあ、眼鏡君。今日からは少しでもいいから思い出して。月が綺麗だなあと思ったら、誰かのことを。』

「誰かって誰をだ。」

『誰でもいいんだよ。恋人、友達、親、兄弟。心の中に住まわせたことのある大事な人のことなら。』

「……心の中に、か。」

『そうしたら、私も綺麗な月を見るたびに、誰かが私のことを心に描いてくれているかもって思えるじゃない』

『ちょっと……』

委員長はいつものように呆れ顔で咎めようとしたが、ふとその声が止まってしまう。

この瞬間の彼女は、どういうわけかいつもの朝霧鏡花ではないような気がしたからだった。

美しく、明るく、自由奔放に生きているように見える彼女も、髪の色を失うほどの病と隣り合わせで日々を過ごしている。

長い銀髪を月の光に輝かせながら、たった一人で夜空を見上げる鏡花の姿が見えるようだった。

委員長は自分の中によぎった考えを振り払うように、夜空を見つめながらぽつりと呟く。

『……明日は満月なんだね。』

『満月かあ。眼鏡クン達、夜にみんなで出かけたりしないの? 肝試しとかさ。』

「言ったろ。仕事と部活の合宿で来ているんだから、そう遊んでばかりもいらないんだ。まあ……肝試しを提案して先生に却下された女子もいたがな。」

『誰かと二人っきりになりたかったんじゃないの?』

「そんな繊細なやつじゃないと思うがな。」

間髪入れずに答える一真を予測していたように、鏡花が揶揄からかう。

『乙女心がわからないねえ。君は。』

「俺にそんなことを期待されてもな。」

『きゃー、お化けー! とか言って抱きついてみたりさあ。』

抱きつくモーションで迫る鏡花を、一真のキャラクターはバックステップで無表情にかわす。

二人の姿を見ながら、委員長が呆れ顔で呟く。

「もう。満月の夜にお化けなんて、ゲームじゃないんだから。」

『わかんないよー、委員長。南の島に妖しい満月。お化けのひとつやふたつ、出ても不思議じゃないかもよ?』

「まったく……。」

一真は額をおさえてため息をつく。

『気をつけなよ、眼鏡クン。』

画面の中で、鏡花が操作するキャラクターは横たわる巨獣のそばに立つと、スッと一真を指差す。

『南の島にお化けが出たら、一筋縄じゃいかないよ。きっと。』

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