第25話 良子とあかり
UNITTE筑浦研究所。
夜遅くひっそりと静まり返った地下一階のカフェテリアは、中央の談話スペースだけに照明が灯され、がらんとした室内には連続した打鍵音が響いている。
篠宮良子は長ソファーに座り、銀色のノートパソコンを膝の上に載せて仕事をしていた。
深いブラウンの髪を後ろにまとめ、いつもの白いブラウスに紺色の長スカート。
研究所内で着ている白衣は、丁寧に畳まれて傍に置かれていた。
報告書をひとつ打ち終わった彼女は、大きく伸びをする。
その時、小さな靴音が近づいてくるとともに、綺麗なよく通る声が室内に響いた。
「良子? まだいたの?」
「あら。あかり。」
良子が振り向くと、制服姿の城戸あかりの姿があった。
「どうしたの、こんな遅くまで。」
「トレーニングルームで亮太さんの動画を観てたら、つい。」
「また観てたの?」
「うん。ちょっと気になってさ。私の回し蹴り、やっぱり高さが足りないみたいなんだよね。」
あかりはそう言って軽く飛び上がると、左足を後ろに繰り出す。
グレーのスカートが揺れ、しなやかな脚が空を切った。
あかりが言う『亮太さんの動画』は、各種の格闘術を収めたビデオであり、ディメンジョン・アーマーの動作プログラムの基礎となっている。
「あかりらしいわね。でも、亮太君が聞いたら喜ぶでしょうね。」
良子はそう言って笑みを見せた。
「良子、お仕事まだかかるの?」
「もうちょっとかな。」
「何か飲む? 」
「じゃあ、ミルクティー。」
「わかった。私もそれにしよ。」
あかりは軽い足取りでカフェテリアの奥に向かった。
静かな室内に、ベンダーマシンの動作音が響く。
やがて彼女は両手に温かいミルクティー持って戻ってくると、テーブルに並べ、良子のすぐ隣に腰を下ろした。
「今日はみんな早いね。帰り。」
「早帰りしやすい日を増やしたのよ。家庭がある研究員が多いからね。それに、仕事だけじゃなくて自分の研究もしてもらいたいし。」
良子はキーを打つ手を止めて。ミルクティーに口をつけた。
「良子は帰らないの。」
「合宿で長めの休暇を取るからね。少しでも片付けとこうと思って。」
「大人は大変だねー。」
「あかり達だってやること沢山あって大変でしょ。そうだ、期末テストかなり良かったみたいじゃない。」
「へへ。頑張っちゃった。ご褒美くれる?」
あかりはそう言って良子に身体をくっつける。
ブラウス越しに感じる彼女の体温と共に、柔らかな髪が良子の肩に触れる。
「ご褒美かー。あかり、何か欲しいものあるの?」
あかりは待ってましたとばかりに目を輝かせる。
「輸送機! ディメンジョン・アーマーの! 白くてでっかいやつがいい!」
「そんな予算無いわよー。」
良子はノートパソコンを閉じながら、小さなため息をついた。
「やっぱダメかあ……。」
「そりゃそうよ。今の規模でも予算組むの、大変なんだから。」
苦笑する彼女を見ながら、あかりは少し考えこむと、再び目をきらきらさせて良子の顔を覗き込む。
「じゃあ、久しぶりに、いい?」
「いいわよ。」
良子はそう言って笑うと、膝に乗せてあったノートパソコンをテーブルに置く。
あかりはソファーに横になり、長いスカートに包まれた良子の脚に頭を載せた。
「あー、なんか久しぶりー。良子の膝枕。」
「中学生くらいまではよくしてたわね。」
「ああ、これこれ。硬すぎもせず、柔らかすぎもせず……。んー? 良子、ちょっと柔らかさが増した?」
「……そんなことを言うのは、このぷにぷにの口か〜。このー。」
良子は人差し指であかりの頬をぐりぐりとする。
「くすぐったい、くすぐったいってば。」
あかりは子供のようにひとしきり笑うと、そっと瞼を閉じた。
良子は彼女の頬にかかった柔らかな髪を指先でそっと動かす。
初めてこうして膝に頭を乗せてあげたのは、あかりがまだ小学生だった頃だ。
あれから何度となくこうして膝枕をしてあげたが、どういう時にこうやって甘えてくるのか、良子はなんとなく気がついていた。
「あかり、何かあった?」
「ううん。」
「そう。」
「……本当はちょっとある。」
「なあに?」
良子はあかりの髪を撫でながら、優しげに問いかける。
あかりは少し間を置いてからゆっくりと口を開いた。
「静ちゃんのことなんだけどね。」
良子は黙って小さく頷く。
「何か悩んでることがあるんじゃないかなって。」
「……。静香は何か言ってたの?」
「ううん。だけど……。」
あかりは小さく息をついてから続ける。
「こないだの調査活動の時もそうだったけど、ここ最近ずっと何か変だなって。」
「何か変わったことがあったの?」
「ううん。何も変わらないの。いつも通り。話していれば普通だし。何か言えば笑って答えてくれたりもするし。でも、不自然なくらい変わらないというか……なんかこう、無理に静ちゃんらしく振る舞っているというか……。」
そう言うと、彼女は悲しそうに目を伏せた。
良子は手のひらであかりの頭を優しく撫でる。
あかりは繊細な子だ。
人の言動や行動の変化をよく感じとる。
快活な顔の下には今でも、病床の身で大人達の顔色を見て過ごさざるを得なかった子供時代の彼女がいるのだろう。
良子は優しげな口調であかりに問いかける。
「静香に聞いてみたら?」
「え? でも……。」
あかりはしばらく黙りこんだあと、ゆっくりと話し始めた。
「最近はね、そうでも無いんだけど……。」
彼女は小さな手を握り、消え入りそうな声で呟く。
「静ちゃんってさ……。いつもにこにこして優しいけど、あるところまで近づくと、ふっと身を引いて距離を取られちゃう感じがあるんだよね。それがなんだか怖いというか、寂しいというか……。」
あかりはそう言ってまつ毛を伏せた。
良子は、あかりが感じる寂しさも、そうならざるを得なかった静香の人生のことも、痛いほどに理解していた。
目を伏せるあかりの横顔を見ながら、良子は
「それでも、話さなくちゃわからないじゃない。あかりは静香のこと大切だし、心配なんでしょ。」
あかりは黙って
「いつも真っ直ぐにぶつかっていくのが、あかりのいいところじゃない。静香だって、あかりに話を聞いてもらったらきっと嬉しいわよ。」
「そうかな……。そうだよね……。」
良子はあかりの横顔を見つめる。
子供っぽかった丸顔が、いつの間にか、大人びた横顔になったなと思った。
「良子って、やっぱりお姉ちゃんみたい。」
良子は小さく笑って答える。
「一緒に街を歩いているとさ、よく姉妹に間違えられたわね。」
「そうそう。私、嬉しかったんだ。お姉ちゃん、欲しかったから。」
そう言ってあかりは微笑んだ。
あかりの横顔に笑顔が戻ったことに、良子は安堵していた。
病から回復した彼女のリハビリの手伝いと、ディメンジョン・アーマーの研究で彼女と一緒に過ごす時間が多くなった頃、あかりはいつしか良子のことを『お姉ちゃん』と呼ぶようになっていた。
良子はそれが何だか照れ臭く、いくつかの経緯を経て、あかりは彼女のことを『良子』と呼ぶようになったのだ。
あかりが年の離れた良子を名前で呼ぶのは、人によっては奇妙に聞こえるかも知れない。
だが、彼女達にとってそれは、姉妹とも友達とも異なる特別な絆を確認する術だったのだ。
良子はそのことを懐かしく思い出しながら、微笑んであかりに語りかけた。
「良子お姉ちゃん、心配しちゃった。」
「何を?」
「好きな男の子ができたーとかだったら、どうしようって。」
その瞬間、あかりは血相を変えて跳ね起きる。
「りょ、良子までそんなことを言うの? いないから、そういうの。本当に!」
「そう? 勿体無いと思うけどな。」
良子があっけらかんとした笑顔で言う。
あかりは少し間を置いてから、小さな声で呟くように問い返した。
「……もしもだよ。」
「?」
あかりは良子の目をまっすぐに見たまま、真剣な目で尋ねる
「もしも、私にそういう子ができたら、良子は……応援してくれる?」
良子はあかりが見せる張り詰めた表情に、少しだけ驚きを感じていた。
だが、彼女は優しげな笑顔を見せると、手を伸ばしてあかりの頭を撫でた。
「当たり前じゃない。私、全力で応援する。全力であかりのことを応援するからね。」
良子はしっかりとあかりの瞳を見つめてそう告げた。
「本当に?」
「何言ってるの。本当に決まってるでしょ。」
笑って返事を返す良子に、あかりも照れ笑いを見せる。
彼女は両手でミルクティーのカップを手に取った。
「冷めちゃったからレンジであっためてくるね。良子のも。」
そう言って早足で駆けていく彼女を、良子は笑顔で見送った。
「好きな男の子、か。」
良子は小さく呟く。
あかりにも、いつかはそんな時が来るのだろうか。
ああいう言い方をするということは、ひょっとしたらもう彼女の心の中には、その一部を占めている人がいるのかもしれない。
そう考えると、良子は嬉しい気持ちと、少しだけ寂しいような気持ちに駆られた。
思えば、高校生になってからのあかりとは、昔のように二人で街を歩いたり、こうして話を聞いたりすることも少なくなっていた。
学校よりも病院や研究所の行き来が多く、友達が少なかった小中学生時代のあかりを思えば、彼女が静香やクラスの友達と過ごすことが増えたことは、良子にとって嬉しいことだった。
姉妹のように過ごした良子とではなく、これからは同じくらいの年の子達と、良い思い出を作っていくのだろう。
(そしていつかは……)
電子レンジの前でミルクティーが温まるのを待つあかりの姿に、目を移す。
(誰かに恋をする時が来るのかしらね。)
良子はあかりの横顔を、優しげな眼差しで遠く見つめていた。
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