第6話



「こないな、せんせー」


 机に身体を預けながら肘をつくカイが欠伸まじりに呟く。


「そうね。会議が長引いているのかしら」


 タリアはカイの向かいでノートに目を落としながら答えるが、それでも手は止めない。

 スイクンは湯気が立つコップを二つ持ち、それぞれタリアとカイ二人の前に置いた。


「そうだね、教授遅いね。もしかしたら今日は戻ってこないのかな? ……ほら二人とも、コーヒー淹れたよ」


「ありがとうスイクン」


「サンキュー」


 スイクンに淹れてもらったコーヒーに口をつけるカイだったが、一口含み「うげっ」と顔を歪めた。


「ごめん、砂糖が必要だった?」


 スイクンは自分の分を淹れながら、苦い顔をしながら頷くカイに苦笑しながら砂糖を手渡した。

 淹れ終わったコーヒーにスイクンが口をつけた時だった。


 外から大きな音が上がった。

 スイクンは思わず口に含んだコーヒーを吹き出しそうになったが、必死に熱々のコーヒーを涙目になりながら飲み込んだ。


「なんだ?」


 ばっと飛び起きるカイ。

 彼の向かいに座るタリアも走らせていたペンを止め、廊下の方を見やる。


 カイは砂糖を入れて甘くなったコーヒーをぐっと飲んでから廊下に出て、状況を確認する。

 スイクンもタリアも音に驚きはしたが、それでも足を向ける程の興味もなかったため、椅子に腰を下ろしながらコーヒーを啜った。


「おい! すごいぞ二人とも! 花火が上がっている」


「花火?」


「そうだぜスイクン。こんな真昼から花火が上がっているんだ。さっきの音は花火が打ちあがった音だったんだ」


 まだ太陽が上がっている昼間に上がる花火に、スイクンは腰を上げて窓を開けて身を乗り出すカイの隣に並んだ。


「本当だ。本当に花火だ」


 明るい中でも鮮やかな色を見せる花火は強い光を発している。


「タリアは見ないの?」


 研究室の振り返りながら呼びかけるスイクンにタリアは「もう少し」と数秒ペンを走らせてから立ち上がった。


 スイクンの隣に来たタリアは街の方向から上がる花火に「昼に見ても風情はないわね」と述べて冷めた目で眺めていた。


 だが、花火に目が向いたのはスイクンらだけではないようで、横に目を向ければ彼らと同じように窓を開けて花火を眺める学生が大勢いる。


 外にいる生徒も足を止めて目を奪われる。

 誰もが花火に目を奪われているときだった。


 廊下を駆ける者がいた。年齢でいえばスイクンと変わらないくらいだろう。第一学院の学生と言われても不思議ではないけれど、彼の纏う空気が周りの学生とどこか異なっていた。


 最小限の足音で廊下を駆けあがる青年にスイクンは違和感を覚え、目で彼を追っていた。

 青年——ジャレンスだけは花火に目もくれず真っすぐ廊下の先だけを見つめている。


(そんなに急いで、この人はどこに向かっているんだろう?)


 流してしまえばそれまでなのだが、スイクンは誰の目にも留まらないそんなジャレンスの場違いな動きが気になって仕方がなかった。


「ごめん二人とも。ちょっと行くところができた!」


 スイクンは両隣に並ぶカイとタリアにそう残して、青年のあとを追って駆け出した。


「ちょっと、スイクン!?」


「おい、どこ行くんだよ。花火、見なくていいのか?」


 スイクンの背中に二人の呼びかける声がしたが、スイクンは足を止めずに「すぐ戻るから」と手を振った。


 スイクンの先を走るジャレンスは足を止めて窓の外を眺める学生を軽やかに避けていく。


「……けっこう速い。それにあんな身のこなし、普通の学生じゃないだろう」


 スイクンも青年を追って、学生らの間を縫って走るがその速度は彼に及ばない。

 直線のスプリントであればスイクンもジャレンスに引けを取らないのだが、障害物と化した学生を避けながら走るとなるとどうしても減速してしまい、トップスピードを保てない。加えて、減速してからの瞬発的な加速も技術がないスイクンにはジャレンスとの距離が開けてしまう要因でもあった。


「くそ! 邪魔なんだけど。ちょっと君! そんなに急いでどこに向かっているの?」


 スイクンは前を走るジャレンスに声をかけるが、彼はスイクンの言葉に反応を示さず走り続ける。

 何度か角を曲がってたどり着いた先には強固な大きな扉があった。


 スイクンもその扉を見かけたことはあったが、立ち入る必要もなかったためこれまで気にも留めず素通りしてきた。

 ジャレンスの右手のひらが淡く発光したのが後方のスイクンには確認できた。


「あれは、……聖痕」


 シュテルンでは珍しくもない聖痕だが、聖痕を発動させる者の姿はここではあまり見かけない。

 淡く発光するということはジャレンスが魔法を発動させるつもりであることを意味する。


「こんな校舎内で、なんで!?」


 スイクンの黒手袋を嵌めた両手に汗がにじむ。

 ジャレンスはここが一般学生の通う学院であることを気にすることもなく右手を扉に添えて魔力を一点集中させて放出させた。


 ドン! と直接内臓に響く音に、走るスイクンも思わず目を瞑ってしまう。

 すぐに目を開けたスイクンは目の前の光景に驚き口が開いてしまう。強固に思われた扉が今の一瞬で容易く穴を開けられていたのだ。


「やっぱり、学生じゃない」


 穴に身体をくぐらせて中へと入っていくジャレンスにスイクンはうすら寒さを覚えながら続いて中に入る。


 スイクンが中に入った時にはすでに中は剣呑な空気が漂っていた。

 突然こじ開けられた扉に研究員と思われる者たちが騒然とし、その中をジャレンスが飛び回る。


 その手には短剣が握られており、研究員に一瞬で詰め寄ったジャレンスが短剣を振るい次々と研究員に斬りかかっていった。


 ジャレンスが短剣を振るうたびに部屋の中の鉄臭さが強くなっていく。

 その光景はスイクンが忌避してきたものそのもの。


 暴力はもちろん争いを嫌うスイクンにとって、目の前で血が飛び散り白い床を赤黒く染めていく光景は心臓をぎゅっと握られたような苦しさを覚えさせた。


「きょ、教授!?」


 必死の抵抗と断末魔、物が倒れ壊れる音はスイクンの平穏な学院生活をぶち壊す。そんな惨状の中にスイクンが通う研究室の教授の姿があった。

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