第8話

 先ほどまでスイクンを人畜無害の一般学生と認識していたジャレンスも任務における目的物が奪われようとしている今、スイクンの認識を改めた。


「こんなものなんかのために!」


 どうして目の前の軍人は人を殺めるのか、スイクンは怒りに任せて勢いよく台座から剣を引き抜いた。

 引き抜かれた一振りをジャレンスに向けて構えるスイクン。


 ジャレンスを視認したスイクンは同時に、目を開きながら横に転がりそのまま動かなくなったメイビスの姿を見つけてしまった。


「っ!」


「させないよ!」


 目が据わったジャレンスは短剣を左手に握り返し、聖痕宿る右手をスイクンに向けて集中する。

 赤く淡い光を灯らせた右手はすでに魔法の放出を可能としていた。


「ただの学生だったら手にかけるつもりはなかったけど、それを手にするんだったら容赦はしない! それをノーカラーになんか振るわせない!」


 スイクンに対する油断が一切消えたジャレンスは現状における自身の優位をはっきりと認識していた。

 というのも、相対するスイクンが手にしているのは剣なのだ。


 左手に握る短剣も、スイクンが構える剣も前時代的な武器なのだ。それらが有効に力を発揮するのは超接近戦のみ。魔法という攻撃方法がある今、超接近戦でしか使えない武器などほとんどそれ単体で役に立つことはない。


 剣など魔法で打ち砕けばよい。所詮は鉄の塊なのだ炎で融かせばよい、雷で貫けばよい。間合いの外から狙い、砕くだけでいいのだ。前時代的な武器などそれだけで足りてしまう。


 だからこそジャレンスは剣を構えるスイクンに恐れを抱かなかった。


「聖痕よ」


 聖痕に依拠した詠唱を必要としない魔法がジャレンスの右手から放たれる。

 渦を巻きながらスイクンに伸びてくる鉄くずを融かすに足る高温の炎。熱風がスイクンの頬を荒々しく撫でる。


 じりじりと肌を焦がすほどの熱に、自身の身体を簡単に焼き尽くすであろう猛炎にスイクンは足がすくんでその場から逃げることもできなかった。


「うわあぁぁああ!」


 スイクンは剣の握りにかける手に強い力が加わる。剣身を身体の前で盾のように立ててただ恐怖に目を瞑った。


 その時だった。それは炎が剣を叩くよりも前の一瞬の出来事だった。

 だがスイクンからしてみればそれは一瞬よりも長い時。


 握りを掴む手のひら全体に細い針が何本も突き刺さるような鋭い痛みを覚えた。それは柔軟性のある触手のようにスイクンの手のひらから内部に侵入していくと肉を掻き分けながらそのまま腕を通り、胴の辺りで複雑に分岐すると残る四肢へと伸びていった。


 伸びていく触手に、全身を内部から針で突くような痛みを覚え涙が目から零れ落ちるスイクン。

 スイクンの中を奔る触手は遂には頭までたどり着くとそこでまるで霧のように消えてなくなり、覚えた痛みも嘘のように完全に消え失せてしまったのだ。


 スイクンの流れる涙にジャレンスは、自身の魔法の獰猛さに恐怖し泣いているのだと勘違いし決着がついたと早とちりをしてしまった。


(任務は彼が持っている目的物の奪取だったけど、それが適わないのならば破壊するだけ)


 ジャレンスは胸の内でため息をついた。

 ジャレンスの同期三人は恐らく順当に目的物を回収し任務を果たしているだろう。きっと奪取できずヘマをしてしまったのは自分だけ。また三人との差が開いてしまったな、と。


(時間も押してしまっている……。早く戻らないと)


 そうジャレンスが意識をスイクンから外した時だった。


「うっ!」


 炎を放った先にいるスイクンが握っていた無機質な死んだ剣が突如として輝きを発した。

 鈍らな剣身は鋭く冷たい光を発する。刃は全てを両断するほどの犀利。


 実物を目にしても尚、この剣が目的物になるほどの価値があるのか首を傾げていたジャレンスだったが、眩しさに思わず目を閉じてしまった今ならその価値を多少は理解できる。


 鈍らな剣ではない。れっきとした名剣であると。

 だがそれは前時代的な武器において、という話である。戦闘において魔法が主流となった今、どれだけ研ぎ澄まされた名剣であろうと容易く打ち滅ぼしてしまうことができる。よってスイクンが握る剣がどれだけ鋭く鮮やかだろうが、つまるところ前時代的な武器の一つでしかなくそれ以上の価値はない。それ以上の価値を無理やり見出すのならば美術品として文化人の目を楽しませることのみだろう。


 眩い光が治まりジャレンスが瞼を開くと、そこには彼が想定してなかった姿があった。


「ど、どうして……。僕の魔法は?」


 そこには盾のように身体の前で構えたままのスイクンが無傷で立っていた。それも避けたような動きもしておらず、服の端すら焦がしていない。


 完全にジャレンスの魔法が打ち消されたことを意味していた。

 残るは炎が床を奔った黒い跡と、わずかに上がる黒い煙。


「君たちが……」


 無傷のスイクンは鋭い刃と、細かな血管のように無数に刻印が走る剣身をした生きる剣を構えてジャレンスを強く睨みつける。


「君たちがこんな剣にどれだけの価値を見出しているのか、僕には分からない。だけど、それでもこれが理由で人の命を奪うのが間違っていることくらいは、僕にだって分かる!」


 ジャレンスの横に、文字通り全身から血を流し完全に動かなくなってしまったメイビスの姿を確認しスイクンは激しい憤りを覚えた。


 相手はシルバン公国の軍人。その動きを直接見たスイクンでもジャレンスの動きは勇者の末裔特有の身体能力の高さを兼ね備えているのが理解できた。


 どれだけ対抗できるか、スイクン自身分からない。

 しかしここで逃してしまえば、逃走中に出くわしてしまったカイやタリア、その他の学生が餌食になってしまうかもしれない。そんな最悪な未来が見えてしまった。


 スイクンの剣を握る手がじわりと汗ばんだその時、脳内に直接音声が響き渡った。


『勇者殺し起動』


 それはジャレンスには聞こえない声。起伏の乏しい女性とも男性とも判別できない中性的な声。

 剣と直接に繋がったスイクンに、知識が逆流していく。


 一気に内部から身体が熱くなったスイクンは、まるで熱を出した時のように頭がぼーっとしていたが、不思議なことに身体の倦怠感は一切ない。


 スイクンの意識とは別に、得体の知れない何かに突き動かされたように身体はジャレンスに飛び込む。


「っ!?」


 その瞬発力はジャレンスの予想をはるかに上回るもの。まるで瞬間移動したように一瞬のうちにジャレンスの懐に飛び込んだスイクンは光る剣を横に振るう。


 剣の間合いに入ってしまっているジャレンスは脂汗を浮かばせながら、それでも迎撃を試みて短剣を振るう。


 ジャレンスも理解している。この短剣では鋭く空気を裂く剣をはじくことは適わない。だが既に懐まで入り込まれてしまっているジャレンスはそうせざるを得ない。


 走る剣はジャレンスの短剣を、バターを斬るかのように真っ二つに切り裂いた。

 その動きは素人のそれではない。


「なっ!?」


 剣身が根本から斬られたジャレンスはその切れ味に驚き目を見開きながら距離を取らんと素早く頭を回転させた。


 止まらないスイクン。

 振るった腕を切り返す。


「せ、聖痕よ!」


 スイクンとジャレンスの距離。接近されたジャレンスに魔法を打ち込む余裕はない。

 ジャレンスは強固な扉に穴を開けた、手のひらから魔力を放出させる「インパクト」をスイクンに打ち込むことに決めた。


 瞬間、灯る右手のひら。

 ジャレンスは聖痕が淡く光る右手をスイクンの鳩尾に伸ばしていく。


「……」


 スイクンにはその動きが見えている。

 ぼーっと頭が回らないスイクンだが、脊髄反射するように操られているかのように無意識に身体が動く。膝を曲げ、上体を屈めたスイクンの頭の上をジャレンスの右手が薙いだ。


 剣を振れるほどの距離もないほどに接近したジャレンスの腹部をスイクンは剣の柄頭で叩く。わずかな隙だが反射的にカウンターを決める。


「ぐふっ!」


 腹から胃液が逆流するような気持ち悪さに襲われたジャレンスの口から呻きとともに粘質の唾液が噴き出す。


 後方に下げられたジャレンスとスイクンの間に剣を振るう空間が生まれる。

 スイクンは低い姿勢のまま斜め上に掬い上げるようにして剣を振るった。

 勇者殺しの剣は、ジャレンスが勇者の末裔たる所以の聖痕宿る右腕を肩口の辺りから斬り飛ばす。


「あがっ!」


 右腕が切り別れ血が噴き出すジャレンスをスイクンは変わらぬ冷静な目で眺めるだけ。スイクンの頬にジャレンスの返り血が付着するが注意が削がれることもなくさらにもう一歩踏み込む。


 完全に上体ががら空きになったジャレンスに腕を斬られた痛みに藻掻く時間はない。だからといって態勢が崩され重心も後ろになってしまっているジャレンスにはどうすることもできない。


 そこにあるのは死を待つだけの僅かな時間。

 弧を描くスイクンの剣はまさにジャレンスの死線を描く。


 ジャレンスの横腹から入り込んだ剣は脂肪の少ない肉を斬り裂きながら背骨を切断し、胴を斬り分けた。


 意識がわずかに残るジャレンスは宙を舞い、斬り分けられた自身の下半身を眺めながら地面に落ちる。


(レイ……。ごめん、失敗しちゃった。無責任だけど、僕の失敗が公国の人たちを傷つけることになってしまわないよう、フォローしてくれないかな。ほら、スクールで僕がレイに迷惑をかけた時のように)


 ジャレンスは最期の力を振り絞り、持たされていた魔道具をポケットから取り出しスイッチを押した。

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