第6話 銀色の髪の少女 -教室の風景②-

 賑やかな一年三組の様子は、隣の一年二組の教室にも伝わっていた。

電子黒板には「自習」と大きく表示され、学習範囲と練習問題ページにアクセスするためのURLコードが表示されている。

しんと静まり返った教室では、教科書用タブレットを操作する音だけが聞こえていた。

「三組は楽しそうでいいねー。」

一人の女子生徒が小声で囁く。

6クラスある学年の間でも、一年三組は明るくて仲が良いという評判のクラスだった。

そして、彼女が頬杖をついて眺めているこのクラスはその真反対の評判を得ていたのだ。

話しかけられた後ろの女子生徒も、自習の退屈に耐えかねて彼女の話に乗る。

「またあの子じゃない? ござるとか言う。」

「滝川大進君だよね。彼、結構よくない? ガタイいいしさー。」

「だよねー。ウチのクラスで彼のこと知ってる子とかいないのかな。」

最初は小声だった二人の声は段々と大きくなっていく。

彼女達の隣では、黙々とタブレットにペンを走らせている男子生徒がいた。

丁寧に流した黒髪の下の細く整った顔立ち。銀の細い縁の眼鏡をかけているのは、切れ長の鋭い眼光を隠すかのようだ。

一年二組に所属する御堂一真みどうかずま

彼もまた久遠達と同じくUNITTEのメンバーであった。

「そういえば、御堂君がこないだ旧校舎の近くで滝川君と話してなかった?」

「え、そうなの? 御堂。」

女子生徒は目を丸くして一真に話しかける。

一日中、必要なこと以外は誰とも口をきかず、昼は一人で食事を済ませてゲーム機を片手に過ごし、下校時間が来るといつの間にかいなくなっている。

そんな御堂一真が、学年でも人気のある滝川大進と関係があるのは意外に感じたのだ。

「……ああ、あれは……」

一真が面倒そうに口を開こうとした時、一列目の席から女子生徒の鋭い声が飛んだ。

「静かにしてください。自習時間でも授業中です。」

急に教室内が静まり返り、空気が張りつめる。

彼女の低く芯のあるその声は、男女問わず容赦ないことで知られている。

くちさがない女子生徒の間では、まるで人をたしなめるために作られたような声だと陰口を叩かれていた。

「はいはい。委員長殿。」

注意された女子生徒はさもつまらなそうに呟く。

最前列の席に座っている『委員長』と呼ばれた女子生徒は、夏服の白いブラウスに紺色のカーディガンを羽織り、その上につややかな長い髪を乗せていた。

黒縁の眼鏡から覗く瞳が、教室の最後方に座っている一真を一瞥いちべつする。

「御堂さんも副委員長なんですから、一緒にしゃべってないで注意してください。」

「……。」

一真は小さくため息をつくと、再びタブレットにペンを走らせ始める。

注意された女子生徒はまだ怒りがおさまらないらしく、怨嗟えんさの言葉を呪文のようにささやいていた。


   ◇


 不意に、教室後方の引き戸が音を立てて開いた。

静まり返った室内で、視線だけが教室の入り口に注がれる。

入ってきたのは、古い皮かばんを片手に下げた背の高い細身の女子生徒だった。

その場にいた誰もが目にめた、銀色の長い髪が静かに揺れている。

「誰?」

騒めきが、さざなみのように広がっていく。

彼女は一真の隣席が空になっていることを見つけると、何も言わずに腰を下ろした。

一真は特に気に留めることなく、学校支給のタブレットで練習問題を解き続けている。

彼の頭を支配していたのは突然現れた銀髪の美少女ではなく、残り数問になった数学1の課題と、この自習時間が終わった後の昼休みに始まるオンラインゲームのレイドバトルだったのだ。

委員長と呼ばれた女子生徒は静かに立ち上がると、銀髪の女子生徒の席まで歩いてくる。

「今日から登校の朝霧さんですよね。今日は先生が急用で自習です。数学1の20ページから30ページを読んで練習問題を解いておいてください。」

委員長は事務的にそう言って電子黒板を手でうながした。

朝霧と呼ばれた女子生徒は、大きく伸びをする。

「何だ自習か。もうちょっと寝てればよかった。」

「……保健室は休憩所じゃないんですよ。朝霧さん。」

「堅いこと言わない。ね、委員長?」

「委員長だから言うんです。」

「え、マジで委員長なの? 委員長っぽいから呼んでみただけなんだけど。」

そう言って朝霧はけらけらと笑った。

遠慮会釈えんりょえしゃくの無い朝霧の言葉に、さすがの委員長も二の句を告げずにいる。

「委員長っぽいだって。ウケる。」

誰かが呟いた言葉を起点に、教室では忍び笑いが広がっていた。

委員長は小さくため息をつく。

特別な感慨があったわけではない。この手の揶揄は、長年聞き飽きているからだった。だからと言って、この性格や振る舞いを変える理由もない。

「……とにかく。授業時間が終わるまでは、大人しく自習しててください。」

「はあい。」

銀髪の女子生徒は鞄から真新しいタブレットを取り出す。

新誠学園では基本的に授業は学校支給のタブレットPCで行われるのだ。

隣に座る一真は相変わらず表情を変えることなく、画面に現れる長い数式を次々に解いていた。

「あ、教科書まだダウンロードしてないや。眼鏡クン、ポータルサイトのアドレス教えて?」

「……眼鏡……? 俺のことか。」

「そ。」

「……俺はそんな名前じゃないぞ。」

教室に再び忍び笑いが広がり、たまらずに声を上げて笑い出す生徒までいた。

朝霧が首を少し傾けて一真を見つめると、銀色の髪がさらりと揺れる。

彼女のコバルトブルーの瞳が、一真の姿を興味深く映し込んでいた。

「じゃあさ、自己紹介しようよ。あたし朝霧鏡花あさぎりきょうか。君は?」

「……御堂一真。」

そう言って一真は教科書用タブレットに表示したダウンロードコードの画面を彼女に向ける。

鏡花は自分のタブレットをかざして読み取ると、にっこりと微笑んだ。

「サンキュ。よろしくね、眼鏡クン。」

「もうそれでいい。」

一真は深くため息をついた。

立ち去らずに二人の様子を見ていた委員長は、心のどこかを焼かれるような思いに駆られていた。

少なくとも、自分が知る御堂一真は、こんなに易々と人を近づけるような人間ではない。

だが、なぜそのことが自分の心をざらつかせるのかということは、彼女自身わからずにいた。

そんな彼女の内心も知らず、鏡花は手に顎を乗せ、再びタブレットに目を落とした一真の横顔を眺めている。

「気にならないの、この髪。」

彼女は細い指先で自分の銀色の髪をさらさらと触れる。

「別に。」

一真は短く答えて続ける。

「人のことは別に気にならんし、気にしない。」

鏡花は小さく微笑んで口を開く。

「私は気になるよ。隣の席の男の子のこととか。」

机に頬肘をつき、鏡花は一真の横顔を覗き込む。

「よく見るとさ、結構まつ毛長くてカッコいいよね。眼鏡クン。」

「朝霧さん、授業中ですよ。」

二人の間に身をねじ込むような彼女の言葉に、口をへの字にして委員長に目を向けた彼女は、パッと目を輝かせる。

「委員長、髪ツヤツヤ! すっごい綺麗! いつも何を使ってるの? シャンプーとか!」

思わぬ反応に、委員長はどのような表情をしていいかわからずにいた。

「……え、普通に家にあるやつ……。て、何でそんなことを今言うんですか……?」

委員長はそこまで言っておいて僅かに後悔をしていた。

いつも通りに『授業中です』と短くとがめればいいだけなのに、と。

鏡花は委員長に屈託のない笑顔を見せる。

「良いこととか、素敵なこととか、口に出して言いたいじゃない? 感じたその時にさ。」

「だからって……。」

「後で言おう、とか思うと私忘れちゃうし。」

委員長は、澄んだ瞳で笑う彼女を見ながら、小さくため息をついた。

彼女達の会話が途切れるのを待ち構えていたように、授業終了の鐘が鳴る。

「授業終わっちゃった。眼鏡クン、お昼行こ。」

「……なぜ俺が。」

立ち上がっていた一真の制服のすそを、鏡花の白い手がつまんでいる。

「学校来たの今日初めてだからさ。どこで食べるかわかんないし。」

無言で二人から離れていく委員長の背中に、鏡花が声をかける。

「委員長も一緒に行こうよ。」

「……行きません。」

彼女は少しだけ足を止めたが、再び自分の席に向かって歩き始めた。

「そんなあ……。せっかく退院して学校来られたのに、初日から一人ぼっちでお昼だなんて……。」

「……もう、わかりました。一緒に行ってあげます。今日だけですよ。」

少しだけ振り向いた委員長の瞳に、鏡花の満面の笑顔が映る。

「やった! 行こ行こ、眼鏡クン。ここ来る時にすごい綺麗なカフェテリアがあってさ。あそこって何が美味しい?」

「知らん。……ていうか、俺も行くのか。」

「副委員長でしょ。御堂君は。」

委員長が呆れ顔で呟く。

「昼はレイドがあるんだけどな……。」

「レイドってなに? カフェテリアで教えてね?」

鏡花は一真の手を取ると、さっさと廊下に向かって歩き出した。

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