第14話 サプライズアタック

 翌日の校庭。

新誠学園には月に数回、生徒による校内美化活動がある。

その日は静香と大進がいる一年三組が担当だった。

静香は旧校舎の渡り廊下に丁寧に箒をかけながら大進に話しかける。

「部活動の申請が受理されて、よかったですね。」

「本当に良かったでござる。今回をきっかけに、生徒監査部とも知り合いになったでござってな。多分すんなり通るだろうって言っていたでござるよ。」

「抜け目ないですね、大進君は。」

静香はそう言って笑った。

大進は引き締まった体躯を紺のTシャツと長めのハーフパンツで包み、静香は長い黒髪を後ろでまとめ、淡い紅色の長袖ジャージを身につけていた。

「諏訪内ー、こっち手伝ってー。」

静香が校庭を振り向くと、クラスメートの千里ちさとが大きく手をふっている。

「あ、はーい。」

彼女は竹箒を持ったまま彼女に返事をすると、大進に小さく手をふり、校庭に向かってぱたぱたと駆けて行った。

すると、大進から静香が離れたタイミングを見計らったかのように、二人組の生徒が大進に声をかける。

「大進君、旧校舎んとこの体育倉庫の掃除、ウチらじゃちょっと大変でさー。ちょっと手伝ってよ。」

彼女達は柚原美咲の友人でクラスメートの小夏とせとみだった。

「ああ、いいでござるよ。」

大進は笑って答えると、二人と共に旧校舎裏の体育倉庫に向かった。


   ◇


 校庭についた静香が振り向くと、大進が二人の女子生徒に連れられて旧校舎の裏へ向かうのが見えた。

(あれは柚原さんといつも一緒にいる子達……。)

その様子を見ていた静香に、級友の仁科優花にしなゆうかが声をかける。

「諏訪内さん、どうしたの?」

丸い縁の眼鏡をかけた彼女は、静香が高校に入って一番最初に友達になった女子生徒だった。

小説を読むのが好きな彼女は同じ趣味を持った静香と話が合い、後ろの席に座る千里と共に、お昼や校内行事で一緒に行動するようになっていた。

「ううん、何でも。」

「大進のこと見てたんだろー。」

千里がそう言って彼女の背中をつつくと、静香はひゃっと小さな声をあげてしまう。

バスケット部のTシャツに長いハーフパンツ姿。肩まで伸ばした髪を無造作に縛った千里はけらけらと笑っている。

「諏訪内ー。ダメじゃん、ちゃんと見張ってないとさー。」

「ちいちゃん、変なこと言わないの。」

優花は眉をひそめて千里をたしなめる。

二人は小学生時代からの友人で、大人しい優花と活発な千里は全然違うタイプながら、不思議と馬が合うようだった。

「だって柚原ってさ、ウチらから見てもすげー可愛いじゃん。ウチが男だったらコロッといっちゃうねー。」

そう言って千里は笑った。

柚原美咲が滝川大進のことを意中の相手として狙っていることは、鈍い男子陣はともかく、クラスの女子の間では共通の理解だったのだ。

「もう。でも確かに柚原さんってすごく積極的だよね……。それになんか前に……。」

言いずらそうな優香に千里があっけらかんと言葉を重ねてくる。

「あー、なんか大学生と付き合ってたんだって? 試合経験豊富な強豪だな、これは。」

二人の会話を少し困った顔で聴いていた静香の顔を、千里が覗き込む。

「悠長にしてるとさ、本当に取られちゃうよー? 大切なのはさ、速攻だよ、速攻。素早い行動からの、奇襲攻撃!」

そう言って千里はドリブルからのジャンプシュートを演じてみせると、しなやかな身体がふわりと飛んだ。

「もう、ちいちゃんはバスケ以外に例えられないの?」

優花はそう言いながらも、内心は千里に同意していた。

普段はバスケットボールのことしか頭に無い千里も、時に鋭いことを言うことがあるのだ。

静香は困り顔と笑みが入り混じったような表情で口を開く。

「……私は、そういうのよくわからなくて……。それに大進君は、その、そういうのじゃないから、私には何も……。」

静香の言葉に、優香と千里は顔を見合わせて小さく息をついた。

まだ出会って数ヶ月しか経っていない優花と千里は、諏訪内静香と滝川大進のことをさほど知っているわけではない。

静香は二人が幼馴染であることと、国連の仕事仲間であるということ以外のことを話したことが無かったからだ。

それでも、二人の間がただの幼馴染でないことくらいは勘付いていたが、静香自身がそう言うのであれば、黙ってそう受け止める以外にない。

そして、彼女は嘘や誤魔化しでそう言っているのではなく、それだけ二人の間柄が複雑で特別なのだということが言外に伝わってきていたのだ。

校庭を掃き終えた三人に、クラス委員長の男子が声をかける。

「おーい、次は本校舎と体育倉庫の方を頼んでいいかなー。」

優花は彼に頷いてみせると、静香の腕に手を添えて語りかける。

「私とちいちゃんは本校舎の方に行くから、静香さんは旧校舎の体育倉庫の方手伝ってあげてよ。ね。」

優花がそう言って笑うと、横の千里も小さくウインクする。

静香は竹箒を手にしたまま、微笑んで頷いた。


   ◇


 旧校舎の裏には、古い体育倉庫がある。

校庭に建った新しい体育倉庫に大部分の体育用具を移動したため、普段は訪れる人は少ない。

大進は入口の引き戸を開け、体育倉庫に足を踏み入れる。

広々とした倉庫内は薄暗く、白墨や埃が作り出すいかにも体育倉庫らしい匂いがしていた。

「これはなかなか掃除のしがいがありそうでござるな。」

彼はそう言って中へ進んでいくと、不意に彼の大きな背中を叩く小さな手の感触が伝わった。

「驚いた?」

「柚原さんでござったか。驚いたでござる。」

「へへ。驚かしちゃった。」

そう言って笑う美咲に、大進は笑顔で返した。

柚原美咲はふわりとした柔らかな髪を、小さな花飾りのついたヘアゴムでまとめている。

小柄な身体を包むえんじ色のジャージは前が開かれ、胸の辺りで白いTシャツが描く豊かなカーブを見せていた。

「来てくれてありがと。意外と重いものが多くて困ってたんだ。」

「こういう力仕事は大歓迎でござるよ。」

大進はいつものたくましい笑顔を見せると、体育倉庫の奥へと進んでいく。

「持ち上げるのはどれでござるか。」

「うん。あれと、あれかな。」

大進が体育用具の入った大きな箱を軽々と持ち上げると、美咲はプラスチック製の小さなほうきで丁寧に掃いていく。

「美咲ー、大進君ー。ウチらのとこ終わったから、他を手伝ってくるねー。」

入口の外から声をかけた小夏とせとみに、美咲は大きく手をふった。

大きめの体育倉庫には、美咲がかける箒の音が響いている。

「二人きりだね。大進君。」

「そういえばそうでござるな。」

「女の子と二人っきりになるとさ、告られるかも、とか考えたりしない?」

「考えてもみなかったでござる。」

「本当に?」

大きな箱を持ち上げながら、大進が答える。

「そういうのは、場所とか雰囲気とか、あるのでござろう?」

「だよねー。体育倉庫だもんねー。」

忙しなく働く彼の大柄で逞しい背中を見ながら、美咲は笑った。

「ところで大進君、こないだのこと考えてくれた?。」

「ああ、宮島の太鼓のことでござるな。」

「そう。クラスのみんなで聴きに行こうって。練習がんばってるみたいだし、観客は多い方がいいだろうしさ。後でからかってやれるし。」

美咲は笑顔を見せながらそう言うと、少し間を置いて続ける。

「……その後のことも、考えておいてくれた? こないだ話したこと。」

美咲は大きな瞳で大進の目を見つめる。

「大進君と一緒に見て歩きたいんだ。筑浦のお祭り行くの初めてだから。」

大進は珍しく少し黙り込んでから答える。

「国連の仕事の方がまだシフトが出ないでござってな。」

「そうなんだ。じゃあ、仕方ないね。」

そう言って彼女は笑うと、再び箒をかけ始めた。

体育倉庫の隅に箒をかけながら、美咲は壁に向かって小さく口元を引き結ぶ。

クラスメートになってから数ヶ月しか経っていない滝川大進のことをそれほど深く知っているわけではない。

素朴な誠実さと長けた社交力を待ち合わせる彼が、曖昧に誤魔化すような言い方をする人物でないくらいのことはわかっていた。

普段の彼ならはっきり断るか、うまく取り繕いながらかわすところだろう。

そのことが、美咲の心の中をかえって波立たせ、湧き上がるような暗い苛立ちを呼んでいた。

それは曖昧な態度をとる彼自身に対してではなく、『そうさせてしまう何かがある』ということへの感情だった。

そして、その思いは彼女が秘めていた決意にひとつの後押しをすることになる。

背中を向けたまま箒を動かしている美咲に大進が声をかけた。

「後はどこを掃除するでござるか。」

「ううん、これで終わり。ありがと。めっちゃ助かった。」

美咲はそう言って振り返ると、大柄な大進を見上げるようにして笑った。


   ◇


 体育倉庫を出た美咲は、大きく伸びをする。

薄暗い体育倉庫の中とはうって変わって、強い夏の日差しが彼女を照らしている。

美咲は髪をとめていたヘアゴムを外し、細い指先で髪を整える。

明るい色に染めた彼女の柔らかな髪が、陽光で輝いた。

体育倉庫から大進の大きな身体が顔を出すと、彼もまた眩しそうに空を見上げる。

「拙者は先に本校舎の方に行っているでござるよ。」

「うん。ありがとね。」

美咲は笑顔で彼を見送る。

「あ、大進君、ちょっと待って。」

「なんでござるか。」

大進が振り向く。

「お仕事のシフト出たら、教えてね。」

「ああ、そうするでござるよ。」

彼はいつもの逞しい笑顔で答える。

「あと、それから。」

美咲はそう言って彼に近づくと、抑えた声で、しかしはっきりと彼に告げた。


「私、大進くんのことが好き。」


彼女の言葉に不意をつかれた大進は、思わず彼女の瞳を見つめ返す。

美咲はその視線を待ち構えていたように、小さな笑みを浮かべると彼の顔を真っ直ぐに見つめて口を開いた。

「思いを告げるのに、場所や雰囲気は関係ないんだ。私には。」

「……。」

「なんてね。本当は関係あるの。私にとってここは大切な場所だから。」

そう言って美咲は真剣な表情で大進のことを見つめた。

夏の陽射しが二人を強く照らしている。

静まり返った旧校舎の裏では、風の音すらしていなかった。

沈黙を破るように大進が何かを言おうと口を開きかけた瞬間、美咲は小さな手を彼の胸に当てた。

「ごめん……。返事は後でいい? 私……今、何を聞いても心臓が破れそう。」

俯いたまま、絞り出すように言葉を綴る美咲。

「柚原さん……。」

大進は、自分のTシャツの胸に添えられた彼女の小さな手が震えていることに気がつく。

彼は何も言うことができないまま彼女の俯いた姿を見つめていた。


   ◇


 旧校舎の白木の壁に、竹箒が倒れて当たる乾いた音が小さく響いた。

いつもの大進であれば、その場からさほど離れていない場所での小さな物音を、容易に捉えていたかもしれない。

しかし、美咲の告白で乱れた心を落ち着けようとしていた彼には、その音に気がつくことができなかった。

そして、校舎の壁に背中をつけたまま心臓の高鳴りを抑え込むようにして胸に手を当てている、幼馴染の姿にも。


 諏訪内静香は、旧校舎の白木の壁にもたれかかるようにして息をひそめていた。

偶然耳にしてしまった柚原美咲の告白が、頭の中で小さく繰り返される。


(……大進君……)

彼女の見開かれた目には、青い夏の空と薄く流れる白い雲が映っていた。

午後の強い日差しは彼女を照り付け、白いうなじに汗が流れていく。

夏の訪れを感じるようなその場所は、彼女にとってまるで冷たく暗い水の底にいるようにさえ思えていた。

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