第15話 五浦の直感

「静香、聞いてる?」

五浦教授の声に、静香は慌てて顔を上げる。

「はい。五浦さん。」

UNITTE筑浦研究所の二階に位置する大会議室。

数日後に控えた調査活動のミーティングには、篠宮良子をはじめとする第一研究企画室のメンバーと、静香を担当する五浦綾子教授、新誠学園の制服姿の久遠達五人がいた。

「すみません、中断してしまって。続けてください。」

良子は五浦の言葉に頷くと、再び話し始める。

「先ほど説明した通り、今回の調査活動は大進君と静香の組み合わせで行います。北沢主任、今回の調査対象についてお願いします。」

北沢は頷くと、壁面ディスプレイに映し出された資料の横に立った。

「今回の調査対象となる次元獣のTLは2という予測だ。とはいえ、今回は多めに見積もっての値になる。二人なら十分に対応できるだろう。」

TLとはThread Levelの略となり、その数字の大きさが出現する次元獣の脅威度を示している。

「私と一真は留守番かー。」

あかりは背もたれに身を預けて残念そうに呟いた。

その様子を見ていた良子が口を開く。

「あかりは少し働き過ぎだからね。一応バックアップ要員という形にはしてあるけど、今回は出番がないと思ってて。」

良子に続いてリード・メカニックの南ひろ子が説明する。

「一真の機体は前回の調査活動で、あちこち細かい損傷があったみたいでね。メーカーの工場がある松山で重整備することになったんだ。」

そう言って南が一真に目を向けると、彼は小さく頷いた。

真美がいつも通りに床に座ってノートパソコンを叩きながら呟く。

「今回もお客さんがいるしな。いざという時にはお客さんに働いてもらうさ。」

彼女の言葉に、良子は口をへの字に曲げて付け加える。

「……今回はね、ジュネーブ事務局付きの国連軍特殊部隊が実地研修という名目で入るわ。もちろん、前回と同じくこちらから要請するまで待機という形になるけどね。」

「なあに、今回もお土産だけ持って帰ることになるさ。」

「そうね。れんこんサブレーをまた頼んでおかなきゃ。」

良子が小さく笑うと、同席していた研究員達からも笑いが漏れた。

前回の調査ではあかり達の活躍で、国連軍には出番が無く、文字通りに手渡した地元産のお土産を持って帰るだけとなったのだ。


 五浦教授は冷静な表情を変えることなく静香の横顔に目を向ける。

黙って会話を聞いている静香は、傍目にはいつも通りの彼女に見えた。

(やっぱり気になるわ……)

ここ最近の彼女が出す機体動作試験の結果や、脳波などの身体的な数値を見る限りでは何も異常が無いように思える。

だが、いつもと何かが違うという感触を捨て去ることができなかった。

研究者としての五浦が最も優先するのは、数字とエビデンスである。

だが、直感と呼ぶべき長年の経験から導き出される感覚にも、ある程度の意味があることを知っていたのだ。

「篠宮所長代理。」

「どうしましたか、五浦教授。」

「今回の調査、静香をバックアップに下げられないかしら。」

「え?」

意外な提案に、良子が驚いた表情を見せる。

「私、できます!」

静香が反射的に声を上げた。

五浦は、普段見せたことのない彼女の強い反応に驚きつつも、そのことが自分の直感を裏打ちしているように感じていた。

「静香。前回の大規模調査でもかなり負荷が大きかったわ。今回はバックアップに下がって、滝川君と他のメンバーに任せた方がいいと思うの。」

「五浦さん、昨日までは、大丈夫、全く問題ないとおっしゃってたじゃありませんか。」

「……数値は大丈夫だし、問題ないわ。」

「なら、どうして……。」

俯く彼女に、沈黙で答える五浦。

北沢をはじめとした研究者達は、二人の様子を伺ってている。

あかりや久遠達も、静香が滅多に見せることが無い感情的な姿に驚きの表情を隠すことができなかった。

あごに指を当てて様子を見守っている良子も、内心穏やかではなかった。

五浦が直前になってこのようなことを言うのは今まで例がない。

とはいえ、優秀な研究者として内外に知られる彼女が、何の根拠もなくそのようなことを言うとは思えなかったからだ。

良子はしばらく二人の様子を伺っていたが、何かを思いついたように目を上げると、トーンを抑えた口調で静香に語りかける。

「静香、五浦教授のおっしゃることも確かだわ。前回の調査からそう日が空いているわけではないもの。無理はしないほうがいいわ。」

「篠宮先生……。」

静香が消え入りそうな小声で呟くと、彼女の小さな肩に大進の大きな掌が乗せられる。

彼女が彼を見上げると、大進は黙って頷き、口を開いた。

「篠宮先生、五浦教授。拙者が静香殿に負担をかけないようにするでござるよ。それでは足りないでござるか。」

良子は待ち構えていたように、表情を変えずに大進に問う。

「前回の調査がそうだったように、今回も何が起こるかわからないわ。大進君の実力は認めているけど、あなたが頑張るだけではどうにもならないことだってあると思うわ。大進君ならわかるでしょう?」

俯いている静香の横で、大進は彼女に寄り添うようにして立っている。

良子は大進に向き直って続ける。

「だから、二人で協力して事にあたること。そして、何かあれば即座に引いて国連軍に調査を引き渡すこと。この二つを心がけてくれるかしら。」

「もちろんでござるよ。」

そう言って良子の目を見据え、いつもの逞しい笑顔を見せる。

「大進君……。」

静香は小さな手で大進の腕に触れる。

「大丈夫でござる。何があっても、拙者が守るゆえ。」

良子はその様子を見て小さく頷くと、二人に語りかけた。

「わかったわ。当初の予定通り二人に今回の調査活動を託したいと思います。」

彼女は五浦の方を振り向き、口を開く。

「よろしいですか、五浦教授。」

五浦は小さく息をついて頷く。

「滝川君がそこまで言ってくれるなら、安心だわ。私も少し心配し過ぎたわね。」

「五浦教授。かたじけないでござる。」

静香の横で、大進は頭を下げる。

「静香。決して無理だけはしないのよ。」

五浦の言葉に、静香はわずかに目を逸らしたまま頷いた。

良子は大進と静香の元に歩み寄ると、両手を広げて二人の腕に手を添えた。

「大進君、静香。頼むわね。」

二人は黙って頷く。

良子は壁面ディスプレイの前に立つと、全員に口を開いた。

「今回の調査は、前回の大規模調査のすぐ後ということもあり、国連からも注目されています。でもね、だからと言って無理することはないわ。私が言うのはいつも同じ。調査活動は身の安全を最優先に。世界のため、未来のため、地道に研究を続けていきましょう。」


オフィスチェアに身を預けているあかりが、天井を見上げながら呟く

「やっぱりお留守番かあ。」

「あかり。」

良子がため息混じりに呟くと、彼女は笑顔を見せながら答える。

「いいのよ良子。私、大進君と静ちゃんのこと、研究所の大きなモニターで見たかったし。大進君、静ちゃん、大技出してよね。凄いやつ!」

あかりがそう言って笑うと、横にいる久遠も釣られて微笑む。

だが、一真だけは大進と静香の様子を見ながら表情を変えていなかった。

良子は小さく息をついてから、口を開く。

「さて、ちょっと休憩にしましょうか。十分後、調査計画の詳細について話をしましょう。」


   ◇


(本当にこれでよかったのかしら……。)

大進と静香を囲むようにして談笑するあかり達の姿を見ながら、良子は逡巡しゅんじゅんと安堵が入り混じったような心持ちになっていた。

五浦ほどはっきりとではないが、良子自身も今日の静香には違和感を感じていた。

判断に迷うような小さな違和感だったが、静香がさらに平静を失うようであれば、今回の調査活動から外すこともやむを得ないと考えていた。

だが、大進やあかり達、何よりも静香自身の気持ちを考えれば、それはあまり良い選択ではなかっただろう。

毅然きぜんとした大進と、平静を保った静香のおかげで、良子は今回その選択をしなくて済んだことに安堵していた。

とはいえ、それが本当に正しい選択だったのかは彼女にもわからなかった。

もちろん常に正しい道を選ぶことなどできはしないし、本当に正しかったかどうかは時間が経たねばわからないことがほとんどだ。

だが、強大な次元獣の前に身を晒す必要がある彼らには、できる限り正しい選択をしてあげたい。

最も正しいと考えられる道を拓き、その後は機械の鎧に身を包んだ彼らを信じ、託す。

今の自分達には、それしかできることはないのだ。

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