第41話 深淵を覗く者

 UNITTE羽衣島研究所の中央研究室。

合宿期間を使った筑浦研究所メンバーの開発協力は最終日を迎え、中央研究室では所長の御影英子と副所長の楠木、研究者の水瀬沙織、そして篠宮良子と大鳥真美が最終ミーティングを行なっていた。

「所長代理、真美。遠いところまで本当にご苦労だったね。皆のお陰で良いデータが揃った。これでようやく第六世代機も完成の目処がつきそうだよ。」

普段は厳しい佇まいを崩さない御影教授は、柔らかな表情を見せた。

隣に座る水瀬が口を開く。

「ディメンジョン・アーマー第六世代機の計画は、あかりんが第三世代機のポテンシャルを限界まで引き出したことから始まってますからね。彼女のために作られるようなものです。凄いですよ、あかりんは。」

御影教授が水瀬の言葉に頷いて続ける。

「これまでの調査活動のデータも反映できた上に、白騎士の実機から多くのデータを取ることができた。わざわざこの島まで来てもらった甲斐があったよ。」

「御影教授、白騎士はどうでしたか。」

良子の言葉に、御影は小さくため息をつく。

「……。正直、わからないね。」

「御影教授でも……。」

「細身の割にやたら頑丈にできている他は、基本的な性能で突出しているところはない。それでいて、時には途方もない力を出す……。搭載されたオリジナル・DeUSをはじめ、今でもわからないことだらけだよ。」

「他所からの研究者達も、みんな首を傾げてましたからね。」

水瀬の言葉に大鳥真美が続ける。

「経験を積んだ技術屋ほどそう感じるのさ。白騎士は既存技術の組み合わせでありながら、どこか自分達の知っている技術とは異なっている……。」

「まるで別の世界からやってきたような機体だと言っていましたよ。」

水瀬が笑みと共に口にした言葉に、良子は一瞬身を固くしていた。

その時、ノックと共に中央研究室の扉が細く開いた。

「御影教授。すみません、ちょっと……。」

現れたのは、楠木のアシスタントをしている若い女性だった。

ひいらぎ。どうしたんだい。」

「国連合同研究所の管理事務局の方とライプツィヒ研究所の方が急ぎでと……。来客室にお通ししています。」

「全く、またか……。わかった。ちょっと失礼するよ。」

御影は杖にもたれかかるようにして立ち上がる。

「所長、私も行きます。柊さん、待っていていただいる間、皆さんにお茶を淹れてくれるかしら。」

「わかりました!」

楠木は明るい声を返す柊に微笑みかけると、御影教授と共に研究室を後にした。



「失礼します。」

柊は良子の前に温かい湯気を立てるお茶をそっと出した。

「良い香りのお茶ね。」

「はい。島の特産品で『布織茶』と言います。」

髪をハーフアップにした彼女は、少し日に焼けた人懐っこい笑顔で笑った。

地元出身の大学生で、夏季休暇中はインターンとしてこの研究所で働いているのだという。

「そういえば、ライプツィヒ研の話をしていたわね。確かこの島にはあそこの出先機関があるのよね。」

ライプツィヒ研とは、ドイツのライプツィヒに拠点を置く外的生命体研究所の通称であった。

「はい。ここの隣にある森の中に建っている古い建物がそうです。」

「やっぱりあの建物がそうだったのね。」

「正直、ちょっと気味が悪いんですよね。離れてポツンと立ってる上に、いつも鎧戸が閉まってて。人が出入りするところも見たことないし。」

柊は小声でそう言うと、少しだけ眉をひそめた。

「ちょっとお化けでも出そうなとこよね。怪しげな研究でもしてないといいんだけど。」

良子の軽口に、真美が反応する。

「案外やってたりしてな。」

「何よそれ。古い洋館で怪しげな研究なんて、今時ホラー映画でもベタじゃない?」

良子が訝しげな目で真美を見る。

「ライプツィヒでは外的生命体研究所への住民の反対が強くなっていてね。問題になりそうな研究を羽衣島の研究所に移したんじゃないかって噂があるんだよな。」

「それもまた迷惑な話ねえ。なんでまたこんな遠いところに。」

「ベルリンにもそう遠くない大都市だからな、ライプツィヒは。こないだの市長選挙ではジュネーブ事務局派の候補が落選したし、肩身も狭いんだろう。」

「あの研究所は一年前にライプツィヒで研究中に爆発事故を起こして、市から追い出される寸前だったらしいですしねえ。」

湯呑み茶碗を片手に話す水瀬の言葉を受けて、柊が続ける。

「大鳥博士、あそこの研究って確か……。」

「そう。次元獣の研究だよ。」

良子が思わず眉を顰める。

「昔は真摯で地道な研究をするところで、世界中の研究者達から一目置かれていたんだけどな。その後、ジュネーブ騒乱のゴタゴタに巻き込まれたりで、すっかり様変わりしたっていう噂だ。」

「深淵を覗く者は……ってやつですかねえ。」

水瀬の言葉に良子が反応する。

「確かニーチェの一節ね。怪物と戦う者は、自分自身も怪物にならないようにしなくてはならない……っていう内容だったかしら。」

「そうだな。次元獣を研究しているうちに、取り憑かれちまったような研究者も大勢いるよ。」

真美はそう呟くと、天井を見上げてため息をついた。

十五年前に世界を襲った『外的脅威』。

獣のような獰猛さと一糸乱れぬ統率性を併せ持ち、体内の次元石を核とした無尽蔵にも思えるほどの生命力を持った次元獣は、それを目にした人々の心を恐怖で塗り潰した一方で、一部の研究者達の旺盛な好奇心と研究意欲を駆り立てた。

その結果、それらは人類の叡智を飛躍させる多くの果実を得ると共に、決して少なくない悲劇を巻き起こしていくことになる。

「次元獣……。一体あれはどこから来たのでしょうか……。」

「地底から現れるとか、別世界からやってくるとか。噂だけはゴマンとありますよね。」

「どうなんだろうねえ。」

真美はそう言って背もたれに身を預けた。

良子はぽつりと呟く。

「はっきりわかっているのは、それが今でも人類の脅威であるということね。」

UNITTEもまた『外的脅威』すなわち次元獣の研究を行うために発足した組織である。

ライプツィヒの外的生命体研究所が次元獣そのものを研究対象としているのに対し、UNITTEはその生態や顕現する際の現象を研究し、現在の、そして将来的な脅威に備えることに重きを置いているという違いがある。

良子の言葉には、彼女達の取るスタンスがそのまま現れていたのだ。


 その時、入り口のドアが開き、御影教授と楠木副所長が部屋に戻ってきた。

「御影教授、楠木さん、いかがでしたか。」

椅子に座りながら、御影教授が答える。

「明後日にジュネーブ事務局の出先機関で大きな実験があるらしくてね。電力の融通やら車両の出入りや機器搬入で一部道路を閉鎖するやらの話さ。ジュネーブ事務局のお偉方も来ていて、あちらさんもてんやわんやらしい。参ったね、こちらだって明後日には予定していた作業もあるってのに。」

「あの建物がそんなに賑わうなんて、珍しいですね。少なくともウチができてからはそんなこと一度も無かったと思います。」

楠木は珍しく訝しげな顔を見せながら呟く。

彼女はこの研究所がまだUNITTE所属になる前のオオトリ・ロボティクス羽衣島ラボだった頃からのメンバーだった。

「本当に怪しげな研究だったりしてな。」

真美の言葉に、柊は思わず彼女の顔を見る。

良子はため息をつきながら真美をたしなめるように呟く。

「真美、若い子をからかわないの。羽衣島は本土から離れているとはいえ、かなりの住民がいるのよ。そんなことして万が一のことがあったら国際問題になるわ。ましてや国連付きの研究所が……。」

「それもそうだな。どのみちあの小さな建物では、大規模な研究は到底無理だろうしな。」

「ですよね。」

柊は安堵の表情と共に笑顔を見せた。

UNITTE羽衣島研究所でインターンをしながら、僅かながらも国連の諸事情を知っている分、地元出身者として心配になるところもあったのだろう。

だが、良子は柊にはそう言いながらも、心の中では先ほど水瀬が口にしたニーチェの言葉を思い出していた。

(深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗く……か。)

もし深淵を覗く者が、気がつかないうちに怪物そのものになっていたなら……。

果たして彼は、顧みることができるのだろうか。

自分自身の姿と行いが、すでに深淵に取り込まれているということに。

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