第11話 C教室の行方
明くる日の放課後、一年一組の教室に少し間延びした女子生徒の声が響く。
「あかりちゃ〜ん、生徒会の人だって〜。」
帰り支度をしていた城戸あかりに、クラスメートの友希が声をかけた。
あかりが振り向くと、入口にはショートカットの小柄な女子生徒が立っていた。
(確か、この前C教室に来た生徒会の……。)
入口に立つ幸田早希は、不思議そうに彼女を見つめているあかりに小さく頭を下げる。
「ちょっと……いいでしょうか。」
トーンを落とした彼女の声が伝わると、あかりは小さく頷いた。
◇
一年二組に一年二組の教室。
居残りで日直の仕事をしていた御堂一真のスマートフォンが小さく振動する。
「おお? 誰? カノジョ?」
銀髪をさらりとなびかせて横から覗き込もうとする朝霧鏡花を無言でかわしながら、一真はメッセージアプリを立ち上げる。
そこには久遠からの短い連絡が入っていた。
(旧校舎の裏か。)
彼はスマートフォンを制服のポケットに戻すと、教室の出口へと向かう。
「あれ? 眼鏡クン、どこ行くの?」
「ちょっとな。委員長、後は頼む。」
彼はそう言い残し、教室を出ていく。
「え? ちょっと御堂さん。日直の仕事、まだ終わってないわよ?」
呼び止める委員長を鏡花が引き止める。
「いいじゃん、委員長ー。続きはあたしがやるからさ。」
「全く、もう……。」
委員長はため息をつくと、再び学級日誌に向かった。
「ねえ、委員長。眼鏡クンって彼女いるのかな。」
日誌アプリに文字を打ち込んでいた委員長の手が止まる。
委員長はほんの少し間を置いて口を開く。
「さあ。いないんじゃない。中等部の頃から今までそんな話聞いたことないし。」
トーンを抑えて事務的に答える委員長の言葉に、鏡花はふうん、とだけ答えて窓際へと向かう。
彼女が覗く窓の下では、旧校舎の方へと駆けていく一真の姿が見えた。
「そっか。いないのか。」
鏡花はそう呟くと、小さな笑みを見せた。
◇
「一真君!」
旧校舎裏の中庭に、久遠の声が飛ぶ。
御堂一真が駆けつけた場所には、久遠に加えて大進と静香の姿があった。
彼らから少し離れた体育倉庫の前には、城戸あかりと彼女に相対するように立っている女子生徒が見える。
「幸田先輩……。」
一真は思わず呟く。
彼の視線の先には、一学年上の生徒会メンバーである幸田早希の姿があった。
(剣持先輩は一緒じゃないのか)
一真は辺りを伺ったが、同じくひとつ上の二年生で生徒会の中心人物の一人でもある剣持秀一郎の姿は見えなかった。
二人は中等部の生徒会時代から共に行動することが多く、剣持のサポート役が多かった早希が一人でこういった形で動いていることは滅多に無かったのだ。
トーンを抑えた早希の声と、それに反して感情を抑えきれないあかりの声が一真達の元まで伝わってくる。
「ですから……、すぐにそうなるとは言っていません。」
「同じことじゃないですか……!」
あかりの怒気をはらんだ言葉が旧校舎の裏庭に響いた。
「……どうなってるんだ、これは。」
一真の問いに、久遠が恐る恐る口を開く。
「C教室が……。使えなくなるかもしれないんだって。」
「……なんだって!?」
◇
対峙している城戸あかりと幸田早希の会話は続いている。
「それは先ほど説明した通りです。校則では、校内活動以外で旧校舎の教室を使うことは認められていません。」
「大進君が申請書を出していて、認められたはずです。」
「申請書が出されたのは、校則が変わる前です。今だったら受理されなかったでしょう。申請の期限となる次の十月まではC教室は使えます。」
「それ以降は使えないっていうことですか!?」
「私にそれを決める権限はありません。ただ、校則に照らせばその可能性は高いということです。」
眉根を寄せたまま二人の会話を聞いている一真が、大進に声をかける。
「本当なのか。」
「……実は、さっき拙者のところにも生徒監査部が来たでござる。」
「生徒監査部……。怒られたんですか……?」
小声で尋ねる静香に、大進が答える。
「怒るどころか、平謝りでござったよ。ルールの浸透や周知ができていなかったのは生徒会と我々監査部の責任、だそうでござる。」
「城戸さん……。」
久遠は心配そうな顔を崩さないまま、あかり達の会話を聞いていた。
一歩も引かないあかりを
「……だから、このように私が説明をしに来たんです。」
「なぜ幸田先輩が一人で説明しにくるんですか?」
早希は目を背けて答えない。
「それに、なぜ今になってそんなことを……!」
あかりの問いかけに答えることができない早希の口元は強く引き結ばれている。
その小さな手は震えていた。
「あかり。落ち着け。」
早希とあかりの間に、一真が割って入る。
「一真! この状況で落ち着いてなんていられないでしょう!?」
「先ほど説明したことではありますが、C教室を使い続ける提案も持ってきています。」
あかりの眉間が険しさを増し、口元が一文字に結ばれる。
「生徒会の分室としてC教室を使えるように私が提案します。生徒会に所属する者がいれば、そのまま使い続けることも……」
「そんなこと呑めるわけないでしょ!」
あかりの剣幕に、早希は身を硬くする。
「そんなに回りくどいことまでして、一真のことを生徒会に入れようとしているんですか!?」
「やめろ、あかり。」
「あんたは黙ってなさいよ! 元はといえば……!」
あかりはそう言いかけて黙り込む。
「わかってる。あかり。」
小さな声でそう呟いた一真を、あかりは怪訝な目で見つめる。
「そうだ。元はといえば……。」
一真の脳裏に、C教室での出来事が蘇る。
剣持と早希が何度となく足を運んで一真を生徒会に誘い、その度にあしらうようにして返答を返していた自分の姿が思い起こされた。
中等部では生徒会や部活動の先輩として知っていた剣持の真剣さは分かっていたが、一真には生徒会入りを断り続けなければならない理由があった。
(……今回の急な話は何か生徒会側で動きがあったとしか思えない。)
一真は、目を逸らして俯く早希の姿を見る。
中等部では剣道部の副主将として女子部員をまとめていた彼女は、不器用なほどに一本気なところが部員達からも慕われていたのだ。
彼女が策を弄しただけとは思えず、その動きに乗った別の人物達の思惑があったのだろう。
そもそも旧校舎は立ち入りができる生徒が少なかったこともあり、細かい利用については校則に定められておらず、長らく宙に浮いた状態だったのだ。
(だが……こう事が大きくなってしまえば仕方ないことだろう……。)
怒りと悲しみが入り混じったような城戸あかりの表情を目にし、一真は思わず目を逸らしてしまう。
元はといえば、ある意味旧知である剣持達に甘えていた自分自身の言動がこの事態まで話を大きくしてしまったのだ。
一真は小さくため息をついて早希の前に進み出る。
「幸田先輩、さっきの提案の話は本当ですか。」
彼の言葉に、早希は黙って頷く。
「ちょっと、一真……。」
「生徒会室のWiFi回線は遅いが、仕方ないだろう。」
「一真!」
あかりの白い手が一真に伸びたかと思うと、彼のシャツの襟元を掴む。
早希も、様子を伺っていた久遠達も絶句する。
あかりの大きな目には、涙が溜められていた。
「変な気を回さないでよ。あんたらしくない。私は、仲間の犠牲を払ってまであの教室にこだわってない!」
彼女はそう言って一真から手を離すと、手の甲で目元を拭った。
「でも……。あの教室は、私たちだけじゃない。良子や真美さんの思い出も詰まってる。だから私……。」
涙声で二の句を継げなくなっているあかりの様子に、早希は俯いたまま押し黙った。
◇
彼らの様子を見ていた久遠は、背後から聞こえた足音に振り返る。
「……!」
思わず声にならない叫び声をあげる久遠。
そこには紺色の剣道着を着た、背の高い偉丈夫の男子生徒が立っていた。
「何やら騒ぎが聞こえたので慌てて来たのだが、まさか君達とはな……。」
早希は聞きなれたその声を聞いて目を見開く。
「剣持……さん。」
彼はゆっくりと、幸田早希へと歩み寄っていく。
「……幸田。」
早希の前に立った剣持は、おおよその状況を把握していた。
顔を蒼白にさせて身を震わせている早希と、先ほどまで断片的に聞こえてきた話、そして生徒会室で耳にした妙な噂話が答え合わせのように繋がったのだ。
「……最近は剣道部ばかりであまり生徒会室に行っていなかったのだが、こういうことになっていたんだな……。」
彼は早希の顔を見ながら小さくつぶやくと、あかりと一真の方を向き直る。
剣持は姿勢を正し、二人に深々と頭を下げた。
「今回の件は、俺の指示だ。幸田に校則を調べるように言って、生徒会と監査部に報告するように指示した。」
「……! 剣持さん! それは違う……!」
剣持は大きな掌で早希の言葉を制する。
「……違わないんだ、幸田。」
彼は頭を下げたまま続ける。
「その結果、生徒が大切にしているものを奪うことになってしまった。俺の実力不足だ。御堂、城戸さん、そしてみなさん。本当にすまなかった。」
「剣持先輩。」
思わず口にする一真。
剣持秀一郎は言葉を続ける。
「生徒会にはもう一度俺の方から掛け合う。幸田から説明があったと思うが、十月までは今まで通りC教室を使えるはずだ。それまでに、我々も対策を考える。」
彼はそう言って一真の前に立つ。
「御堂、俺はお前に何をすればいい。何ができる。」
一真は目を背けたまま、言葉を発せずにいた。
「……わかった。幸田、行こう。」
剣持は再び彼女の背を叩くが、早希は一歩も動くことができない。
彼は早希の手をそっと取ると、本校舎のある方角へと歩き出した。
「……!」
あかりは、彼らとは反対に建物の裏にある校舎入り口へと駆け出していく。
「あかり……!」
後を追おうとする一真の肩を大進の大きな掌が掴み、横に立つ静香が彼に小さく呟くようにして声をかける。
「一真君……。今は……。」
「今はそっとしておいた方がいいでござる。」
彼らの前で立ち尽くす一真は、右手で髪をかき上げると深くため息をついた。
「さて、どうしたものか……。」
そう呟いて一真が後ろを振り返ると、久遠が無言でスマートフォンを操作しているのが見えた。
「……久遠、どうしたんだ。」
「うん。校則を、ちょっとね。」
「校則……?」
静香が久遠のスマートフォンを覗き込む。
彼が細い指先で画面の一部を指差すと、彼女は「あっ……」と小さく声を上げた。
久遠はスマートフォンをポケットにしまうと、一息ついて口を開く。
「みんな、ちょっと相談したいことがあるんだ。」
◇
城戸あかりは、旧校舎の一番高い場所にある小部屋にいた。
建設当時には鐘堂として使われていたが、数十年前に鐘は撤去され、現在は大きなガラス窓越しに外を眺めることができる展望室のような部屋になっていた。
あかりは、古い木製の長椅子に腰掛けてぼんやりと窓の外を見ている。
小さく開けた木枠の窓からは、外から入ってくる風の音と共に、運動部の掛け声やブラスバンド部が
ふと、彼女は背後から聞こえてきた木製の階段を上がってくる小さな足音に気がついた。
「城戸さん。」
長い階段を上り、少し息を切らした久遠の声が彼女に届く。
「久遠君。」
あかりは振り向くことなく、窓の外を見つめたまま答える。
「よくここがわかったね。」
「諏訪内さんに聞いたんだ。多分ここじゃないかって。」
「そっか。静ちゃんには一度話したんだっけ。ここのこと。」
あかりは窓の外に広がる夏の空を見ながら続ける。
「昔、良子が教えてくれたの。辛いことがあった時、よくここに来てたんだって。」
階段を昇り切って部屋に入った久遠に、あかりが見つめている風景が飛び込んでくる。
高台に立つ旧校舎の最上階にあるこの部屋からは、思ったよりも遠くまで景色を見渡すことができた。
「城戸さん……。」
彼はあかりの小さな後ろ姿に目を向ける。
白いブラウスとグレーのスカートに身を包んだ彼女の背中は、いつもの快活な姿は見られなかった。
彼女はやがてぽつりと呟く。
「もう私、平気だから。C教室だけが溜まり場じゃないしさ。一真にも謝らなきゃ。」
そう言って彼女はスカートについた埃を払いながら立ち上がり、久遠を振り向く。
「ありがとね、来てくれて。」
あかりは泣き腫らして少し赤みをおびた目でそう答えると、小さな笑顔をみせる。
彼女の中で感謝の気持ちに嘘は無く、久遠が息を切らしてこの場所に来てくれたことが何故か嬉しかったのだ。
彼女の笑みに、久遠もほっとした表情を見せながら口を開く。
「……実はみんなと話をしていて。それで、呼びに来たんだ。今から一緒に、篠宮先生のところに行こう。」
「良子のとこへ……。何で……?」
「ちょっと、考えていることがあるんだ。」
そう言って久遠は彼女を安心させるように微笑む。
あかりはその笑顔を不思議そうに見つめていた。
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