第28話 南国の魔法
「篠宮先生。」
見渡す限りにエメラルドグリーンの海が広がる南国の島。
白い砂浜に張られた大きなタープテントにいた良子と真美の元に、和泉久遠が戻ってきた。
彼の細い身体には、小さな水滴と白い砂がついている。
「あら。おかえりー。何か飲む?」
サマーチェアに座っていた良子は読んでいた本を傍に置くと、彼にペットボトルの水と大きなタオルを手渡した。
久遠は濡れた髪と身体を拭きながら口を開く。
「篠宮先生や大鳥博士は海に入らないんですか?」
「私はこうやって何も考えずに寝そべってるのが好きなんだ。」
黒いビキニ姿の真美はそう言うと、レモンを浮かべたドクターペッパーが入った背の高いグラスに口をつけた。
「いいのよ、気を使わなくて。私は水着持ってこなかったし。」
そう言って良子は笑う。
彼女は薄いブルーのリゾートワンピース姿で、いつもは後ろでまとめている濃いブラウンの髪をゆるく巻いて下ろしていた。
透けるようなリネン生地でできたノースリーブからは、白い肩とすらりとした二の腕が覗いている。
南国の太陽の下で微笑む良子の姿は、久遠が知る研究所や旧図書室での彼女とはまるで違う人のようにさえ見えた。
「あー。ひょっとして。」
彼女は少し悪戯っぽく笑うと、久遠の耳元でそっと囁く。
「水着の方が良かった?」
「!! それは……その……。」
返答に困っている久遠の背中を、良子は笑って叩く。
「やあね。冗談よ、冗談。」
「あまり青少年を刺激するなよ、良子。」
「はいはい。まあ、真美ほどじゃないと思うけど。」
良子はそう言って笑った。
大鳥真美は黒いホルターネックのビキニを身につけた姿でサマーベッドに寝そべっている。
研究所の中でも特に小柄でありながら、豊かな美を備えた彼女は、女性の良子から見ても十分に刺激的に思えていたのだ。
「あ、そうだ良子。夕食のこと相談したいって、ホテルの支配人から連絡が来たぞ。」
「そうね。私、ちょっと行ってくるわ。久遠君、ちょっとだけ荷物番しててくれる?」
「私も行こう。こっちの研究所に連絡しなくちゃいけないんだった。久遠君、白衣を取ってくれ。」
真美はベッドから起き上がると大きく伸びをする。
刺激を避けるためになるべくその姿を視界に入れないようにしていた久遠は、目を逸らしながら彼女に白衣を渡す。
「じゃあ、ちょっとだけよろしくね、久遠君。」
そう言って良子は小さく手を振った。
◇
久遠は良子が座っていたサマーチェアに腰掛けて背中を預けた。
遠く波打ち際では、あかりと静香、千鶴がボール遊びをしているのが見える。
タープテントが作る日陰は思ったよりも過ごしやすく、時折吹いてくる潮風が心地よかった。
久遠は小さく伸びをすると、背もたれに深く身を預ける。
ペットボトルの水が空になる頃には、急に眠気が出てきていた。
(朝早かったし、準備やら何やらで忙しくてあまり寝られなかったしな……)
柔らかな風が頬を撫でる中、久遠はついウトウトと瞼が閉じてしまう。
「……うわ!」
突然、頬にひやりとした感触が当たり、久遠は飛び起きる。
目の前には、ポカリスエットのペットボトルを持ったまま笑っている城戸あかりの水着姿があった。
「びっくりした? 久遠君。」
濡れたブラウンの髪に、ほんのりと上気した頬。
しなやかさと柔らかが同居したような彼女の肢体を、リボンのついた赤いビキニが包んでいる。
口元は快活な笑みを浮かべ、ブラウンの澄んだ瞳がこちらを見つめていた。
久遠は一瞬、なんでこんな可愛い子が自分の目の前にいるんだろうと思ってしまう。
ここ最近の彼は、あかりの見せるリラックスした姿や奔放な言動にすっかり慣れてしまっていて、完全に忘れていた。
城戸あかりは、驚くほどの美少女なのだ。。
しかも、見慣れた制服姿ではなく、健康的な身体を水着で包んだ彼女の姿は、少なからず久遠の心を惑わせていた。
「良子達は?」
「ちょっと用事があって、ホテルの方に戻るって。」
「そっかー。」
あかりはそう言って久遠の隣のサマーベッドに寝そべると、大きく息をついた。
「風が気持ちいいー。私、こうやって海で遊ぶの初めてなんだ。すごく嬉しい。」
「僕もだよ。みんなと来れて、本当に嬉しい。」
あかりはサマーチェアに身を預けている久遠の横顔を見る。
「楽しいね。」
「うん。楽しい。」
久遠が微笑んで答えると、あかりは満面の笑みで返した。
波音が二人の元に静かに聞こえてくる。
あかりは口を開くと、少し遠慮がちに尋ねた。
「傷、痛くないの。」
あかりが久遠の背中の傷のことを言っているのだということに、彼はすぐに気がついた。
「うん。昔の傷だから。子供の時のだからよく覚えていないんだけどね。」
「良かった。傷、気にしてたらごめんね。」
「古傷よりも今は日焼けかな。日焼け止めが足りなかったのかな、ちょっとヒリヒリする。」
久遠はそう言って少し赤みが差した自分の肩を見る。
「陽射し強いもんねー。さすが南国って感じで。私も二回塗ったんだけど、足んなかったのかなー。背中とか少しヒリヒリするかも。そうだ、久遠君に塗ってもらおうかな。」
「え?」
あかりはサマーベッドから身を起こすと、久遠に背中を向けるようにして傍の自分のバッグを探っている。
久遠の目線の先にはブラウンの髪の下の細い首筋と、滑らかな白い背中があった。
「日焼け止めどこだっけかな。久遠君、ちょっと待っててね。」
「う、うん……。でも、いいのかな……。」
「何がー?」
背中を向けたままの彼女が時々無造作に水着の紐を直すと、赤色のビキニも大きく揺れ、その度に久遠は慌てて目を逸らした。
「あかりさーん、和泉さーん!」
その時、明るい声と共に千鶴と静香が砂浜から駆けてくるのが見えた。
タープテントに姿を見せた二人に、久遠は慌てて声をかける。
「お、おかえり、二人とも。何か飲む?」
「私もあかりさんと同じがいいです!」
久遠はクーラーボックスからスポーツドリンクのペットボトルを取り出して渡す。
「ありがとうございます! 和泉さん。」
千鶴は笑顔で受け取ると、小さく頭を下げる。
フリルスカートがついたオレンジ色のセパレート水着は、快活で可愛らしい印象の彼女によく似合っていた。
「諏訪内さんは、お茶かな。」
「はい! ありがとうございます。」
バスタオルで甲斐甲斐しく千鶴の髪を拭いてあげていた静香は、そう言って微笑んだ。
長い髪を一本に編み、しなやかな身体を藍色の水着が包んだ彼女は、パレオを外してハイネックホルダーのビキニ姿になっている。
いつもは落ち着いた佇まいの彼女も、今日は少しテンションが上がっているようで、弾んだ笑顔を見せながら千鶴と言葉を交わしている。
「おお、みんな戻って来ていたでござるな。」
「大進さん、お兄ちゃん!」
ひたすら泳いでいた大進と一真も久遠達の元に戻り、タープテントの影に入ってひと息つく。
「やれやれ。一緒に泳いでたら、えらい目にあったぞ。」
「ははは。忍者修行には水練もあるでござるからな。南の島で浮かれてしまって、ちょっと泳ぎ過ぎたでござる。」
大進はタオルで身体を拭いながら、少し日に焼けた逞しい笑顔を見せる。
彼の鍛え上げられた厚い胸板と引き締まった腹部はしっかりと筋肉の分け目が見えており、まるでギリシャ彫刻のようだった。
「ちょっとどころか遠泳だぞ、あれは。」
一真はそう言って小さく笑うと、妹から受け取ったよく冷えた紅茶に口につけた。
相当に疲れているとはいえ、忍者として幼い頃から修行をしていた大進についていくだけでも驚異的な身体能力ともいえた。
彼も細身の外見からは想像つかないほどに筋肉のついた引き締まった身体をしている。
それは元々恵まれた資質だけがもたらしたものではなく、継続的な訓練が作り上げた賜物であった。
六人が集まると、タープテントは一気に賑やかになっていた。
「いっぱい遊んだら、なんかお腹すいたねー。」
あかりがお腹に手を当てながら口を開く。
「じゃあ、そろそろお昼にする? 篠宮先生が、今日はホテルの方に何でも頼んでいいって。」
彼らがいる砂浜はオオトリ・グループが有するリゾートホテルのプライベートビーチであり、今日は貸切となっていたのだ。
「本当に!? じゃあ、焼きそばとイカ焼き!」
「南国のリゾートに来てそれでいいのか。」
一真が呆れ顔を見せる。
「いいじゃない。海水浴の定番でしょ? 美味しいし。」
「冷たいものとか食べたいね。千鶴ちゃんは?」
「はい! ソフトクリームがいいです! 静香さんは何食べます?」
「私はかき氷かな。」
あかりが立ち上がって手を上げる。
「じゃあ、私はソフトクリームとかき氷両方。」
「相変わらずよく食べるな、あかりは。」
「んん? 何よ、いいじゃない。」
眉間に皺を寄せたあかりが一真を睨むと、千鶴が割って入る。
「ちょっと、お兄ちゃん!? ダメじゃない、そんな言い方したら。」
「……そうか……?」
「もう。そんなだから、なかなか恋人ができないのよ。いつも言ってるでしょ、あかりさんみたいな素敵な人に彼女になってもらわなきゃダメって。」
「まあ。」
静香が口に手を当てる。
あかりは両手を腰に当て、一真の顔を下から覗き込むようにして口を開く。
「あらー、よくわかってる妹さんを持って幸せね〜。どうしよっか? 御堂くん?」
一真は特に表情を変えることなく、言葉を返す。
「そういうのはお互いの気持ちを確認してからじゃないと。特にこちらの。ねえ、城戸さん?」
「あらー? 後でお話ししようね、御堂くん。二人っきりで。ゆっくり。」
語尾を段々と強めながら引きつった笑みを見せるあかりと、無表情な一真が見つめあっている。
その様子を見て、千鶴は思わず手を頬に当てる。
「二人きりってことは……真夏の急接近……? これが南国の
何か思い違いをしているらしい彼女は、そう言って顔を赤らめた。
大進が傍の静香に小声で話しかける。
「どこにいても、あの二人は変わらないでござるな。」
「本当に。」
静香は小さく頷いて微笑んだ。
◇
「みんなー。」
遠くから彼らの元に届いた良子の声に、久遠達が振り向く。
「お腹すいたでしょー。ホテルの方にお昼を頼んでおいたから、今持って来てくれるってー。」
「焼きそばある? イカ焼きは?」
あかりと付き合いの長い良子は、その辺はお見通しだったらしい。
「もう頼んであるわよ。ソフトクリームとか、かき氷とかも、ひと通り食べたいでしょ。」
「おおおー! やったー!!」
水着姿のあかりが飛び跳ねんばかりに歓声をあげる。
空の頂点を指して間もない夏の太陽が、彼女の姿を強く照らしていた。
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