第9話 UNITTE筑浦研究所

 新誠学園高等学校は小高い丘の上に建っており、その真下には深い階層を持つ研究施設が存在する。

国際連合ウィーン事務局外的脅威局に属するその研究所は、UNITTEユニット筑浦研究所と呼ばれていた。

UNITTEは、United Nation Investigation Team for Threat from Externalの略称であり、その名の通り『外側からの脅威』すなわち次元獣を調査するための国連組織である。

六年前に篠宮良子と仲間達が立ち上げ、今では次元獣や『境界』と呼ばれる異空間を調査する組織としては世界でも指折りの存在となっている。

そのUNITTEが要する筑浦研究所は、日本有数の民間研究所である大鳥研究所が国連から請け負う形で運営しており、所長代理である篠宮良子と研究面のリードをとる大鳥真美博士が主導していた。


 筑浦研究所の地下二階にある大会議室。

並んでいるのは、研究所内の各部門の代表者達だった。

分析部門と調査部門の長を兼任する北沢研一。

メカニック部門を統率する南ひろ子。

主に諏訪内静香のケアと超越力の研究を担当し、研究所に常駐する医師としての役割も持つ五浦綾子教授。

テーブルの端でノートパソコンを叩いているのは、首席研究員にして副所長の大鳥真美。

中央には、研究所の所長代理である白衣姿の篠宮良子が座っていた。

次元獣の研究において国連の中でも特異な存在である筑浦研究所の中心となっているのは、会議室にいるこの五名であった。

壁面ディスプレイに映るスライドを操作しながら、良子が口を開いた。

「次の議題は先日の大規模調査活動における出現予測値の再計算についてですね。北沢主任、お願いします。」

北沢は頷くと、壁面全体を使ったディスプレイ画面に報告書を表示させた。

壁面ディスプレイの輝きに照らされた細身の長身には、彫りの深い顔立ちと、癖のついた髪が載っている。

研究所員の1/4を占める分析部門全体を預かる優秀な研究者であり、「調査活動」を主導する研究企画室の副室長を兼務している。また、彼は分析チームに所属する和泉久遠の上司でもあった。

「先日の大規模調査活動における第三波の再計算結果が北米から届いた。結論から先に言ってしまえば、再計算した値に間違いはないということだ。」

「ということは……。」

「第三波は研究所で予測されたものとは別の現象と考えられる。」

大規模調査活動とは、七月の初旬に行われた調査活動を指している。

UNITTEの総力を上げて強力な次元獣を迎え討った、まさに大規模な調査活動であった。

調査活動自体は城戸あかり達『近接調査員』によって成功を納めることができたものの、本来の予測とはかけ離れた強大な次元獣が出現した事に対し、彼ら分析チームが調査を続けていたのだ。

北沢のレポートを見ながら、良子が口を開く。

「北米の予測計算自体が誤っていたという可能性は考えられますか?」

「私たちのチームで計算しても二波までのTL3という同じ結果が出た。計算上では、第三波でのTL4次元獣の出現はあり得なかったと考えた方が実態に近いだろう。」

「それじゃあ、なぜそんなことが……。」

「いくつか可能性は考えられるが。」

北沢は少し間を置いてから言葉を続ける。

「境界が我々の次元に接続している短い間に、別の次元から境界へと新たに送り込まれた可能性もゼロではない。」

彼の言う『境界』とは、別次元との間に人工的に作られた空間を指している。

かつて地上を蹂躙した人類の脅威と言うべき『次元獣』は、その境界と呼ばれる場所からやってくることが判明していたのだ。

十五年前に突如現れた次元獣は、群れをなしてあらゆる生物を襲い、世界を混乱に陥れた後、忽然こつぜんとその姿を消していた。

現在の研究では、消えた次元獣は異空間である『境界』に取り残され、それらが断続的にこの世界に出現し続けていると考えられている。

地上に現れた次元獣を『調査』と言う名目で討伐するのがUNNITTEに課せられた任務であった。

北沢の説明を聞いていた南ひろ子が口を開く。

「境界にいた次元獣がこっちの世界に落ちてきたんじゃなくて、誰かが別の次元獣を境界に押し込んできたということ?」

「可能性としては考えられる。もちろん、これは推測に過ぎない。」

「北沢主任の言う通りだね。出現したLD型の外装を解析してもらったんだけど、流石に細かい年代までは特定できなかったから、まだわからないと言うのが本音かな。」

そう説明する大鳥真美のノートパソコンには、複数の鎧の破片のような部品が写っている。

さまざまな形態を取る次元獣だが、紫色の表皮と、鎧のような外装という共通した特徴があった。

「とはいえ、六年前に施された『ディメンジョン・ゲート』への封印が今も続いている以上、その可能性は著しく低い。できることなら、今回は何かの間違いであってほしいな。」

真美の言葉に良子は小さく頷くと、北沢に声をかけた。

「北沢主任、次の出現予測は出ていますか。」

「まだ仮計算の段階だが、次元獣の出現は七月に一回あるか無いか、というところだな。境界との接続が離れる、いわば離間期に入っているものと予測されている。このままなら、あと数ヶ月、夏の間くらいは静かになりそうだ。」

「次元獣も夏休みってわけだな。」

「このままいなくなってくれると、ありがたいんだけどねえ。」

ツナギ姿の南が小さくため息をつく。

白衣姿が多い研究所の中で、国連とUNITTEのマークが入ったグレーのツナギは、彼女達メカニック班のアイデンティティでもあった。

赤みのかかった豊かな髪と大柄な身体で逞しい笑顔を見せながら快活に働く南ひろ子は、姉御肌のリーダーとして多くのメカニックや技術者達から慕われている。

UNITTEにおける調査活動の要となる機械の鎧「ディメンジョン・アーマー」は、彼女が率いるメカニック班無しには活動することができないのだ。

「そうなると、今のうちにみんなの機体をオーバーホールに出したいとこだね。特に一真の機体はそろそろ限界だよ。」

「そうだな。そろそろ松山にドック入りさせるか。」

真美の提案に、南が頷く。

「それなら、次の調査は大進君と諏訪内さんに任せてはどうかな。」

「そうですね。それなら安心だわ。」

北沢の提案に、篠宮良子は頷いた。

昔からの幼馴染である大進と静香は調査活動においても相性が良く、堅実な結果を残しているのだ。

「ところで、所長代理、久遠くんと白騎士は……。」

北沢が発した言葉の後、良子に視線が集まる。

ほんのわずかな沈黙の後に、彼女は口元で笑みを作ってゆっくりと首を振った。

「うちに一体しか無い白騎士を、そうそう調査に出せないですよ。それに、久遠君は元々近接調査員じゃないですから……。」

そう言って笑顔で取り繕う彼女の横顔を見ながら、南ひろ子は小さく息をついた。

大規模調査において突如現れた白いディメンジョン・アーマー「白騎士」は、研究所内のちょっとした話題になっていた。

その後、南はメカニック班と共に白騎士の整備と調査を行なっている。

彼女自身はディメンジョン・アーマーの開発に関わったことから白騎士の存在を知っていたが、まさか研究所の地下に秘匿ひとくされているとは思っていなかったのだ。

ディメンジョン・アーマーの始祖とも言うべきその存在は、その堅牢かつ複雑な造りもさながら、技術者達を驚かせたのは、白騎士が他の機体に比べて大幅に出力が劣っていたことだった。

最新機である第五世代型には言うに及ばず、城戸あかりが駆る旧式の第三世代型にも及ばない。

しかし、大規模調査活動でのデータ解析が進むにつれて、メカニック班の間では新しい驚きが生まれていた。

ディメンジョン・アーマーを駆った経験が無い和泉久遠が、LD型と呼ばれるドラゴン型の次元獣に一撃を加えた際の出力は、瞬間的とはいえどのメンバーをも遥かに凌駕する値となっていたのだ。

各機に搭載されている次元エネルギー炉ディメンジョン・リアクターをもってしても、簡単に出せる数値ではないことは明らかだった。

白騎士に搭載されているモニタリングセンサーがかなり旧式ということもあり、一旦は計測ミスという扱いで保留となったが、南の中ではその疑問はずっと残っていた。

もう一つの疑問は、篠宮所長代理が、和泉久遠をディメンジョン・アーマーから意図的に遠ざけているように見えることだ。

初めての実戦で白騎士を駆って驚くべき成果を残しただけでなく、久遠は中学時代にヒューマンケアロボットに関する学生論文で賞をもらったことがあるほど、ロボティックスに関する知識があった。

近接調査員と呼ばれる操縦者としても、機体を扱う技術者としても、もっと関わっても良いのではないかという意見が現場からも上がっていたのだ。


(まあ、色々事情があるんだろうけどね。)

南は小さくため息をついて、それ以上は考えないことにした。

国連という組織は様々な”事情”がうごめく場所だということをよく知っているからだ。

それに、信頼できない相手ならともかく、UNITTEを運営する篠宮良子と大鳥真美は、彼女にとって信じるに値する人間だった。

信頼がなくては、自分が心血を注いで面倒を見ている機械の鎧を、年端もいかない少年少女達に着せることなどできはしない。

彼女の目線の先の篠宮良子は、壁に表示されている時計を見て口を開いた。

「そろそろ時間ですね。次の調査予測が立ったらまた打ち合わせをしましょう。調査活動が少なくなる分、休めそうな状況なら各部門は交代で休暇を取るなどしてください。」

「了解。ところで、所長代理は大丈夫なのかい。少しは休んだほうがいいよ。」

「ありがとう、南さん。」

南はあまり強く言わないものの、ほとんど毎日昼夜を問わずに研究所で仕事をしている篠宮良子の事を気にかけているのだ。

「ただでさえ地下研究所や学校の図書室に籠りきりなんだ。たまにはどこか遊びに行ってさ、太陽を浴びてきなよ。」

北沢も良子に声をかける。

「今の時期なら海とかもいいんじゃないかな。我々もね、夏休みは子供達を連れて大洗へ海水浴に行く予定なんだ。」

「あら、いいですね。」

「子供達、今から楽しみにしちゃって毎日大変よ。ばあば達が一番楽しみにしているかね。」

南がそう言って優しげに微笑む。

北沢と南は五年前に職場結婚し、彼らの間には子供が二人いる。

お互い部署も立場も異なり、研究所では意見を戦わせることが少なくない彼らだが、研究所員達が羨むほど仲の良い家庭を築いていた。

「海か。いいな。」

ノートパソコンを叩きながら、大鳥真美がぽつりと呟く。

横にいる五浦教授が呆れ顔で声をかけた。

「あなたもですよ、大鳥博士。事務の子がぼやいてましたよ。博士の有給休暇が溜まり過ぎていて、青山から問い合わせが来たって。」

「うーん。それは困ったな。」

真美は珍しく困り顔を見せる。

二十代前半の良子や真美達よりもひと回り年上であり、国際的な医師としての側面も持つ彼女の言葉には、有無を言わせないような重圧があった。

「今はなるべくUNITTEの体制をしっかり作りたいんです。もう少し落ち着いたら考えますよ。」

助け舟を出す良子の言葉を待ち構えていたように、五浦教授が口を開く。

「落ち着いたら、なんて言ってるといつまで経っても落ち着かないわよ。何でもいいから理由つけて、どこかでリフレッシュしてらっしゃいな。」

「ですよねえ。」

良子はそう言って困り顔を見せながら笑った。

(とはいえ、リフレッシュなんてどこでどうすればいいのかしら。)

彼女は小さくため息をつく。

学生時代にUNITTEを立ちあげて以来、ずっと走り続けてきた彼女にとって、もはやどうやって休んだらいいのかさえ、頭に浮かばなかったのだった。

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