第22話 いつもと違う水曜日

 新誠学園高校旧校舎。

篠宮良子は司書教諭としての仕事を片付け、旧図書室を後にしようとしていた。

慣れた手つきで引き戸に鍵をかけながら、ふと思い出したように呟く。

「そういえば、今日は水曜日か。あの子達、C教室にいるのかしら。」

C教室は旧図書室のすぐ隣に位置する。

彼女は教室の入り口まで歩いていくと、引き戸をそっと開いた。


「みんなー、お疲れー! 元気ー?」

弾んだ良子の声が教室に響く。

室内の雰囲気はどんよりとよどみ、城戸あかり達五人は机で作られたテーブルを囲んだまま無言で座っていた。

「……お疲れだけど、元気ではないみたいね……。」

「篠宮先生……。」

入口に立つ良子を、久遠が覇気の無い顔で見つめる。

「どうしたの、みんな。暗い顔して。」

彼らのテーブルまでやって来た良子に、あかりは無言でタブレットに表示された生徒会からの通知書を見せた。

「あら、部活動の申請書は受理されたのね。良かったじゃない。」

「良子、下の方を読んで。」

「下?」

良子は彼女から手渡されたタブレットの画面に目を通すと、驚いて声を上げる。

「審査のため活動予定とこれまでの実績を記して提出すること……って。え? 予定はともかく、これまでの実績なんてあるわけないじゃない。」

「そうなのでござるよ。」

大進はそう言って宙を見上げる。

「提出しても部活動管理委員会で承認されない場合は、部ではなく研究会からのスタートになるので、色々制限があるそうなんです。場合によってはC教室の使用も制限されるかもって。」

久遠はそう言って大きなため息をついた。

「生徒監査部も首を傾げていたでござる。今までは申請書一枚で通ったところが、なぜ今回はそんなに厳しい審査なのかと。」

良子があらためて通知書に目を通すと、彼女はわずかに怪訝な顔を見せる。

彼女の視線の先には「部活動管理委員会委員長 白鷺百合」の文字があった。

白鷺百合は学園の生徒なら誰でも知る、生徒会きっての実力者である。

部活動の代表者達からなる部活動管理委員会は、実質的には生徒会が運営しているのだ。

彼女の表情を変えさせたのは、理事会を二分する騒動となっている旧校舎の建て替えにまつわる話に白鷺家が関わっているという噂を知っていたからだ。

 

 久遠がタブレットに表示されている通知書を見ながら口を開く。

「部活動審査会は九月だそうです。一応、仮設置期間として今年の四月から九月までは活動期間として認めてくれるらしいんですけど……。」

「そうか。じゃあ、あと二ヶ月でなんとかするしかないわね……。」

良子はそう言って静香の隣の席に座った。

「これ篠宮先生の分です……。お口に合えばですが……。」

静香が力の無い声で、白いケーキを薦める。

お皿の上には、可愛らしいレアチーズケーキが座っていた。

砕いたクッキーで作った台の上に、艶のあるチーズクリームが乗っている。

良子はお礼を言って受け取り、小さなフォークですくって口に入れると、弾んだ声を上げる。

「うん、美味しい! さすが静香。甘さ控えめ、大人の味ね!」

良子の明るい声とは裏腹に、静香がさらに沈み込む。

「……実は……お砂糖の分量を間違えてしまって……。」

「い、いや、美味しいわよ。充分……。」

良子は慌てて場の空気を変えようと、久遠に話を振る。

「久遠君、何か良いアイディアはないの?」

「どうしても、これというのが思いつかなくて……。」

久遠はタブレットを繰りながら困り顔で答える。

「一真君や大進君は。」

「考えが無い訳ではないんだが……。」

「それで良いものかどうか、判断がつかんのでござるよ。」

一真や大進も難しい顔で天井を見つめている。

あかりや静香は黙って下を向いたままだ。

「……そうねえ……。」

良子は小さく呟くと、静香が淹れたセイロンティーに口をつけた。

(……困ったわ……。)

大進や静香をはじめ五人が精彩を欠いているのは、生徒会からの無理難題だけではなく、筑浦水郷パークでの調査活動を引きずっている部分もあるのだろう。

調査の成果だけを見れば大成功とも言えたが、静香の超能力が暴走しかけた上に、大進の機体は修理と重点検でメーカー送りとなってしまった。

遠因は大進と静香の関係性にあることも良子は薄々気付いていたが、一体どうすれば良いのか今の段階では見当もつかない。

UNITTEも調査で大きな実績は上げたものの、気を良くした国連からさらなる研究成果と内部体制の強化が求められており、篠宮良子をはじめとする組織のトップも対応に奔走している最中なのだ。

(問題が山積みだわ……。)

良子は小さく息をつくと、再びレアチーズケーキを口に運んだ。

「美味しい。」

確かに甘さはかなり控えめだが、その分爽やかなレモンの香りが引き立ち、ほんのりとした塩味で引き締められた濃厚なチーズの味わいを感じられた。

「塩の風味と、レモンの香りがいいわね。静香。」

「ありがとうございます……。夏らしい感じにしようかな……と思いまして……。」

「夏かー。」

良子はそう言うと、あかりに笑顔で話しかける。

「そうだ。夏といえば、もうすぐ夏休みじゃない。楽しみだねー。ね、あかり。」

「……そうだけど……、こんな状態じゃ……。」

いつもの彼女とは全く異なり、ぼんやりと生返事を返すあかり。

「それもそうよねえ……。」

良子はそう言って窓の外に目を移した。

日の長くなった外は、すっきりと晴れた青い空が広がっている。

良子は雲ひとつない夏空を眺めながら、何気なく呟いた。

「それじゃあ、合宿でもしちゃう? 夏だし。 ……なーんてね。」

彼女はそう言って遠慮がちに笑うと、良子の言葉に反応した全員の視線が、一斉に彼女に集まった。

「え、な、なに? 私、変なこと言った……」

口ごもる彼女を前に、あかりが身を乗り出す。

「……いいの!?」

「……え? ええ。みんながいいなら……。でも、みんなはどうなの?」

大進が腕組みをしたまま口を開く。

「確かに、合宿なら皆で一緒にレポートを書いたり取材をしたりできるでござるな。」

隣にいる静香も彼の意見に小さく頷き、久遠もそれに追従する。

「そうだね。みんなで集まって考えれば、いい活動報告が書けるかも。」

「良子、海は!? バーベキューは!?」

さっきまで沈んでいたあかりの顔が、嘘のように明るくなる。

「オオトリ・グループの施設が使えるか聞いてみるわ。あそこは離島だから、海も綺麗よ。」

「前に行ったあの島だよね! あの時は冬だったから、また行きたかったんだ!」

賑やかになった四人をよそに、一真は顎に手を当てて一人考え込んでいる。

「何、渋い顔してんの一真。あんたも行くのよ。心配しなくても、ちゃんと携帯の電波やWi-Fiも入るから、ゲームもできるわよ。」

「……妹のことがな。家に一人にさせるわけにはいかんし……。」

「え……?」

「そっか。一真君のところは、親御さんが仕事で留守が多いのよね。」

良子は人差し指を顎に当てて少し考えると、一真の方を向いて口を開いた。

「良かったら、妹さんも一緒にどう?」

一真は少し考えた後に、小さく頷く。

「……それならいいかも知れません。」

その様子を見て、あかりは弾んだ声を上げた。

「やった! 一真の妹ちゃんに久々に会える〜。」

彼女は手を頬に当て、顔を緩ませながら続ける。

「入学式で初めて会った時、『あかりさんみたいな素敵な人になりたいです!』って言われちゃってさあ〜。もー、可愛くて可愛くて。」

「社交辞令って知ってるか、あかり。」

「あによ。やっぱあんただけ留守番にする?」

いつも通りのやりとりを始めた二人を見ながら、大進が笑みを見せる。

「何とか、良い方向に動きそうでござるな。」

「そうですね。」

同じく微笑んで頷く静香に、あかりが横から抱きつく。

「静ちゃん、水着買いに行こ! 水着!」

「え? え? 学校のじゃなく?」

「そうよ。せっかく海に行くんだもん、新しい水着買わなくちゃ!」

静香は一瞬だけ大進の後ろ姿に目をやった後、あかりの顔を見て小さく頷く。

「よおし!」

あかりは勢いよく立ち上がった。

「合宿だーーーっ! 生徒会に凄いの提出して、ビックリさせてやろうね!」

良子はすっかり賑やかさを取り戻した五人の姿に胸を撫で下ろした。

「良かったわ。じゃあ、私はみんながしっかり合宿ができるように、国連と学校に申請を出しておくわね。」

全員が静まり返り、一斉に良子を見る。

「え、な、何?」

「……良子も行くんだよ?」

「へ?」

「だって、顧問の先生でしょ。」

「いや、そうだけど……。」

戸惑いの様相を見せる良子に近づき、無言で顔を覗き込むあかり。

助け舟を出すように、大進が口を開く。

「生徒だけで行くとなると、色々難しいでござるしな。」

奥にいる久遠が、大きくうんうんと頷いてアピールをしている。

良子はしばらく考え込んでいたが、やがてふっと笑って口を開いた。

「そうね。UNITTEを創ってからというもの、ずっと休んでないし。それもいいかもね。」

「やったー! 良子、大好き!」

あかりは良子の首元に抱きつく。

「もう、あかりったら。」

彼女は困り顔でそう言うと、小さく安堵の息をついた。


   ◇


 その日の夜。

所長代理室のソファーで胡座あぐらを組んでいる大鳥真美は、ノートパソコンのキーを叩きながら呟いた。

「いいんじゃないか。ちょうど羽衣島の別荘も空いているし。襟子えりこさんにも言っとくよ。」

大鳥襟子は真美の叔母にあたり、巨大企業であるオオトリ・グループの実質的な舵取りを任されている。

真美は大きく伸びをしながら続ける。

「他にも色々用事があるし、私も一緒に行くかな。そろそろあそこの共同研究所に行く時期だったし。」

「あら、本当に!?」

デスクでコーヒーを立てていた良子が明るい声を上げる。

「有給が溜まり過ぎて、青山の事務局から最後通牒が来た。それに久しぶりに海を見るのもいいかと思ってな。」

大鳥博士はそう言うと、ノートパソコンを閉じながら小さく笑みを見せる。

良子は彼女に淹れたてのコーヒーを手渡しながら微笑んだ。

「良かった。みんなも喜ぶわ。」

「あそこに行くのも久しぶりだな。」

真美はそう言ってマグカップに口をつける。

「そうね。こないだの冬に、あかりと機体のデータを取りに行ったっきりね。」

「そうじゃないだろ、良子。」

良子はハッと気づく。

「……一度だけ行ったわね、みんなで。竜崎さんにリサ、椿さん、司君に亮太君。それから……。」

懐かしげな顔でその名を口にする良子。

「彼方……。」

良子は小さな笑みを見せて呟く。

「あの子が海を見たことがないって言ってたから……。」

「……案外忘れてしまうもんだな。絶対に忘れることはないって思ってたのに、いつの間にか。」

真美の言葉に、良子はマグカップを両手で抱えるようにしながら息をついた。

「そうね……。でも、良い思い出があった。その事実は消えないもの。」

「いい思い出を作れるといいな、あいつらも。」

そう言って真美が笑顔を見せると、良子は同じく笑みを返し、小さく頷いた。

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