第42話 あかりの絆

 篠宮良子達が中央研究室で会議をしている間、研究所内のトレーニング施設の中にある小さな部屋には和泉久遠の姿があった。

白騎士のデータ収集の仕事が終わった彼は、朝から続いていた開発協力の仕事を終えた城戸あかりと一緒にこの部屋で良子達の会議が終わるのを待つ予定となっていた。

夕刻となった研究所にはほとんど人が残っておらず、消灯されたそのフロアにいるのは久遠とあかりだけだった。

休憩室として使われている畳敷きの部屋は、まるで旅館のようなレイアウトになっており、障子を開けた窓からは南国の夕焼け空が見える。

UNITTE支給の青いTシャツを着た彼は座布団に座ったまま、暮れゆく夏の空をぼんやりと眺めていた。

「久遠君、お待たせー。」

休憩室のドアが開き、城戸あかりが入ってきた。

「城戸さん。」

「良子達は?」

「まだ連絡無いよ。会議が伸びてるみたい。」

「そっか。長湯しちゃったからちょうどよかったかも。はー、お風呂気持ちよかったー。」

そう言って彼女は久遠の隣に座るや否や、ごろんと畳の上に仰向けに寝そべった。

「ソルティライチ買ってあるけど、飲む?」

「飲む! ありがと!」

久遠の提案に、寝転がったまま挙手するあかり。

ソルティライチを手渡そうと横に目をやった彼は、思わず息を呑んだ。

城戸あかりはタンクトップにショートパンツの無防備な格好で彼の隣に寝そべっている。

大きく開いた胸元からは白い肌が覗き、ショートパンツの裾からは健康的な素足がすらりと伸びていた。

上気した頬には、まだ少し濡れている柔らかな髪が少しだけかかっている。

(いつも思うんだけど、何で僕の前だとこんなに無防備なんだろう……。

弟か何かだと思われているのかな……。)

久遠の戸惑いに気がつくこともなく、あかりは受け取ったペットボトルを額に当て、気持ちよさそうにまぶたを閉じている。

「朝からずっとディメンジョン・アーマーにってデータ取りだったから、流石にちょっと疲れちゃった。」

小さな口元でそう呟いた彼女は、どこか嬉しそうだった。

それは、現行機を大幅に刷新するという第六世代機と呼ばれる機体を生み出すという大きなプロジェクトに関わっているという満足感から来ているのだろう。

島に来てからというもの、あかりは他のメンバーよりもずっと多くの時間を研究所での仕事に充てていた。

それでありながらしっかりと部活動のレポートに取り組むだけでなく、合宿全体を引っ張って盛り上げる役割を演じていたのだ。

「すごいよね、城戸さん。大人に混じってあんなに大きな仕事をしているなんて。」

「ふふ。久遠君に言われると嬉しいかも。」

あかりは畳に寝転がったまま久遠を見つめる。

「久遠君も、この数日でかなり白騎士にれるようになったね。」

「ありがとう。城戸さんのお陰だよ。」

「本当?」

久遠は、初日の試験であかりが助けてくれたことを思い出していた。

「うん。城戸さんって、教えるの上手だよね。」

「そうかな。」

「わかりやすいし、具体的だし。それに、丁寧だしね。」

あかりは少し照れ笑いをすると、天井を見上げたままポツリと呟いた。

「リハビリ生活が長かったからかな。」

「え?」

「ほら、私、子供の頃重い病気でほとんど寝たきりだったから。」

あかりは身を起こすと、久遠の隣に胡座を組んで座る。

「十歳くらいまではほとんど家か病院にいたの。筑浦にある国連の病院で治療を受けるようになってようやく治ったんだけど、なかなか身体の機能が回復しなくて。」

彼女はソルティライチを一口飲んでから続ける。

「その頃に良子や真美さん達と知り合ったんだ。病院の方から、新しいリハビリ用の機器を国連と大鳥研究所が共同開発しているからってことで紹介があって。」

「そうだったんだ。とういうことは、そのリハビリ用の機器というのは……。」

「うん。それがディメンジョン・アーマーの基礎になったんだって。」

あかりはしなやかな腕を上に伸ばし、ぐっと伸びをする。

「だから、次世代機の開発に協力できて嬉しいんだ。国連やオオトリの人達には感謝してるから、いつか恩を返したいと思っていたし。それに……。」

あかりは窓の外の空を見ながら続ける。

「良子達との絆なんだ。ディメンジョン・アーマーは。」

「絆……。」

「そう。良子や真美さんだけじゃなく、南さん達や竜崎さん、それに亮太さんや司さん達のように開発に関わってきた人達。みんなとの絆なの。」

あかりはそう言って久遠に微笑みかける。

窓から差し込む少しだけ赤みを増した陽光は、彼女の姿を美しく照らしていた。

「ああ、お風呂ゆっくり入ったらお腹空いてきちゃった。」

あかりは再び畳に寝そべる。

「今日は夏野菜のカレーと生姜焼きだって。」

久遠はスマートフォンを取り出し、グループチャットに送られてきた料理中の静香と千鶴の写真をあかりに見せる。

「あー! 静ちゃん達が作るカレーだ……! 早く食べたい……!」

「だよね。篠宮先生達、まだ会議終わらないのかな。」

予定表を確認する久遠に、あかりが声をかける。

「そうだ。久遠君、明後日は私達の夕食当番じゃない?」

「うん。後でメニューを考えないとね。」

「そのことなんだけどさ、せっかくだから食後にレクリエーション的なことをしない?。そうすると合宿っぽいかなーって思って。」

「確かにそうだね。レクリエーションって、何かみんなでゲームとか、隠し芸とか……?」

「そうそう、そういうの! 私は不器用だからあまりできることないけど……。ゲームとかがいいかな。」

「うーん……。」

久遠は天井を見上げて考え込む。

ふと、花瓶に花を活けながら口ずさむ良子の姿が思い浮かんだ。

「バイオリン、持ってくればよかったかな……。」

「そうか。久遠君、弾けるんだもんね。」

あかりは身を起こすと、久遠のすぐ側まで来て座り込む。

「弾けると言ってもちょっとなんだけどね。ピアノは談話室にあったけど、バイオリンは流石に無いか……。」

あかりは思い出したように口を開く。

「ひょっとしたら、あるかもよ。前に真美さんがそんなこと言ってた気がする。お祖父様が音楽好きで、楽器を置いてある部屋があるんだって。」

「え? そうなの。」

「もし借りられたら久遠君、バイオリンを弾いてくれる?」

「うん。やってみる。人前ではほとんど弾いたことないからちょっと恥ずかしいんだけど。」

「おお! やった!」

「ところで伴奏なんだけど、確か城戸さんってピアノを……。」

「わ、私はダメだよ? 中学の時にちょっとやってただけだから……。」

「二人で演奏した方がレクリエーションぽくていいんじゃないかな。僕もそんなに弾けるわけじゃないから伴奏してくれる人がいる方が心強いし。」

「そっか……。それだったら、久遠君がよければ……。ところで、弾く曲は決まってるの?」

「うん。弾ける曲は少ししかないんだけど、この曲にしようと思って。」

久遠はスマートフォンに保存してあった楽譜をあかりに見せる。

「あ、この曲なら……。前に少しやったことがあるし。」

「よかった。」

「あ、ここ難しそう……。」

あかりが指差した部分を覗き込む久遠。

「ああ、確かにここ難しいよね……。僕もまだうまく弾けないし、全体的に少しゆっくりめでやろうか。」

「うん。」

あかりはふと横の久遠を見る。

彼はスマートフォンを操作しながら、画面の楽譜に器用にメモを書き込んでいる。

手を少しだけ伸ばせば触れられるほどに近いその横顔を見ていると、何だか頬が熱くなるような感覚を覚えていた。

(何だか距離が近い……。)

あかりは自分達が寄り添うようにしながらスマートフォンを覗き込んでいることに気が付く。

肉親や女友達以外で、こんなに人と近く、しかも二人きりでいるのは初めてのことだった。

(やばい、急に恥ずかしくなってきた……。)

あかりは、自分の大きく開いた胸元や畳の上に投げ出している素足が急に恥ずかしく思えてきていた。

彼に気がつかれないように、そうっとタンクトップの胸元を整え、ショートパンツの裾を直す。

(なんで私、こんな実家みたいな格好で久遠君の前に出てっちゃったんだろう。引かれてないかな……。)

居た堪れない気持ちになったあかりは、慌てて立ち上がる。

「そ、そろそろ良子達が来るかも知れないから、着替えてくるね!」

「うん、また後でね。」

彼がそう言うのも届くか届かないかのうちに、あかりは休憩室を慌ただしく出ていった。

「ふぅ……。」

久遠は息をついて畳に寝転がる。

部屋にはまだシャンプーや石鹸の香りが残っている。

久遠は先ほどまで隣で寝転がり、あられもない姿でペットボトルを頬に当てていたあかりのことを思い出していた。

「……やっぱり、弟くらいに思ってるんだろうなあ。」

久遠は小さく息をつく。

そして、スマートフォンに表示されているバイオリンの譜面を見つめた。

「バイオリンか……。」


 十歳になる前、僕はバイオリンをやっていたようだ。

「ようだ」というのはそれ以前の記憶が無く、亡くなった両親を初めその頃の僕を知っている人もいないからだ。

記憶を取り戻すためのリハビリの中で、楽器を手に取る機会があった。

反復練習で身につけたことは、脳の記臆する領域以外に刻みこまれていることがある。

いわゆる「身体が覚えている」という類のものだ。

ほとんどの楽器はそれがどういうものかさえわからなかったが、なぜかバイオリンだけは音を出すことができた。

ネックや弓を持つ手の形も、押さえるべき弦の場所もすぐにわかった。

それどころか、バッハの作品などいくつかの曲を探りながらでも弾くことができたのだ。

「パッヘルベルのカノン……。」

そう小さく口にする。

自分が弾くことができる数少ない曲のひとつだった。

人気の高い曲ではあるが、元々複数の楽器がそれぞれの旋律を追いかけるよう奏でていくカノンという形式をとるため、一本のヴァイオリンよりも複数人で演奏されることが多いだろう。

自分が弾くことができるのはソロアレンジされたものだったが、似た楽譜が見つからなかったので音楽の教師に聞きながら、自分で自分の演奏を参考にして楽譜を書き起こしたのだ。

その音楽教師も首を傾げていたが、自分自身にもなぜこの曲を弾くことができるのか、皆目見当も付かなかった。

「まあ、あまり考えても仕方が無いか……。」

そう小さく呟いて目を閉じる。

考えても仕方がない。

それは六年間繰り返し考え続けたことで身につけた、数少ない処世術だ。

頭の中のどこかで、誰かが口ずさむ旋律が遠く聴こえる。

それは今日の篠宮良子が歌っていたカノンなのだろうか。

それとも僕の記憶の向こうにある、ずっと以前のことなのだろうか。

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