第3話
「だけど、料理が口に合うか分からないのが嫌だな。ほら、ここに初めて来たときも食文化には驚かされたし」
三人は廊下を歩く。
窓からは陽が差し、照明がなくとも十分な明るさがあった。
長く続く廊下には番号が振ってあるドアがいくつも並ぶ。それぞれが研究室のドアであり、学院には多くの学生が在学しているため合わせて数多くの研究室が設けられているのだ。
「それは確かにそうだったよね」
カイに同意するタリア。初めての衝撃を思い返しているようだった。
「そうなの?」
「スイクンはシュテルンにいて、もう長いんだったか。それじゃあ口が慣れてしまっているよな」
「シュテルンの食はけっこう特殊よ? なんていうか、シルバンの食文化もテレンジアの食文化も混ぜ合わされたような感じなのよ」
シュテルンに移住して長いスイクンには二人が抱いた印象に驚かされた。
「とくにあれだな、スパイス系が分かりやすい。テレンジアの料理だと思って口に運んだ時の衝撃はやばかったぞ!」
「辛そうな見た目なのに甘かったときは私の脳が麻痺してしまったんじゃないかって疑ったほどだったもの」
カイもタリアも共感するところがあるようで話に盛り上がり、タリアも笑いながら話していた。
「最近はさ、ここの料理を食べてシルバンの味も少しは分かってきたけどさ。それでもシルバンに行ったら決定的に味は違うだろ? なんたって混ぜ合わされたものじゃなくて、純正なんだから。自信ねーな、俺」
幼い頃に移住してきたスイクンは味覚が成長する前にシュテルンの味に触れたものだから、味の違いに気づくこともなくシュテルンの食文化に適応していった。
スイクンは苦笑いしながらカイの言葉を聞いていた。カイも良い学友である。入学当初からの付き合いで、彼が気さくに話しかけてくれたのがきっかけだった。
言葉の端々にシルバン公国と勇者の末裔を嫌うところが見え隠れするが、それを抜きにすればカイはスイクンにとって大事な友人であることに間違いはない。
三人は彼らが所属している研究室に到着すると、一歩前に出ていたカイがドアノブを掴んでドアを開けた。
「せんせー、いますか?」
カイが呼びかけるが返答はない。
壁際には本棚が並び、中央には大きなテーブルが一つ置いてある。
テーブルの奥はパーテーションで仕切られており、そこから先は彼らを担当する教授のデスクがある。パーテーションを挟んでいることもあり、入口付近に立っているスイクンらからは教授の姿は見えない。
物音ひとつない様子に教授はまだ研究室に戻っていないようだ。
スイクンらはテーブルに備えられている椅子に腰を下ろすと、ノートを開いた。
各々が書き記した内容を擦り合わせながら教授が戻ってくるのを待った。
〇
シュテルンの街に溶け込むように私服を着た青年と女性が馬車に乗り合いながら、窓から街の様子を窺っていた。
三人の青年と一人の女性、計四人が向かい合いながらのんびりと背もたれに身体を預けているが、その目つきはどこか鋭さがある。
「ノーカラーってのは呑気なもんだな、まったく。どいつもこいつも腑抜けた面をしてやがる」
窓の下枠に肘を預けながら真っすぐな髪を耳が隠れる長さで切り整えられた青年が舌打ちを漏らした。
「ヴァレミー……。ここはノーカラーの国じゃないわ。ここにはわたしたちと同じ
跳ねた髪一本もないヴァレミーの真向かいに赤髪の女性が座る。
「一緒だティルシー。あの出来事を知っておきながらノーカラーと親しくしているカラーなど同朋ではない」
ヴァレミーの強い口調にティルシーはため息をつくことしかできなかった。
ティルシーは全体的に細身な体型をしており、凹凸のある体つきをしていない。だからといってそれを野次ろうものなら彼女の鉄拳が飛ぶので彼女の性格を知る者は誰も命知らずな言動を取ることはない。
「ジャレンスもなにか言ってやってよ。ヴァレミーの言葉を聞いていたらわたし、頭が痛くなってくるのよ」
「どういう意味だティルシー。貴様まさかとは思うがノーカラーの肩を持つつもりなのか?」
「極端なのよ、あんたは」
ヴァレミーをあしらうように手を振るティルシーと、それに食って掛かろうとするヴァレミー。そんな彼らの間に入るようにヴァレミーの隣に座るジャレンスと呼ばれた細目に眼鏡をかけた青年が手で両者を制した。
「まあまあ二人とも、よしなよ。ここはシルバンじゃないんだから、あまり大きな声は出さないでよ。馬車の外にまで聞こえてしまうよ」
シュテルンにも勇者の末裔は多く在住している。そのため、ヴァレミーたちがシュテルンの街にいようが特におかしなところはない。
だがヴァレミーとティルシーの会話はシュテルンの街には似つかわしくない。舗装された道を走る馬車が音を立てながら車輪を回そうとも、それ以上の声を上げてしまえば周りの人間の耳まで届いてしまう。
彼らの立場上、ここで目立つような行動は避けたい。
「いいことじゃないかヴァレミー。僕たちと同じカラーが平和に暮らせているんだ、喜びこそすれ憂うことはないはずさ」
「中立国っていうのはここまで平和なのね。わたしもここで生まれ育っていたなら今の状況は変わっていたかもしれないわね」
ティルシーの言葉にヴァレミーはつまらなそうに外に目を移しながら鼻を鳴らした。
「……レイはどう思っているんだ?」
ヴァレミーの言葉はジャレンスの隣に座る赤みがかった髪を揺らす凛々しく目鼻立ちがはっきりした青年レイに向けられた。
「……平和というのも表上だけのものだと思うさ。火のないところに煙は立たない、俺たちがシュテルンの街に来ている今の状況というのはつまりそういうことだ」
淡々と冷静に状況を整理して話すレイの言葉にヴァレミーは「回りくどくてつまらんやつだ貴様は」と呟いた。
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