第16話 周回する心

 調査活動を間近に控えた昼下がり。

旧校舎裏にある小さな庭園の東屋あずまやには、御堂一真の姿があった。

彼はいつものように一人で昼食を済ませ、手にした携帯ゲーム機を操作している。

学園の外れにあるこの場所には、昼休みの喧騒はほとんど届いてこない。

時折庭園の池を跳ねる魚の音が小さく聞こえるくらいの、静かな場所だった。

「めーがーねークン?」

突然彼の目の前に現れたのは、同じクラスの朝霧鏡花あさぎりきょうかだった。

白いブラウスの胸元を大きく開け、長い銀髪を後ろに縛った彼女は、東屋の下に入ると小さく息をついてハンカチで額の汗を拭いた。

「ここ、案外涼しいんだね。いいとこ知ってるじゃん。」

「誰も来ないからな、ここは。それに電波もよく入る。」

鏡花は一真が手にしているゲーム機を覗き込む。

「何やってんの。こないだ言ってた、レイドってやつ?」

「今日は単なる周回だ。」

「ふーん。周回って、何やるの?」

「昨日上限解放された水神龍の鎧のプラス値を上げるために、ダークアビスヒドラが落とすうろこが大量に必要になるから、主な生息地となるアクアパレス廃墟の南門付近とクリスタルレイク周辺を順に周るんだ。」

「???」

曖昧あいまいな笑顔を浮かべたまま固まっている鏡花を見て、一真はゲーム機の操作を続けながら言い直す。

「強い鎧を作るには、レアな素材が大量に必要になる。だから同じステージを何周もして、必要な素材を集めるんだ。」

「最初からそう言えばいいじゃん。」

鏡花は顔をほころばせると、一真のすぐ隣に座った。

「見てていい?」

「……邪魔しないならな。」

二人が座る木製のベンチは、あずま屋の屋根が日差しを遮り、庭園を囲むような池を抜けてくる風のおかげで、過ごしやすい場所だった。

時折吹いてくる風に揺られた銀色の髪が、一真の半袖から覗く腕をくすぐるようにして触れる。

普段は人と関わることを好まない一真だが、彼女が示してくる近い距離感を不思議なほど受け入れていた。

細身で背が高い彼女は人目を引く美しさと屈託のない明るさと同時に、どこかはかなげで浮世離れしたところがある。

それは彼女の銀色の髪が治療薬の影響であることと同じように、病との長い闘いが彼女をそう形作っていたのかも知れない。

「ねえ、あのトカゲ人間みたいな奴はどうやって倒すの。」

鏡花が画面を指差しながら話しかける。

「水棲生物系は電撃が基本だな。」

一真が操作するキャラクターは大きな弓をつがえると、槍を持ったトカゲのようなモンスターに電光の走る矢を次々に浴びせていく。

「眼鏡クン、ゲームのことになるとよく喋るんだね。」

「……邪魔しないんじゃなかったのか。」

鏡花は悪戯いたずらっぽく笑うと、彼に寄り添うようにして画面を覗き、縦横無尽に駆け回るキャラクターを黙って眺めていた。


 周回をする時の一真には、たいてい理由があった。

一定のルーチンと動作を繰り返す作業をすることは、彼にとって雑念を入れることなく考え事をする方法のひとつだ。

彼の頭の中には、昨日の大進と静香のことがあった。

二人のことを知ってからそう長い時間が経っているわけではない。

だが、調査活動やC教室でのひとときを通して、その人となりや関係性はある程度理解しているつもりだ。

諏訪内静香の様子がいつもと違っていたことはわかる。

彼が気にかけていたのは、大進もまたいつもと異なるように思えたことだった。

滝川大進は元々鷹揚おうような性格の上に、幼い頃から忍者として精神を制御する修行をしている。

だが、先日のミーティングの彼は、どことなく彼らしさに欠けるような気がしていた。

もちろん、どんな人間であろうと性格や行動が常に一貫しているわけではない。

だが、忍者として時には驚くほど冷静で現実的な考えを示すことのある彼が、調査活動にのぞむパートナーにこだわりの片鱗へんりんを見せたことが不思議に思えたのだ。

どんなに考えたところで何か答えが出るわけではないことも重々承知している。

無益なことをしている自分自身に半ば呆れつつも、それを止めることができないのも事実だった。

「考え事してるでしょ。」

一真のすぐ横で、鏡花が囁く。

「なぜわかるんだ。」

「だって敵を取り逃がしてるじゃん、さっきから何匹も。」

「……。」

「なにか悩み事があったら言ってみ? お姉さんが聞いたげる。」

両腕を前に組んだ鏡花が一真の黒い瞳を覗き込む。

彼は小さくため息をつくと、ぽつりと呟いた。

「……人の心はわからんな、と思ってな。」

一真は口をついて出た言葉に内心驚いていた。

自分こそ、まとまっていない考えを迂闊うかつ吐露とろするような人間だっただろうか。

鏡花は嬉しそうに笑うと、彼の口調を真似ながら答える。

「そんなの、私だってわからんな。」

「だろうな。」

「わかんないからさ、少しでもわかろうと努力するんだ。ほら、見て。」

彼女はそう言って傍に置いた古い革製のバッグを探ると、光沢のある青色をした真新しい携帯ゲーム機を取り出した。

「私も買っちゃった。ゲーム機とソフト。眼鏡クンがいつもやってるやつ。」

一真は操作の手を止め、彼女の方を見る。

「コバルトブルー・モデルか。珍しい機種だな。」

「お、さすがよく知ってる。これで毎日一緒にゲームできるね。」

鏡花はゲーム機を手にしたまま、一真に顔を近づける。

「……流石に毎日はやらないぞ。」

「お? いいんだ。毎日じゃなければ。」

ため息をついている一真の横で、鏡花は嬉しそうに微笑んだ。

「わかんないものはさ、ちょっとずつ理解していくしかないじゃん。何度も何度も同じところを周ったりしながらでもさ。ね、眼鏡クン?」

鏡花がそう言って笑うと、彼女の銀色の前髪が小さく揺れた。


   ◇


 二人が座るベンチの前に人影が立ち、聞き慣れた低く芯のある声が二人を捉える。

「何してるんですか二人とも。もうすぐ授業が始まりますよ。」

きっちりと着込んだ夏服に、黒いふちの眼鏡をかけた彼女は、大きな布製のバッグを小脇に抱えている。

「あら委員長。デートの邪魔をしないでくださいます?」

「デート……?」

委員長は眉を僅かにひそめる。

「そう、周回デート。」

「デートはわかるけど、周回って何?」

「強い鎧を作るために、ステージを何周もして素材を集めるんだよ。私達の間も近づいちゃうねー、眼鏡クン。」

「画面が見えない。もうちょっと離れてくれ。」

鏡花から身体を離そうとすると一真と、笑いながら距離を詰めていく鏡花。

委員長の眼鏡の下に潜む瞳が、彼らを冷たく一瞥する。

彼女にとってそれは、自らの胸の奥を支配する暗い痛みを振り払う方術だった。

その度に起きる自己嫌悪と後悔の念が、さらに彼女自身の心を締めつけることになるが、彼女はその他になすすべを知らなかった。

「昼休み中のゲームは校則で禁止されてないからいいけど、午後の授業には遅れないようにね。」

いつもの口調で冷たく言い放つ彼女を気にとめることなく、鏡花が口を開く

「委員長も一緒にゲームやろうよ。三人の愛を深めよう?」

「……また馬鹿なことばっかり。ただでさえ、あなたの世話で勉強が遅れがちなんですから。」

そう言って、彼女は肩に下げた布のバッグを持ち直した。

「ん? 委員長のバッグ、なんか重そう。」

「い、いいでしょ、別に……!」

委員長の隣に素早く移動した鏡花がバッグを覗き込む。

「何この分厚いの、辞書? ん? 超絶攻略シリーズ……?」

「こ、これは……その……。」

「超絶攻略シリーズか。俺も買ったばかりだ。」

「……本当に?」

一真の言葉に、委員長が思わず声を上げる。

「いい攻略本だからな。見開いたままでも見やすいし、データも正確だ。」

「おほーう?」

赤面して俯いている委員長の顔を、鏡花が奇声と共に覗き込む。

「……このゲームはちゃんと勉強しないと上手くなれないって、ネットで見たから……。」

耳まで真っ赤になった委員長が小声で呟くと、鏡花は細い腕を委員長の腕に回して引き寄せる。

「なんだ、委員長も同じゲーム買ってたんだ! フレンドになってよ、一緒にやろ!」

「わ、わかりました! わかりましたからくっつかないで……!」

「やれやれ……。」

委員長のことは中学時代から知っているが、聞こえてくるのは課題に宿題、定期試験といった勉強の話だけで、ゲームの話など聞いたことはなかった。

いったいどういう風の吹き回しなのか。

(人の心は本当にわからん。)

はしゃいでいる鏡花と困り顔の委員長を見ながら、一真は再びため息をついた。

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