第二章:Per aspera ad astra.

1

 歩いて。歩いて。歩いて。色んな町や国、村に寄っては一泊してまた歩く。私達は道中、魔物に襲われながらもレナさんに守ってもらいながらシェパロンを目指した。ここまでは特に大きな問題は無く、一日の終わりにはどこかの宿屋で贅沢は言えずともベッドで体を休められた。遭遇する魔物もレナさんが一人で対処出来るようなものばかり。

 このまま何事もなくシェパロンに辿り着ければ、私はその日も相変わらず歩きながら左右から茂る木々の隙間から顔を覗かせる晴れやかな空を見上げては、ふとそんな事を思った。

 すると、それは私が丁度顔を正面へと戻したその時だった。

 ――突然、木々生い茂る横の方から飛び出してきた一つの影。咄嗟の事に私は魔物かと若干の焦りを感じながらも踏み出した足で急ブレーキをかける。同時に横からレナさんの手が私を守る為に伸びてきた。

 そして全員の警戒が瞬時に最大になる中、私はその目の前へと飛び出してきた影の正体を僅かに見張った双眸に映す。頭では魔物だと(状況的にも)ほぼ決めつけていた所為かその意外な姿に私は更に瞠目した。

 そこにいたのは小さな少女だった。ローブを身に纏ったショートヘアのでも可愛らしい顔をしている。

 少女の私達へ向けた吃驚とした表情までよく見え、その瞬間はまるで世界がスローモーションにでもなったかのような感覚だった。

 だけど、そんな感覚を破るように少女を追う影が同じ場所からもう一つ飛び出した。最初の少女とは相反し、それは大きな影。

 視線を私達から追って来た影へ向けた少女だったが、目を見張りながら倒れそのまま尻餅をついてしまった。

 そんな少女の前に立つのは、(木ほどある)巨体のグペール。見た目はゴブリンに近いが何といっても大きい。そして右手にはその体格に見合う棍棒が握られていた。

 するとその棍棒がそっと私の視線ごと持ち上がり――少女へと振り下ろされた。私は助けようと一歩踏み出すどころか目を逸らすことも瞬きすら忘れ、ただその場で眼前の流れゆく現状を見るだけ。

 だがそんな私を置き去りに隣のレナさんは一瞬にしてグペールと少女との間に割り込むと剣を構えた。直後、棍棒は構えられた剣と激突。体格差や武器、全てを見てもこのまま鍔迫り合いをするのはレナさんにとって余りにも分が悪すぎる。それどころか受け止められるかすら怪しい。

 そんな不安が無意識の内に胸で蠢く中、私の目の前では剣とぶつかり合ったはずの棍棒がそのまま滑ってはレナさんを避けるように横の地面を叩いていた。

 隣で土埃が上がり、レナさんは瞬時に背後の少女を抱えては私の方へ戻った。


「この子を」


 それだけを言い私へと少女を預けたレナさんは、仕留めそこなった獲物へ眼光を向けるグペールへと駆け出す。

 最初は少女へと視線を向けていたようだがグペールは自分へ立ち向かってくるレナさんを見ると、まだ地に着いたままの棍棒を滑らせた。抉るように土を辺りへ撒き散らしながら棍棒はレナさんを狙う。

 一方でレナさんはタイミングを見計らい地を一蹴。大きく跳躍すると棍棒を避けながらグペールの顔へ目掛け剣を構える。

 しかしその直後。まるで虫でも払うかのようにグペールの手が空中のレナさんを叩き落とした。


「レナさん!」


 咄嗟に叫びながら私は気持ち分、一歩だけ前へ。

 そんな私の視線先ではレナさんの体が巻き上げた土埃がゆっくりと晴れていく。不安で足早になった鼓動を感じながら少しでも早く透かそうとじっと見つめていると、片膝を着いたレナさんの姿が徐々に見え始めた。片手で剣を握りもう片方の手はそっと地面に着け、見上げた顔はグペールへと警戒の視線を向けている。

 だが流石に無傷と言う訳にはいかず、頭から頬を川のように流れ今も顎先から滴る鮮血。それは見ているだけで私の痛覚を刺激した。とは言え、怪我はあるものの無事であることに私は胸を撫で下ろす。

 それも束の間、依然と戦闘は続いており天に掲げられた棍棒がレナさんへ振り下ろされた。私の方からは良く見えなかったが、すぐに棍棒は又もや地面を叩いただけということは分かった。

 そして未だ視界を土埃が濁す中、地面に振り下ろされたままの棍棒上に現れたレナさんの姿。そのまま棍棒を上ると握る手を一蹴。すれ違いで叩き潰そうとしたグペールの手が自らを叩いた。

 レナさんはそれを背に自分を叩こうとした方の腕を経由しグペールの顔へ。そのまま剣を振り下ろす――かと思ったが、そんな私の思考などヒラり躱しレナさんはグペールを飛び越え背後へと回った。

 そのまま地面へと着地すると、剣を構え一閃。グペールの片脚は膝から下が独りでに地面へと転がり、同時に滝のように朱い血が流れ瞬く間に土の上へ溜まりを作った。更に片脚を失いバランスの崩れた巨体は落ちたようにガクッと片膝を着く。

 だがグペールは叫声を上げるも残った方の足を軸に体を回転させては棍棒を振った。とは言え、バランスも悪く痛みに耐えながらだからなのかそのひと振りはレナさんがその場でしゃがみ避けられるほどには乱雑だった。

 そして棍棒を避けたレナさんは跳び上がると空振りした腕を足場に今度は飛び越す事なく、グペールの顔へ。構えた剣で喉元を突き刺しそのまま通過しながら切り裂いた。

 グペールの巨体の陰に隠れレナさんの姿は見えなくなってしまったが、倒れゆくその巨体は地面に打ち付ける前に灰と化し跡形もなく消失。まるで何事もなかったかのように地面を染めてしまいそうな血液も消え、ただそこには一人怪我を負ったままのレナさんが剣を鞘へと納めているだけだった。


「大丈夫ですか?」


 私はこっちへ戻って来るレナさんに駆け寄りそう尋ねずにはいられなかった。あの巨体も、あの夥しい量の血液も消えてしまったのにも関わらずレナさんの頬では依然と新たな鮮血が上塗りを繰り返している。


「激痛」


 顔を歪めるも何だか余裕の感じるレナさんに私は一足先に胸を撫で下ろす。


「でもまぁこーゆー時のコルさんな訳だし」


 そう言いながらレナさんはコルさんの元へ足を進めた。


「ちょっと失礼」


 目の前でレナさんが足を止めるとコルさんはまず、血に濡れた髪を掻き分け傷口を確認した。丁度、私からは見えなかったがきっと見える位置に居ても目は逸らしてたかも。


「んー。なるほどね。これぐらいならあっという間だね」


 そう言って次は手をその傷口へと翳した。一拍分の間を置いて、この前見せてくれたあの淡い光が手の中で灯り始める。実際にどういう経緯で傷口が治っていっているのかは分からないけど、十秒も経たぬ内にコルさんは光の消えた手を退け完治したかの最終確認をしているようだ。


「――うん。我ながら完璧」


 微かに何度も頷きながら笑みを浮かべるコルさん。どうやら上手く治ったようだ。


「おぉー! 段々と痛みが引いていくのが分かりました」


 感嘆の声と共にレナさんはさっきまで傷口だった場所を最初は恐々としながらも指で触れ改めて感動していた。


「他に痛みは?」

「いや、大丈夫です」


 そう言ってリュックまで歩いたレナさんは水を一本取り出し、口にした後に顔の血を洗い始めた。


「さてと。――それで? 一体、君はどこの迷子かな?」


 そんなレナさんを眺めていると隣に並んだコルさんの言葉に私は「そういえば」と視線をあの少女へ。

 人見知りなのか、レナさんへの申し訳なさなのか俯き気味の表情は不安気だ。祈るように胸前で握った手もあっちへこっちへと泳ぐ双眸も含め、全てがまるで怯える小動物のよう。

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