第40話 揺れるスカーフ

 遠くで波の音が聞こえる。

静香はカフェのバルコニーから見える海に目をやった。

天気予報の通り、十五時を回る頃には空は薄曇りとなり、普段はエメラルドブルーの輝きを見せる水面も彩度を失っている。

静香は紅茶のカップを手に取り、口につけた。

彼女の向かい側に座る御堂千鶴は、色鮮やかなフルーツが載ったケーキを丁寧に切り分けながら口に運び、その度に満面の笑みを浮かべている。

「静香さん、レポートの方も内容がまとまってきましたね!」

「うん。思い切って外に出てみて良かったね。」

そう言って静香は微笑む。

昨日までの二日間、ほぼ別荘の中で調べ物を続けていた二人だったが、外に出てみることにしていた。

煮詰まったら足を動かしてみる。

静香は中学の夏休みに滝川大進と大掛かりなレポートを書いたことがあり、その時に彼が教えてくれたことだった。

街を歩き、別荘近くの図書館や商店街、観光エリアにあるショッピングモールで服飾関連の店や書店を巡ってみた。

得られた情報は想像していた以上に多く、千鶴が丁寧にまとめてくれたこともあってレポートの大枠はしっかりと定まりつつあった。

(このまま進めてもかなり良い内容になると思う。だけど……。)

静香は、パズルの最後の一ピースが埋まらないようなそのもどかしい感覚に、小さな焦りを憶えていたのだった。

「ところで静香さん、今日のお夕飯何にしましょうか。」

「うーん、そうだねえ……。」

にこにこしながら話しかける千鶴に思わず気持ちの入っていない返事をしてしまう自分に、静香は後ろめたい気持ちになってしまう。

千鶴は心ここにあらずの状態で紅茶を飲んでいる静香を気遣っているのだろう。

兄である御堂一真に似て頭脳明晰なところはもちろんのこと、彼女の明るくてよく気がつくところに静香は随分助けられていた。

「今日は私と静香さんの当番の日ですものね。ただ、私あんまり色々作れなくて……。」

「あかりちゃん、カレーが食べたいって言ってたから、カレーをメインにしましょうか。あとは何かお肉を焼いて、サラダを作って……。あとはデザート……。そうだ、南国のフルーツを使ったパンナコッタがいいかな。」

「いいですね、美味しそう! 静香さん、お料理も上手なので尊敬しちゃいます……!」

「昔はお菓子以外はほとんど作ったことなくて、大進君から教わったことが多いんだけどね。」

静香はそう言って恥ずかしそうに笑う。

千鶴はケーキを食べ進める手を止めると、静香に顔を寄せるようにして小声で尋ねる。

「あの。静香さんと大進さんって……。」

「? なあに?」

千鶴は少し言いずらそうに逡巡していたが、意を決したように静香の目を真っ直ぐに見つめて口を開く。

「付き合ってるんですか!?」

突然の直球に静香は一瞬驚いた表情をしたが、いつもの穏やかな表情に戻ると、小さく首を振った。

「どうしてそう思ったの?」

「静香さんと大進さんが話しているのを聞いていると、いつも自然にお互いを思いあっているような感じがするんですよね何年も一緒にいる……夫婦みたいな……。」

千鶴の慎重な言い回しに、静香は少しくすぐったくなるような思いを感じていた。

「確かに知り合ってからは長くて、もう五年くらいになるかな。クラスもずっと同じだったし、学校以外でもなんだかんだで一緒にいることが多くて……。」

「本当は……どうなんですか……?」

遠慮がちに尋ねる千鶴に、静香はすっかり冷めてしまった紅茶に目を落として答える。

「普通の幼馴染……と思ってたんだけど……。私にもわからなくなっちゃった。」

そう言って彼女は穏やかに微笑んだ。

静香は千鶴にそう答えながら、ここ何日かで感じていた寂寥感の正体に思いを馳せていた。


 中学生の頃まではいつも彼と一緒だった。

超越力を持つ以外にも複雑な立場だった私に付けられた忍者一族出身のボディガード。

それが滝川大進だった。

護衛対象という関係に留まらず、忍者と超能力者という特殊な身の上で友達が少なかった私達は、クラスでも放課後でも一緒にいることが多かった。

今考えてみれば、元々人との距離を取りがちな私に彼の方が合わせてくれていたのだろう。

お互いの家に出入りすることも多かった。

二人で宿題や試験勉強をしたり、料理やゲームをしたり。

彼の部屋で漫画を読んでいたらうっかり眠ってしまい、夜遅くに実家まで送ってくれて一緒に謝ってくれたこともある。


『あなた達、付き合ってるんじゃないの?』


何度そう言われたかわからない。

その度に曖昧な返事を返すと、大概不思議な顔をされたり、中には怒り出す子もいた。

他の人にはどう見えるかわからなかったけど、私たちにはその関係が自然だと思っていた。

ただ、離れてみて考えるようになった。

彼はずっとどう思っていたのだろうと。

護衛する者とされる者という関係が終わり、高校生になってからの彼は、少しだけ変わった。

今までのように、常に一緒にいるということは無くなった。

お互いにクラスの友達ができて、それぞれに過ごすことが普通になった。

普段の研究所での仕事は内容もフロアも違うので、あまり会うことはない。

そしてこの島での合宿では別々に行動している。

だけど、不思議と彼がいつも側にいるような気がしていた。

彼と過ごす時間は少なくなっていくのに、彼のことを考える時間は増えていく。

それがどういうことなのか、本当はわかっていた。

ただ、受け入れる勇気だけが無かった。

そして、思う。

もし彼が私と同じように思っていなかったら、これからどうなるのだろう。

そのことを考えただけで胸が締め付けられるように感じた。

そんな時は決まって、体育倉庫の前で大進に想いを告げた柚原美咲のことを思う。

大進君は昔からできるだけ目立たないように行動しているが、恵まれた体躯や穏やかでおおらかな性格に惹かれる女子生徒も今までいなかったわけではなかった。

彼はその度にその場で丁寧に断ってきたと聞いた。

でも、彼はそうしなかった。

私は、心のどこかで今回もそうしてくれるのではないかと思っていた。

今思えば、自分はなんて身勝手な人間なんだろうと思う。

自分が曖昧な想いを抱えたまま、今の関係だけはずっと続いていくだろうと考えるなんて。

そして、もしも彼が心を揺らしたとするならば、それも無理のないことだろうと思った。

柚原美咲は誰から見ても可愛らしい子だ。

明るくて人の心にスッと入っていける。

そして何よりも、自分の心に正直に向かい合う強さと、傷つくことを受け入れることができる勇気がある。

私とは違うのだ。

彼のことを知っているからこそ、よくわかる。

大進君が共に歩む人を選ぶならば、きっとそういう人を……。


「紅茶のおかわりはいかがですか?」


カフェのウェイトレスからかけられた声に、静香はハッと気が付いて小さく頷くと、カップに残っていた紅茶を飲み干した。

黒を基調とした制服にエプロンドレスを身につけた女性は、素焼きのティーカップに温かい紅茶を注いでいく。

柔らかな生地のスカーフが胸元で揺れていた。

「パッションフルーツのケーキ、すごく美味しかったです!」

千鶴が輝くような笑みでウェイトレスに声をかける。

「まあ嬉しい。パティシエにも伝えておきますね。」

静香はウェイトレスの首元の浅葱色のスカーフをぼんやりと見ていた。

よく見ると織り方が独特で、少し光沢のあるような風合いがある。

彼女はふと大進の言葉を思い出していた。


(煮詰まったら足を動かしてみるのでござる。その間も五感は無意識に答えを探し続けているものでござるからな。そして、何かを捉えた時には躊躇なくそこに向かっていくのでござる。)


「……そのスカーフ、すごく素敵ですね。」

静香がそう言うと、地元の女性らしいウェイトレスは、日焼けした素肌に白い歯を輝かせて嬉しそうに笑った。

「ありがとうございます。嬉しいわ。この島に伝わる織り方で織った布を使っているんです。南陽織という……ご存じかしら。」

静香と千鶴は申し訳なさそうに小さく首を振る。

「すみません……。」

「いえいえ。最近は島の子たちでも知らない人が多くて。」

彼女はそう言って笑う。

「南陽織は、和服にも使われたりしますか?」

静香の質問に、ウェイトレスが頷く。

「昔はよく使われていたそうなんですが、織り手が少なくなったこともあって最近はあまり……。南陽織の製品は一時期ほとんど出回ってなかったんですが、最近はこういうスカーフみたいな小物に使われ始めたんですよ。」

彼女はそう言って首元のスカーフに触れた。

生地は滑らかできめ細かく、独特の艶があった。以前は和服の生地として使われていたと言う話にも頷ける。

おそらく、織り手が急減したことで生産が安定しなくなったなど、特別な理由があったのかもしれない。

「凄い。お詳しいんですね……!」

目を輝かせる千鶴に、ウェイトレスは照れくさそうに答える。

「実家が元々養蚕をやっていて、祖母が南陽織の職人なんです。最近は織り手が減る一方で、若い人に技術を伝えていくのも今後は難しいって、いつも嘆いてますけどね。」

「技術を……伝えていく……。」

静香はそう呟きながら千鶴と顔を見合わせる。

「静香さん……!」

目を輝かせる千鶴の声に、静香は頷いて口を開く。

「あの、よろしければもう少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」

不思議そうな顔をしていたウェイトレスに、静香は自分達の部活動やレポートについて話を始めると、彼女はやがて微笑んで大きく頷いた。

「いいですよ。あと一時間くらいでお店を上がるので、祖母に連絡してみますね。」

「ありがとうございます!」

「いえいえ。うちの婆ちゃん、南陽織のことになると話が長くなるから、その辺は覚悟しておいてね。」

そう言って笑うと、ウェイトレスは厨房へと戻っていく。

静香は彼女の後ろ姿に、探していたパズルのピースが揃う感覚を覚えていた。

「あ、晴れてきましたよ、静香さん!」

そう言ってスマートフォンのカメラを構える千鶴と共に、静香はカフェのバルコニーから見える海を見渡す。

雲間から差し込む光に、南国の海は再びエメラルドグリーンの輝きを取り戻そうとしていた。

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