第12話 久遠の妙策
「部活動?」
UNITTE筑浦研究所の地下一階に位置する所長代理室。
奥のデスクで事務仕事をしていた篠宮良子は、思わず声を上げた。
彼女の前には、あかりを中心にして久遠達五人が並んでいる。
「珍しくみんな揃って所長代理室に来たと思ったら……。そういうことがあったのね。」
「はい。」
良子にひと通りの経緯を説明した久遠は、手元のスマートフォンを使って壁面ディスプレイに生徒証アプリの画面を映す。
そこには校則を記載した学園ポータルサイトが映し出された。
大進が校舎利用に関する箇所を指差しながら口を開く。
「旧校舎は校内活動以外では使っていけないと校則に書いてあるのでござるが……。」
「校内活動ならいいのかなって。」
久遠はそう言って校則が記載された画面を進めていく。
校内活動の定義の中には、授業はもちろんのこと、各種委員会活動に加えて生徒の部活動が記載されていた。
「なるほど、だから部活動なのね。」
「そうなの!」
一歩進み出て声を上げたあかりに、一真が続く。
「新しい部を作れば部室を割り当てられる。部室は部室棟だけでなく、教室でもいいらしい。」
「でも、部活動を作るには顧問の先生が必要なんです。」
「だから、良子、お願い! 顧問になって!」
「あかり……。」
良子は、彼らが持ち込んだその突飛な内容よりも、あかりが珍しく見せる張り詰めた表情の方に驚いてしまっていた。
彼女は細い指を顎に当てて少し考えた後に、小さく微笑んで答える。
「私も一応新誠学園の教師だし、確かに顧問になれるわね。」
久遠とあかりが同時に強く頷いた。
「いいわよ。ちょうど学年主任の上村先生から、何か部活の顧問を受け持つように言われてたしね。」
「本当に! 良子、ありがとう!」
目を潤ませるあかりの肩に、静香が手を乗せて微笑む。
良子も優しげな笑顔を見せると、デスクの天板に腕を載せて両手を組んだ。
「ところで、部活動ってどう作るの?」
「申請書に書いて出すだけで大丈夫って校則に書いてありました。」
「審査とか無いのかしら。」
「部活動委員会での審査があるそうなんですが、過去の記録を見る限りでは既存の部とまったく同じ内容でなければ、だいたい通るそうです。」
久遠がスマートフォンを見ながら答えると、良子は感心したように頷きながら口を開いた。
「そうなのね。短い時間によく調べたじゃない。」
「使われていない教室なら固有の部室として申請できるので、C教室で申請しようと思います。」
「なるほどなるほど。なかなかやるわね、みんな。」
良子が微笑んで頷く。
「久遠君が思いついてくれたんだよ!」
あかりが隣の久遠の腕を抱え込むようにして取ると、彼は照れ笑いをしながら答える。
「前に城戸さんが部活の話をしていたから、ふと頭に浮かんで。」
「新誠学園は部活動推奨でござるからな。部活に入っていない拙者達としても、渡りに船でござる。」
解決の入り口まで自力で辿り着いた彼らに心底感心しながら、良子が何気なく口を開いた。
「で、どんな部活なの?」
良子のにこやかな質問に、急に五人の言葉が止まる。
「……あれ?」
彼らの様子に戸惑う良子に、久遠は言いずらそうに答える。
「……それはこれから決めるというか……。」
「作ることは考えたのでござるが、そこまでは……。」
大進が久遠と顔を見合わせながら答えると、あかりのよく通る声が部屋に響いた。
「みんなで考えよ! 私たちみんなの部活動なんだし。」
さっきまでの張り詰めた表情はどこかに消えてしまい、あかりはいつもの快活な笑顔で続ける。
「今から作戦会議よ! もちろん、C教室で!」
彼女はそう言って胸の前で拳を打ち合わせた。
◇
嵐のように訪れた久遠達五人が所長代理室を去ってしばらく経った夜。
篠宮良子はデスクの椅子に身を預けて、宙を眺めている。
ミーティングスペースのソファーの上には、胡座を組んでノートパソコンに向かう大鳥真美の姿があった。
「……と、そういうことがあったのよ。」
良子は先ほど久遠達が訪れた経緯をひと通り説明すると、真美はキーボードを叩きながら答える。
「ふーん。いいじゃないか、部活動。君も随分先生らしくなってきたな。」
良子は椅子を回して真美の方を向く。
「真美、あんたの力でどうにかならないの? C教室。」
「なるよ。」
彼女の問いにすんなりと答える真美。
「随分、あっさり言うわねえ。」
「大鳥家は新誠学園にとって地主な上に大口のスポンサーだからね。さすがに校則はどうにもならないとしても、あと二年かそこら旧校舎を使わせてもらうことくらい、何とかできるだろ。」
真美はキーを打つ手を止めると、テーブルに置かれているコーヒーに口をつける。
「でも、あの子達が自分達の力で何かしようっていうんだろ? まずは見届けて、どうしようもなかったら何かしてやるさ。」
「真美の方がずっと先生っぽいわよ。」
良子は笑顔を浮かべると、コーヒーカップを手に取った。
「ところで、なんで急にC教室の話が出てきたのかしら。旧図書室もそうだけど、長らく放ったらかしだったじゃない。」
「第二新校舎建設の話が出てるからだろ。」
「え、また建てるの?」
思わず声をあげる良子に、真美が小さくため息をついて答える。
「旧校舎を潰して新しい校舎を建設する話が理事会で出ていて揉めているらしいな。樫浦理事長の方でなんとか止めてるらしいんだが……。」
「じゃあ、場合によっては校則云々とは関係なく、いずれはC教室を使えなくなってた可能性もあったのね。でも、なぜそんな話に……。」
「白鷺コンツェルンが裏で動いているって噂だ。」
「え? 確か白鷺って……うちの生徒の……。」
怪訝な顔をする良子に、真美もノートパソコンから目を離し、小さなため息をついて答える。
「大人の喧嘩に子供が巻き込まれてるなんてことは、考えたくないけどね。」
「そりゃそうよ。そんなことになっていなきゃいいんだけど……。」
「だから私も、子供の喧嘩に出て行きたくないんだ。なるべくね。」
◇
明くる日の昼休み。
新校舎前の中庭にあるベンチでは、幸田早希がぼんやりと座っていた。
彼女の視線の先にある屋外バスケットコートでは、夏服姿の生徒達が歓声を上げながらボールを追っている。
不意に金属製のベンチが
「……剣持さん……。」
夏服の白い半袖シャツを着た剣持は、隣の早希に優しげな物言いで話しかける。
「幸田、生徒会室に顔ぐらい出したらどうだ。」
剣持の言葉に早希は少しの間沈黙すると、やがて口を開いた。
「……私、生徒会を辞めようかと思ってるんです。」
「そうか。それは奇遇だな。」
こともなげに呟く剣持に、早希が尋ねる。
「……奇遇って……。」
「俺も、次の生徒会長選挙には出ないつもりだ。」
「えっ!? それは……どうして……。」
驚いて声を上げる早希。
剣持にとって、生徒会長になることは新誠学園に入学して以来の目標であり、そのために生徒会でも積極的に活動し、努力してきたことを知っているからだ。
剣持はベンチの背もたれに身を預けて夏の空を見上げると、少し笑みを見せて早希に話しかけた。
「幸田、プリクラって撮ったことあるか?」
「え? それはもちろん……。お、女の子の友達と。」
「そうか。俺は無い。」
自虐的な笑みを浮かべた剣持の姿を、早希は不思議そうに見つめる。
「……それがどう……。」
「俺はな、ずっと剣道と生徒会しか知らずに生きてきた。自分にはそれが当たり前だったし、そこで活躍することが学校のため、生徒のため、みんなのためになると思っていたからな。」
「剣持さん……。」
「だが、いつしかそれ以外のことが見えなくなっていたんだな。」
彼は大柄な体で空を見つめたまま、ため息をつく。
「よく考えてみれば、俺は生徒達が当たり前のようにしていることも
彼は小さなため息をついて続ける。
「C教室の彼らのこともそうだ。俺は、優れた資質を持った御堂が無駄に時を過ごしてしまうより、生徒会で有意義に活かすのが当然良いものと思っていた。それは彼らが、御堂が大切にしているものを
「剣持さん……。」
「結局、俺は生徒のことをちゃんと見ていなかったんだ。今回、それがよくわかったよ。」
二人は、制服を着崩した生徒達がバスケットボールに興じる姿をぼんやりと見ていた。
即席らしい男女混合チームは、他愛のない言葉を掛け合い、ボールを追っている。
シュートがゴールから外れる、ドリブルを失敗する。
その度に生徒達の笑い声がバスケットコートに広がった。
「そして、幸田。お前のこともだ。」
「え?」
「俺が小さなことにこだわるあまり、知らず知らずのうちに、幸田のことを追い詰めていたんだな。」
彼はため息をついて寂しげに笑う。
「生徒会長になれる器じゃないよ。俺は。」
「……そんなこと……!」
「御堂達がC教室を使えるように計らっていくつもりだが、それが叶わなければ次の生徒会長選挙には出ない。生徒会も辞める。それが御堂や彼らに対する俺のけじめだ。幸田には生徒会の方を頼みたかったんだがな。」
「剣持さんのいない生徒会にいても仕方ありません。」
「そうか。」
彼が大柄な身体を再び背もたれに預けると、ベンチはぎしっと音を立てた。
「……このくらい肩の力を抜いて考えていたら、きっと幸田のことも追い詰めずに済んだんだろうな。」
「剣持さん……。」
剣持は早希に目を向けると、小さく笑って口を開く。
「幸田。生徒会を辞めたら二人で帰宅部にでもなるか。」
「え。」
「授業が終わったら女子と待ち合わせして一緒に帰る。思えばそんなことはしたことがなかった。みんなの前では真面目で硬派を気取ってたけどな、本当は憧れていたんだ、そういうことに。」
彼がそう言って高らかに笑うと、早希は思わず顔を赤らめて
中等部からずっと一緒に行動することが多かったが、彼がこんな力を抜いた表情で穏やかに笑うのは初めてのように思えた。
生徒達から畏敬の目で見られ、常に堂々と物事に向かう彼に抱いている想いとは、また別の愛しさを感じていた。
同時に、彼女の中で何かが吹っ切れたような感覚があった。
早希は意を決したように身体を剣持に向ける。
「私は……嫌です。剣持さんと帰宅部になるのは。」
「え、そ、そうか。それはそうだよな……。」
剣持は困り顔で口をつぐむ。
早希は彼の顔を正面から見据えたまま、言葉を続けた。
「彼らに協力しましょう、剣持さん。まだ諦めることはないです。」
早希の真剣な瞳を受け止め、剣持は小さく
剣持の脳裏には、剣道部時代の幸田早希の姿が思い出されていた。
小さな身体で、驚くほど真っ直ぐな太刀をぶつけていく姿を。
そんな彼女は急に顔を赤らめると、視線を下に向けて小さな声で囁く。
「それに……生徒会でも、女子と一緒に帰ることはできますから。プリクラだって……。」
顔を赤らめて俯く早希に剣持は優しげな笑みを見せると、彼女の小さな手に自分の手をそっと乗せる。
「ありがとう、幸田。俺達にもまだやれることはあるよな。」
早希は剣持の顔を見つめると、静かに頷いた。
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