第2話


 シュテルン連邦国は中立の立場を示していて、争いが嫌いなノーカラーや傷付きが互いに協力し合いながら平和的に営みを共にしていた。


 シュテルンに渡ったスイクンは、この凄惨な出来事を知ってはいたが彼の生活に直接の影響はなかった。


 シュテルン連邦国にある第一学院に通い、植物学を学びながら学友と過ごしていたスイクンは黒い手袋を両手に嵌めて、その手には観察した植物を記録するノートが掴まれていた。


「それにしても今日はやけに人の出入りが多いもんだね」


 スイクンの学友の一人であるカイが頭の後ろで腕を組みながら辺りを見回す。

 石造の校舎と広い緑の庭。その一部分にスイクンらの手で植えられた植物が花を開かせる花壇が並ぶ。


「だってもうすぐ新入生の入学の時期じゃない? 見学にでも来ているんじゃないかしら」


 カイと反対隣りにショートヘアのタリアがノートに目を落とし、メモをしながら答えた。


「新入生ねー。俺たちももうすぐ先輩になるってことか」


「なんかあっという間の一年だったわね。こんな感じであっという間に卒業してしまうのかな?」


 専門分野である植物学を専攻しているスイクンらは、入学してからの毎日を始めて触れる学びばかりで時間の進みすら忘れてしまうほど忙殺されていた。


「スイクンはさ、卒業したらどうするつもりなの?」


 メモをし終えたタリアがノートを閉じてスイクンに目を向ける。


「どうだろう? あんまり分からないけど、植物学が活かせるような仕事をするんじゃないかな?」


「それじゃ、ずっとシュテルンに?」


「……。だと思うけど、シルバンにも行ってみたいとも思っている」


 校舎にある研究室に向かっているスイクンは、タリアの問いかけにわずかに目を伏せる。彼の頭の中には幼き頃に分かれた親友のレイの姿が映っていた。


「えー!? スイクン、シルバンに行きたいのかよ。あそこは傷付きスカーの国だろ? 俺たちノーマルが行くような所じゃないぞ」


 カイは驚き、頭の後ろに回していた腕を解いてスイクンの顔を覗き込む。


「やめなよカイ。ここはシュテルンよ? 私たちの周りにも勇者の末裔がいるのよ。そんな言葉を使うのは良くないわ」


 タリアはそう、カイの言葉遣いを窘めると彼はバツが悪そうにそっぽを向いた。

 スイクンは歩きながら両隣のカイとタリアの手に目を向ける。


 彼らの手の平には何の紋様もない。

 カイもタリアもいわゆる傷付きと呼ばれる勇者の末裔ではなく、ノーマル(シルバンではノーカラーと蔑まれる)である。


「スイクンはシルバンに行って何をするの?」


 タリアの問いかけにスイクンは「シルバンには親友がいるから久々に会ってみたい」と口から出かかったが、二人の手前とくにカイの前でそれを口にするのも空気が悪くなると思い飲み込んだ。


「……シュテルンの植物しか見たことがないから。シルバンにはどんな花や木々が生息しているのか見てみたくて」


 これも嘘ではない。

 だがそれ以上に親友と久しぶりに言葉を交わしたいスイクン、彼の中ではそれほどまでにレイの存在は大きかった。


「たしかにそうよね。私はここに来るまではテレンジアにいたから、あそこの植物は知っているけどシルバンのものは知らないものね」


 どんな花が咲いているんだろう、と呟くタリアの横顔をスイクンはただ静かに眺めた。

 タリアはシュテルン連邦国の学院に入学するまではテレンジア教国にいた。心優しい彼女は自身がノーマルでありながら勇者の末裔に関してとくに差別意識を持っていなかった。


 そんな彼女には彼らを傷付きと蔑称で呼び、その存在を相容れないと拒絶するテレンジアでの生活は息苦しかったのだろう。学院入学に合わせてシュテルンに一人移住してきたのだ。


 スイクンがタリアから直接聞いた話では、彼女の両親はそんなタリアの意見を尊重しシュテルン移住を認めたようだ。


 タリアのようにノーマルも勇者の末裔も分け隔てなく同じ人類の仲間として認識している人たちも当然テレンジアにはいる。しかしこれも当然、悲しいことにタリアのような人は少数なのだ。


「まあ、観光で一泊するくらいならいいかもな。それができるのが中立国であるシュテルンの学院に通う学生の特権でもあるし」


 建物前の階段を登り、カイが歴史を感じさせる色褪せたドアに手をかけた。

 互いに敵対するシルバン公国とテレンジア教国は今では親交はほぼない。そのため両国の人間は互いの国を行き来することはできないのだ。訪れたとしてもまず関所で入国許可が下りない。


 そんな二国に挟まれているシュテルン連邦国は特別だ。シルバンともテレンジアとも盛んに交易を行なっているシュテルンの国民は入国手続きさえ踏めば犯罪者でない限り両国に足を踏み入れることができるのだ。


「タリアは? その感じだとまだシルバンに行ったことがなさそうだけど」


「私もないのよ。在学中に一度は行ってみたいと思っているんだけどね」


 カイもタリアと同じく出身はテレンジア教国だ。

 しかし彼の場合は彼女と違い、シュテルンに完全に移住してきたわけではない。学院に通うため在学中に限りシュテルンに身を置いているそうだ。


 移住をせずとも留学といった形でシュテルンの学院に通うこともできるのだが、留学生とシュテルン民では受けられる補助制度に違いが生まれる。留学生は当然シルバンもしくはテレンジア国籍のため、その国の法に則った補助を受けるからだ。


 だがそれでは学生という同じ立場でありながら格差が生まれてしまうのは良くないと考えたシュテルン連邦国は学生の身分に限り分け隔てなく十分な援助を享受できる制度を設けることにしたのだ。


 当然審査は厳しいものだが、それを通った将来輝かしい有能な学生がシュテルンに踏み入れその文化を知り、永住する判断をしてくれるのならばそれはシュテルンにとって良いことだ。


 もちろん卒業と同時に帰国しようともシュテルン連邦国にとって問題はない。テレンジア教国とシルバン公国の両国と交易を続けるシュテルン連邦国は、シュテルンで多くを学び優れた学生が自国に戻り文化や技術を発展させたとしても両国との交易を通してそれらを得られるためだ。

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