第3話 決着

「着いたぞ。私はさっきも言ったようにあなたを止める気はない」


 男はそこで1度言葉を切った。ゆっくりと振り返ると片膝をつき私と目線を合わせる。


「でもあなたはこのままでは怒りに溺れる。


 職人を怒りのままに殺したとすれば恐らく、あなたの中にある怒りのほとんどが消えてなくなるだろう。


 でも、心は怒りの味を覚えている。あなたは怒りに身を任せて発散することに快感を覚え、怒りを求めて狂い始めるだろう。


 結果として大好きな姉までも怒りの対象にしてしまうだろう」


男は淡々と語る。


「だったらどうしたらいいのです?このままあの男を生かしておけというのですか?この怒りを抱えたまま生きて行けというのですか?そんなのできるわけがないでしょう」


 すぐそこにあの男がいる。


 心臓は波打ち、胸は締め付けられたかのように痛む。


「そうではない。私は男への怒り以外を取り除いてやろうと言っているのだ。怒りがあなたの中に残らないようにする。そうすれば怒りに溺れてしまうこともないはずだ。それが最善の手だ」


「私は姉の仇が打てるならどちらでもいいです」


 男はすっと立ち上がった。赤色の目線は私のことをじっと見つめていた。その視線は私の心を見透かしているのかのようだった。


「なら遠慮なく」


 男は私の頭に手を置く。


 一瞬の心が軽くなるような気がした。


 ところがそれも一瞬。すぐにあの男への怒りが流れ込んでくる。


「では私は失礼します」


 男は何も言わない。赤い目でこちらをじっと見つめるだけ。


 私は男の前を横切ると一直線に家へと向かう。後ろは振り向かずただ一直線に前だけを向きながら。





「これでよかったのか?」


 男は手にはこの世のものとは思えないほど黒く、どろどろとした何かがまとわりついていた。


 その黒い何かは男のことを覆いつくそうとめいいっぱい広がって腕に絡みついている。


 男はその得体のしれない物を眺めながら後ろの女に声をかけた。


「はい。ありがとうございます、明王様」


 答えた女は透けていることを除けば先程まで話していた女と何ら変わりはなかった。


 しかし、この世のものではないことはすぐにわかる。


「これで本当にいいのか?怒りは自分を焼き焦がす火でもあるが自分を温める必要な火でもあるんだぞ?」


「はい」


「こっそりあの男への怒りを抜き取ることだってできたぞ?」


 男はまとわりついた黒い物をもう片方の手で引きはがすと口に押し込み、飲み下した。


「それではあまりにもかわいそうすぎます」


「ふーん」


 男は口の周りを拭きながら幽霊の女を眺める。


「妹思いのいいお姉さんだこった」


 男はおどけながら肩をすくめる。


 彼女の視線は妹の小さな背中に注がれる。


 その背中は風で吹き飛んでしまうのではないかと思わせるほど弱弱しかった。


「例えこの世を亡者のようにさまようのであっても生きていてほしいのです。生きていれば何か変わるかもしれませんから。あの子にはまだその機会があるのですから」


 弱弱しい背中が建物に吸い込まれた。


「お代はいらないのですか?」


 幽霊の女は尋ねる。


「本当にいいのか?現世に魂をとどめ続けられるほど怒りを持つ幽霊が怒りの対象に何もしないで成仏するなんて聞いたことないぞ?」


「明王様がそんな人を襲わせるようなこと言っていいのですか?」


 明王様と呼ばれた男はあからさまに嫌な顔をした。


「俺だって好きでやっているわけじゃないんだぜ。まぁ、お前がいいならさっさとやるぞ。何かやり残したことはないのか?」


「ないですよ。早くしないと妹を巻き込んだ怒りで悪霊化しちゃうかもしれませんよ?」


 幽霊の女は微笑みながらそんな恐ろしい話をする。


 美しい顔立ちはこの世のものではない独特の雰囲気を纏うことで恐ろしさが増している。


「おお怖い。やっぱ女は怖いよ」


 男は幽霊の女に右手を突き刺す。女はどんどん色が薄くなる。


 女はお辞儀をすると笑顔と気味の悪い黒い物を残して消えた。


 先程飲み下したものよりも大きくドロッとしたものだった。


「こんなもの抱えて何で悪霊化しないんだよ」


 そんなことを言った時、男はいきなり振り返った。


「ああ。やっぱりお前らか」


 男の目線の先には黒色のおぞましい獣のようなものがいた。


 明らかにこの世のものではない姿をしている。どうやら人形職人の家から飛び出してきたようだ。


「お前のせいで小娘の魂を取ることができなくなってしまったわい。どうしてくれる」


 ふつう感じることのない殺気、死の感覚が押し寄せる。普通の人ならば浴びるだけで気絶、下手したら死んでしまうかもしれない。


 しかし、男は顔色一つ変えない。


「それが仕事だからな」


 男の恰好が変わっていく。


 さっきまで着ていた服は炎で燃えてなくなり右手には剣、左手には羂索が握られている。


「おかしいと思ったんだよ。こんなところまで外国のピストルがそんな都合よく来るわけないだろ。


 まぁ悪魔がらみなら納得だけどな。せっかくだ。そいつの姉ちゃんの怒りで消えな」


 男は羂索を化け物に投げる。


 勢いよく投げ出された羂索は一気に大きく広がったかと思うと化け物に絡みついた。


 大きさがみるみる小さくなっていき、きつく縛り上げて動きを封じる。


 男は手に絡みついていた不気味な黒色の塊を剣に絡みつかせながら化け物に歩いて近づいていく。


 黒い塊は剣にまとわりつくと紫の炎を上げて勢いよく燃えた。


「じゃあな」


 男は化け物に剣を突き刺す。化け物はなす統べなく灰になった。


 最後におぞましい声を挙げながら。



 紫の炎は化け物の悲鳴とともに消えていった。


「どうやら妹はそんなやわじゃなかったみたいだぜ」


 そういう男は先ほどの姿に戻っていた。


 男の目線の先には女がいた。家から出てきたようだ。


 何も手には持っていない。


 顔を出した朝日は街を赤く染めている。もちろん街はずれのこの場所も。

 

 翌日、町の人の間では明け方に響き渡った謎の大きな音の話題で持ちきりだった。


 噂によると長崎から来た外国の武器の音だとか悪魔の鳴き声だとか。真相は誰もわからない。

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怒りを食らいし者 サクセン クヌギ @sakusen_kunugi

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