第38話 変わりゆく景色

 羽衣島の南東部分には「天抄湖てんしょうこ」と呼ばれる大きな湖がある。

その昔、布織山に降り立った天女が水不足に苦しむ島民を助けるために与えた、ひとすくいの水から湖が生まれたという伝説に基づいて名付けられている。

豊かな水をたたえたその湖を見下ろすように立つ小高い丘には、島で一番大きな運動公園と、その管理棟を兼ねた文化会館があった。


 合宿の四日目に当たるその日、滝川大進と御堂一真は会館内にある図書館を訪れていた。

文化会館の屋上は広い展望スペースとなっており、見渡す限りの海や、島の中央に位置する雄大な布織山などを一望することができる。

展望スペースには、欄干に大柄な身体を預けるようにしてぼんやりと外を眺める大進の姿があった。

いつもの南の島らしい抜けるような青空は、今日は灰色の雲が薄く流れる中で、時折晴れ間を見せるような不安定な空模様となっていた。


 「大進、ここにいたのか。」

足音と共に届いた声に振り向く大進。

「一真でござったか。」

「さすがに外は暑いな。」

そう言って彼は大進に冷えた缶コーヒーを渡す。

「かたじけないでござる。」

大進が笑顔で受け取ると、一真は彼の横に並んで缶コーヒーを開けた。

「レポートの進みはどうだ。」

「思ったより早く終わりそうでござる。一真にも随分助けてもらったでござるからな。」

「その辺りは久遠にも感謝だな。資料の選び方が適切で助かる。さすが図書委員ってところか。」

一真は小さく笑うと、缶コーヒーに口をつけた。

文化会館の屋上は美しい海や雄大な山と緑といった島の景色をぐるりと一望できる絶好の場所だが、今日は一真と大進以外には人が見当たらなかった。

元々観光客があまり訪れない場所であり、薄曇りの日はなおさらなのだろう。

「立派な湖があるのでござるな。」

「この島の周辺は元々火山地帯らしくてな。その影響で大きな湖ができたらしい。地下空洞や洞窟が多いのもそういうことらしいな。」

彼はそう言って文化会館から少し離れた公園を指差す。

切り立った斜面に大きな口を開けた洞窟の入口があった。

「入口から先は封鎖されているが、昔は避難壕などに使われていたらしい。」

「詳しいでござるな、一真。」

「調べさせられたんだ、あかりに。怖そうなところを探してくれってな。肝試しを企画してたらしい。」

「あかりらしいでござるな。」

大進が思わず苦笑する。

「さすがに夜の肝試しは篠宮先生に却下させられてたがな。全く……。」

「いいではござらんか。少しでも皆と合宿を楽しみたいのでござろう。色々と企画してくれて助かっているでござるよ。」

「まあ、退屈はしないな。妹も随分楽しんでいるみたいだ。」

そう言うと一真は優しい笑みを見せた。

「諏訪内が随分面倒を見てくれているようだな。千鶴、すっかり懐いているようだ。」

大進は遠く見える湖を見つめながら口を開く。

「昔から静香殿は面倒見が良いのでござるよ。超越力トランセンズの研究所には、自分より小さな子達が随分いたようでござるからな。」

「なるほど……。」

一真は小さく呟いた。

超越力トランセンズと呼ばれる超能力が最も顕現しやすいのは十歳以下の子供とされている。

それ故に、研究対象となるのもまた子供達であり、超越力の研究所に年端もいかない子供達が多くいるのも納得できるように思えた。

しかし、それが必ずしも明るい話ではないことが、大進の少し沈んだような表情から読み取ることができた。

「……で、どうなんだ。」

「どうって、何がでござる。」

「……諏訪内のことだ。……大丈夫なのか。」

「一真からそんな話が出てくるとは意外でござるな。」

大進からの興味深げな視線をかわすように、一真はコーヒーを口にする。

「……諏訪内だけじゃない、お前のこともだ。」

「……。」

「水郷パークの調査活動でも、先日の模擬戦にしても、大進ならもっと別の戦い方ができたはずだ。」

一真の言葉に、大進は苦笑しながら答える。

「それは単に拙者が力不足なだけでござるよ。」

「俺にまでそんなことを言うな、大進。……そろそろ付き合いも長いだろ。」

「一真……。」

「……二人で解決できるなら早いところ解決したほうがいい。せっかくの合宿だろう。機会はいくらでもあるはずだ。」

一真は小さく咳払いをすると、少し目を逸らしながら小声で続ける。

「……その……俺にできることがあれば協力する……。もちろん、できることがあれば、だが……。」

普段は短い言葉で明晰に話す一真の物言いが、急に辿々しくなっていくことに、大進は思わず笑みを見せた。

「実際のところ、どうなんだ。大進。」

「……長年一緒にいて彼女のことをわかっているような気がしていたのでござるが……。実のところ何もわかっていないことに気がついて途方に暮れている、といったところでござるかな。」

「……人の心はわからんってところか……。」

一真はふと、新誠学園の庭園で交わした朝霧鏡花の言葉を思い出した。

東屋の下で、真新しいゲーム機を取り出して満面の笑みを見せる彼女の姿が脳裏に浮かぶ。

「だから、わかるように努力する。何度も同じところを周るようにしてでも……。」

「なかなかいい言葉でござるな。」

「受け売りだがな。」

一真はそう言って小さな笑みを見せた。

「それに、当たり前といえば、当たり前のことだな。家族だろうが友達だろうが、もっと近しい間柄だろうが。人の心なんてわからないのが当たり前だ。」

彼は遠い湖水を見つめながら続ける。

「だが、わからないものをわかろうとすること……。その過程の中でお互いの中に何かが生まれるのかもしれん。」

「それも受け売りでござるか。」

「いいや。気がつかされた、ということはあるな。」

一真の言葉に大進は夏の空を見上げ、小さく息をつく。

「もう一度、わかろうとするところから始める。それもまたいいかもしれないでござるな。」

大進の言葉に一真は小さく頷く。

「だが、今更そんなこと、許してくれるでござるかな。」

「それは本人に聞けばいいさ。」

「確かにそうでござるな。」

大進はそう言って笑うと、缶コーヒーの残りを飲み干した。

「さて、拙者は図書館に戻るでござるよ。心配かけてすまなかったでござるな。」

彼は一真の肩をぽんと叩くと、小さく微笑む。

「それにしても、変わったでござるな。一真も。」

「……そうか?」

一真の言葉に大進はいつもの逞しい笑顔を見せながら頷くと、展望スペースの出口へと向かっていった。


(変わった、か……。)

一真は小さくため息をつく。

あいつがこのことを聴いたらどんな顔をするだろう。

長い銀髪を揺らして、得意満面の顔で笑うに違いない。

そういえば、夏休みに入ってから一度も顔を見ていないことに気が付いた。

初めて彼女と出会って以来ずっと翻弄され続けていた予測不能なやりとりから、ようやく解放されたと思っていた。

それなのに、ふと考えてしまう。

この眼前に広がる湖の水面が、流れる雲やその隙間から差し込む陽光で表情を変えるのを、彼女ならどういう言葉にするだろう、と。

銀色の髪を夏の風に任せるままに、その澄んだ瞳を湖に向けている彼女の姿が想像できるようだった。

一真は額に手を当てて再び大きなため息をつく。

「全く調子が狂う。何を考えているんだ俺は……。」

彼の戸惑いを知ることなく、夏の景色は変わりゆく。

気まぐれに雲間から姿を見せた南国の太陽は、ただ強く彼の姿を照らしていた。

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