第10話 一枚の写真

 久遠達が通う新誠学園高等学校がある筑浦市に「モール503」と呼ばれるショッピング街がある。

その名の由来ともなる503mに及ぶ長さの三階建ての商業ビルで構成された屋外型のショッピングモールである。

八十年代に建てられ、一時期は長く続いた不況と郊外型大型ショッピングセンターの勃興を受けて勢いを失っていたが、近年の人口増と若い世代に向けた商業振興策が功を奏したことで、かつて以上の賑わいを取り戻しつつあった。

建物の二階にある「お好焼 かつらぎ」は、長く営業を続けている老舗のお好み焼き屋だ。

久遠達五人はその店を訪れていた。


   ◇


「うーむ、迷う……。」

城戸あかりが真剣な目でメニューを見つめている。

隣のテーブルにいる静香が声をかける。

「あかりちゃん、シーフード、美味しいですよ。」

「いいねえ……!」

「牛肉もいけるでござるよ。」

「牛肉! 美味しそう……。」

悩んでいる彼女の隣では、久遠が同じくメニューを読んでいる。

「僕はミックスにしようかな。」

「ミックスか。やっぱりそれかな……!」

「あかり、まだ決まらないのか。俺はいつものにする。」

「うっさいわね、もう。……いつものってなによ。」

「ホタテに桜えびとチーズをトッピングだ。」

「……なるほど、トッピングもありか……。」

「飲み物が来たでござるな。」

大進はソフトドリンクを受け取ると、テーブルに並べていく。

「あ、すみません! 写真撮ってください!」

あかりが声をかけると、若い女性店員は微笑んで頷く。

手渡されたスマートフォンを受け取ると、彼女は慣れた手つきで座敷に座っている制服姿の五人を写真に収めた。

あかりは丁寧にお礼を言うと、いそいそと写真を見る。

そこには、うまく写真に収まった五人の姿が写っていた。

「えへへ。」

写真を見て満面の笑みのあかり。

「あかりちゃん、嬉しそう。」

「だってさ、初めてじゃない? 街に出てみんなでご飯食べるの。」

「確かにそうでござるな。」

「私、中学の時はあまり学校行けなかったから、こういう写真全然無くって。」

鉄板に油を塗っている久遠が口を開く。

「僕も無いよ。中学の時は病院にいることが多かったから。」

「え、久遠君もそうなの?」

「そういえば、拙者も無いでござるな。」

大進の横にいる静香も、大きく一度頷く。

「みんな、案外そうなんだ。一真は……聞くまでも無いわね。」

彼は目を逸らしたままアイスコーヒーに口をつけていた。

「あかりちゃん、注文決まった?」

「あ、そうだ。よし、これにする! すみませーん!」


   ◇


 前もって大進が予約していた席は、座敷席にある四人がけのテーブルが二つ寄せられていた。

テーブルには、大進と静香、久遠とあかりに一真という組み合わせで座っている。

鉄板に載ったお好み焼きはじゅうじゅうと音を立てている。

「おお……焼けてきた……!」

端が頃合よく焼けてきたお好み焼きを、あかりは精神を集中してひっくり返す。

「よし。」

「城戸さん、上手だね。」

「へへ。こういうの結構好きなんだよね。」

そう言って、彼女は隣のテーブルを見る。

「できたでござるな。」

大進は慣れた手つきでお好み焼きをひっくり返して片面をひと焼きすると、素早い動作でふたつに切り分け、黙って静香の方に寄せる。

静香は同時に焼き上がったシーフードお好み焼きの半分を自然な手つきで大進の側に寄せていく。

「夫婦っぽい。」

あかりの一言に、二人が同時に振り向く。

「あ……お好み焼き屋さんに来ると、いつもそうしてるので、つい……。」

静香が頬を赤くして答える。

「そっか。シェアという手もあったか。」

「城戸さん、僕の焼けたけど、少し食べる?」

「え、本当! 私のも分けるね。」

すると、横からきれいに切り分けられたお好み焼きがあかりに送られてきた。

良い色に焼けたホタテとチーズに桜えびが華を添えている。

「うわ、すごい美味しそう! 一真、焼くの上手いじゃない。」

「お手本を見せてやろうと思ってな。」

「もう、すぐそういうこと言うんだから……。んー、美味いー!ホタテとチーズの組み合わせ!」

不満げな顔を一瞬にしてとろけるような幸福顔に変えたあかりが続ける。

「んー! そうだ、思い出した!」

あかりは鉄のヘラを手にしたまま、一真に詰め寄る。

「お昼の銀髪の子と、黒髪眼鏡の子! 誰、あの子達?」

「……誰って、クラスメートだ。」

「そのくらいわかるわよ。」

「珍しいでござるな。」

大進が一真に声をかけると、静香も興味深そうに目を輝かせる。

「……初めて学校来たから、お昼食べる相手がいないんだと。」

「そういうことか。随分、面倒見がいいじゃない。御堂君?」

あかりは鉄板で焼き上がった自分のお好み焼きを切り分けると、一真の方に寄せる。

「……副委員長だからって言われてもな。」

一真はあかりが寄越したお好み焼きを金属のヘラで皿に乗せると、丁寧に切り分けて口に運んだ。

「クラスメート……。」

「静香殿、どうしたでござるか?」

「……歴史のテスト、残念でしたね。」

「ああ、一緒に勉強したところが揃って間違っていたでござったな。歴史のノートの方は正しかったゆえ、柚原さんはよほどしっかりノートを読んで勉強をしたのでござろうな。」

その名前を聞いて、静香の手がほんの少し止まる。

わずかに訪れた沈黙を助けるように、あかりの声が飛ぶ。

「大進君、静ちゃん、私のミックスお好み焼きシーフード牛肉チーズホタテ桜えびトッピング食べる?」

「少しいただくでござるよ。」

大進は笑って新しいお皿をあかりに渡す。

「静香殿、次はまたツートップを目指そうでござる。」

笑ってそう告げる大進に、静香はいつもの笑みで返した。


   ◇


 店を後にした五人は、モール503の階段を降りていく。

賑やかな街の喧騒の中、階段を降り切ったあかりは大きく伸びをする。

「いやー、食べたねえ。次はデザート行こ!」

「……よくそんなに食べられるな。」

「デザートはまた別だもん。」

一真を肘で小突きながら、静香に話しかける。

「来週はC教室だね。静ちゃん、来週のおやつ、何?」

「そうですねえ。暑くなってきたから、冷たいレアチーズケーキにしようかな、とか。」

静香が顎に指を当てて宙を見上げる。

「やった! すごい楽しみ! 外で食べるのもいいけど、やっぱりC教室のお茶会は特別よね。ああ、早く来週にならないかな。」

「あかりちゃん、気が早過ぎです。」

静香が微笑む。

その時、遠くで太鼓の音と笛の音が聞こえてきた。

「お祭りの練習かしら。」

「そのようでござるな。そういえば、クラスの宮島が八月のお祭りで太鼓を叩くそうでござるよ。」

「宮島君が。すごいですね。」

「ああ、柚原さんから教えてもらったでござるよ。それで……。」

太鼓の音が連続して聞こえる中、静香は黙って彼の言葉の続きを待つ。

横顔を見ると、珍しく何かを言いずらそうにしている顔だった。

付き合いが長い。

時にそれは余計なことまで気づいてしまうことがある。

不意に、あかりの声が二人の間に飛び込んできた。

「大進くーん、静ちゃーん、アイスクリームのお店、もうすぐラストオーダーだってー。早く行こうー!」

「ああ、今行くでござるよ。さあ、静香殿。」

大進に促され、静香は黙って頷く。

彼女は自分の胸がいつになく波立っていることに気がついた。

その騒めいた心がどこから来ているのかわからないことが、静香の心をさらに揺らしていた。

彼女はこっそり自らの手を重ね、少しだけ見上げて息をつく。

長年の積み重ねで身につけた、彼女が自分の心を落ち着けるための儀式だった。

だが、彼女の目線の先にある大進の鷹揚な背中は、とどまろうとする静香の心をわずかに揺らし続けていた。


   ◇


 閑静な住宅街にある、城戸あかりの祖父母の家。

制服姿のままベッドに寝転んでいたあかりは、半分うとうとしながらスマートフォンの画面を眺めていた。

階下から祖母の声が聞こえてくる。

「あかりー、お風呂できたから先に入りなさい。」

「はーい。」

あかりはぼんやりと返事をすると、スマートフォンの液晶画面を指でスライドさせる。

画面には先ほどグループチャットに送ったばかりの一枚の写真が映っている。

そこには満面の笑みのあかりを中心に、久遠達五人の姿があった。

「静ちゃん、やっぱ可愛いー。大進君と静ちゃんは、意外に撮られ慣れてるんだよね。あ、一真のやつ、よく見るとちゃんと目線くれてるじゃん。」

あかりはそう言って笑う。

奥には少し居心地の悪そうな久遠が、なんとか画面に収まろうと身を乗り出しているのが見えた。

「久遠君らしい感じ。」

彼女はそう言って笑うと、指先で彼の顔を少し拡大する。

さらりとした柔らかい黒髪に、肌の白い小さな顔、そして深い蒼色の瞳。

ふと、先月の大規模調査で、白い鎧から素顔を見せた時のことを思い出した。

「……久遠君って、こう見ると割と……。」

無意識に指が触れそうになる。

たった一枚の写真が、心の中の水面に静かな波紋を広げていくような不思議な感覚だった。

「あかりー! 寝ちゃったのー!?」

階下からでもよく通る祖母の声に、あかりはハッと我に返る。

「はーい! 今行くからー!」

あかりは返事をすると、スマートフォンを手にしたまま、ベッドの上でごろんと転がった。

枕に顔をつけたまま瞼を閉じ、小さく息をつく。

夕日の差し込む、放課後のC教室が浮かぶ。

木製の机を寄せて作った簡易なテーブルには格子状のクロスが敷かれ、紅茶とお菓子が並んでいる。

テーブルを囲んでいるのは、取り止めのない話をしているいつもの五人だ。

「……早く水曜日にならないかな。」

あかりはそう小さくつぶやいた。

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