第24話 展望塔に佇む

 茨城県つくば市。

筑浦市の隣に位置する県内最大級の都市である。

十五年前に世界中を襲った外的脅威の侵攻後、重要な国策として示されたのは首都機能の地方移転だった。

被害が比較的小さかったつくば市は、複数の省庁の移転先として選択されたこともあり、著しい発展を遂げていた。

中心街から西に離れた場所に、研究所が数多く立ち並ぶ地域がある。

その中には大きな人工池と、それを見下ろすような石造りの展望塔が建てられた公園があった。

その展望塔は、発展するつくば市の象徴として市内の公園にある同型の展望塔を模して建設されたもので、高さ四十五メートルという威容を誇っている。

巨大な『栓抜き』を思わせるような独創的な塔の上には、夜空に溶け込むように佇む一人の男の姿があった。


「変わらないでござるな、ここから見る景色は……。」

展望塔の上に立ち、遠い街の灯を眺めているのは、滝川大進であった。

闇夜に溶け込むような濃紺の忍者服に身を包み、腕を前に組んでいる。

首元に巻かれた緑色のマフラーが、夜の風に任せて静かに揺れていた。

彼がまとう忍者服は、筑波山中の隠れ里にルーツを持つ『筑波忍つくばしのび』伝統の忍び装束であった。

時の権力者の要人警護で古くから名を馳せた筑波忍は、現在は一族全体が諜報活動や警護といった忍者としての稼業を手放し、語り手や守り手という形で忍の技術や知識の伝承を行うのみとなっている。


 大進がこの場所に佇み、どれくらい時間が経ったであろうか。

ざわついた彼の心は、この高い塔に閉じ込められたかのように、胸の奥を彷徨さまよっていた。

「やはりここにいたか、大進。」

聞き慣れた声が耳元に届き、彼は振り返る。

塔の端には、大進と同じ紺色の忍者服に身を包み、ポニーテールに結んだ茶色の髪と、首元の赤いマフラーをなびかせた女性が音も無く立っていた。

月明かりに照らされた彼女は、口元をマフラーで覆っているものの、強い意志を感じさせる眉と瞳が織りなす魅力と、鍛え上げられた肉体の持つ端正な美しさは、いかに忍び装束といえども隠しきれずにいるようだった。

「姉上……!」

「大進。この忍び装束を身に包む時は、何と呼ぶか覚えているか?」

彼女は大進の側へと歩みを進める。

「師匠。」

大進はそう言って片膝をつく。

彼の姉である滝川しのぶは黙って彼の前に立つと、大進の額を人差し指で弾いた。

「私はもう筑波忍ではない。ただの女子大生であって、もうお前の師匠ではないのだ。」

「師匠と呼ばないと、それはそれでまたねるのでござろう……?」

大進がそう言って困り顔で立ち上がると、しのぶは「そうだ」と小さくつぶやいて笑顔を見せた。

「姉上、なぜここに。」

「母上が心配してな、様子を見てくるようにとチャットが来たのだ。」

「何ゆえ、母上が。」

「先日、家族で『焼肉宝山たからやま』に行って焼肉を食べた時に、大進はご飯のおかわりを二杯しかしなかったであろう。母上の前で隠し事はできぬぞ。」

『焼肉宝山』とは、茨城県発で全国展開している焼肉チェーン店である。

大進は学業と国連の仕事のため、姉のしのぶは都内の大学生活のために、それぞれ親元を離れて一人暮らしをしているが、週末は筑波山近くにある実家へと帰り、家族四人で過ごしているのだった。

「……さすが、母上。元筑波忍の頭領らしい眼力でござるな……。」

「違うぞ、大進。母親というものは、そういうものなのだ。」

しのぶはそう言って、得意そうにうなずいた。

「姉上はよく拙者がここにいるとわかったでござるな。」

「ここはお前が初任務を果たし、筑波忍の一員として認められた場所だ。もし何か心に迷いがあるのであれば、ここに来ていると思ったのだ。」

そう言って彼女は眼下に広がる人工池を指差す。

「お前達が修行の末に編み出した新しい忍法『天翔あまがり』が生まれた場所でもあるからな。」

大進は下弦の月が映る水面を眺めた。

そして、緑色のマフラーに無意識に手を添える。

「懐かしいな、大進。お前が警護の任務を成功させただけでなく、新しい忍法を完成させたあの時、私は嬉しくて舞い上がるような想いであった。師匠としても、姉としてもな。」

「姉上……。」

「警護対象であり、お前と共に忍法を編み出した少女……。諏訪内静香と言ったな。同じ高校、同じ国連のチームにいると聞いていたが、元気にしておるのか。」

大進は少し言い淀んだ後に、水面を見つめたまま小さく頷く。

「どうやら、訳ありの様子だな。喧嘩でもしたのか。」

大進は首を振る。

「ならば、距離が近づいたのか?」

赤いマフラーで口元を隠しながら、しのぶは大進の目を覗き込む。

彼は今まで見せたことのないような沈んだ表情を見せると、ゆっくりと首を振った。

「なるほど、そういうことか。」

彼女は小さくため息をつくと、石造りの塔の端に座る。

大進も彼女の隣に無言で腰を下ろした。

夜空の月は薄く雲を纏っていたが、展望塔の二人に優しい光を投げかけている。

「我ら筑波忍は、代々要人警護を生業としてきた。警護対象と特別な関係になることは長い歴史の中では珍しいことではない。」

「……拙者と静香殿は……そういう関係ではござらぬゆえ……。」

「だからこそだ。そのことがお前を苦しめているのであろう。」

「……!」

「忍者として訓練され、表面では器用にふるまっていても、中身は生真面目で不器用だからな、お前は。」

しのぶはマフラーを外し、笑みを見せる。

「姉上……。」

「これまでの関係に縛られて彼女の想いに応えることができない、かといって新しい関係に進むこともできない。大方そんなところであろう。」

大進はため息をついて答える。

「……。まるで拙者の全てを見通しているようでござるな。」

「それはもちろん。お前の元師匠であり、姉だからな。」

そう言って笑うしのぶの横で、大進は何も答えられずにいた。

空では星が瞬き、時折気まぐれな夜風が二人を撫でていく。

やがて、大進はゆっくりと口を開いた。

「拙者は……自分自身の心すらわからないのでござるよ。それに、静香殿が拙者のことをどう思っているかなど……。」

しのぶは大進の俯いた横顔を見ると、静かに口を開いた。

「覚えているか。二年前にこの場所で初めて『忍法 天翔け斬り』を成功させた時のことを。」

しのぶは手元の小さな石を拾うと、眼下の池に放った。

長い時間をかけて落下した小石は、やがて小さな水音と共に暗い水面に波紋を広げる。

「お前の類稀たぐいまれな体術に、諏訪内静香の超能力を重ねることで実現する、まさに天を駆ける大技だ。初めて見た時、私はその美しさに思わず見惚れたよ。」

「姉上……。」

「その美しさとは、飛翔して剣を斬り下ろすその姿だけではない。わかるか、大進。」

「……どういうことでござる。」

「念動力を使う者は、相手の一挙一投足に注意を払い、自分自身の身を捨ててでも持てる力の全てをつぎ込まねば、相手の身体を天空へと駆け昇らせることはできないからだ。その身を捨てる献身の美を見ずして、何を美しいと言おう。」

「……!」

大進は、筑浦水郷パークでの戦いで、静香が背後に現れた次元獣に反応できなかったことを思い出していた。

全身全霊で念動力に集中する静香は全くの無防備に近い状態になるのである。

「お互いの心が通じ合い、信頼していなければ、あのような技は不可能だ。護る者、護られる者という役割を越えた関係だからこそできたのであろうな。」

「役割を越えた……。」

「まだ解らぬのか大進。あの娘は、お前のことを心から信じ、全てを賭けてでも守りたいと思っているからこそ、自分の力をあのような形で使うことができるのだ。」

「……!」

大進は大きく息をつくと、首元のマフラーにそっと触れる。

「護っていると思っていたのに……。護られていたのでござるな、拙者は……。」

「今頃わかるとは、全くの未熟者だ。これは再び鍛え直さんといかんようだな。」

彼女は言葉の内容とは裏腹に、優しげに微笑む。

「お前も本当はすでにわかっていよう。……向かい合う時が来たのではないか。」

「……静香殿とでござるか。」

しのぶは口元で笑みを見せると、握り拳で大進の胸板を叩く。

「お前自身の心とだ。」

大進は黙って胸に手を当て、ため息をついた。

「まったく、姉上には敵わないでござるな。」

「当たり前だ。お前を強く育てた師匠だからな。それに……。」

彼女は優しげに微笑む。

「姉というのは、そういうものだ。」

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