実越仙境
その声に応えるように、木の下でうずくまっていた少女はゆっくりと顔を上げた。そして、自分を見下ろしているその影を見つめ、小さく口を開く。それは、まるで夢を見ているかのように現実感のない光景だった。
「貴方は……誰ですか?」
「俺は灰の王、お前たちを救う者だ」
少女の問いに、灰の王は静かな口調で答えた。
まだ、怯えが止まらぬ少女に対しゆっくりと近づき、その手を頭に置こうとする。
「ひっ」
先の光景を見て、彼女はとっさに怯えの声を上げた。その光景と今の状況が重なり合い、目を堅く閉じて頭を守ろうとする。その無意識の拒絶行動に、灰の王の手は止まらなかった。
彼女の予想とは裏腹に、その手が触れたのは意外にも柔らかく心地の良い感触だった。そっと少女が目を開けると、優しく頭を撫でている灰の王がいた。
「……?」
あまりに予想外の光景に、少女はただ目を見開く。そしてやがて、少女の瞳に涙が滲み始める。自分の頭を撫でているその手はただ暖かかった。
「君のような少女が急に理解は出来ないな、済まない。だが信じてくれ、俺は敵ではない」
ゆっくりとした口調で彼は語った。そして少女の前で灰で出来た扉を作り出した。
「これは?」
「この扉を潜れば安全な所に行ける」
「……安全なところって、どこですか?」
震える声で尋ねた少女に、灰の王は少しだけ微笑んだ。
「我らの同胞がすみ、安全に暮らしていける場所だ。そこなら、少なくとも今のこの地獄からは解放される」
その言葉には確かな自信が込められていた。
少女の表情はまだ不安を隠しきれないが勇気を出して扉に手をかけ中に入った。それを見届け、灰の王はまた周囲を見渡す。
まだ命ある同胞を救うため、王は動く。
灰の王は静かに辺りを見渡し、手をかざすと一帯に薄灰色の障壁が張り巡らされた。その障壁は灰の力で編み上げられ、敵の侵入を防ぎながらも、彼がその内部を自在に探索できるよう設計されていた。燃え盛る火の粉や、血に濡れた大地が障壁の内外を隔てる。そこにわずかでも命の気配がある限り、彼はそれを見逃すつもりはなかった。
森の奥、崩れかけた小屋の中、倒壊した木々の影。灰の王はその冷たい眼差しを光の届かない場所にまで巡らせた。彼の周囲に漂う灰が、空気を撫でるようにして生命の痕跡を探し出す。そして、見つけた命をそっと運び出すように、その灰が包み込むように動き始めた。
傷つき、震えるエルフたちが彼の前に現れるたびに、灰の王は静かに手を伸ばし、優しい声で語りかけた。
「恐れるな。この扉を通れば、地獄から離れられる」
戸惑いと不安で動けない者には、自らそっと背を押すようにして扉の中へと送り出した。彼の声には確かな自信と温もりが宿っており、それがエルフたちの心に少しずつ希望を灯していった。中には怯えきって叫び声を上げる者もいた。それでも灰の王は動じることなく、慎重に彼らの命を救い続けた。
そして全ての生存者が扉の中に消えた後、灰の王は静かに呟いた。
「済まない、俺がもっと、もっと早く来ていれば。失われることのない命だったはずなのに……」
死体を集め、丁寧に並べながら灰の王はに自責の念に駆られていた。
燃え盛る火の粉をじっと見つめ、暫く感傷に浸っていた。その瞳にはどこか哀しい色が含まれていた。
全てが燃え尽き火の粉も尽きた時、彼は立ち上がった。
手を差し出すと、残った灰が彼の手へと集まっていく。
「せめて……彼らの無念を、悲しみを――俺が伝えよう」
最後に一度だけ村を見渡し、灰の王は静かに歩みを進めた。
灰の扉へと向かい、深く息をついてその中に足を踏み入れる。
★
扉を潜った先には、灰の王が創り上げた空間――【実越仙境】が広がっていた。
その地は、命が再生し、安らぎをもたらす場所だった。遥か彼方に連なる山々、澄み渡る青空の下で静かに流れる川、咲き乱れる色とりどりの花々が大地を彩っている。風は穏やかで優しく吹き、漂う空気には死の匂いなど微塵もない。
足を踏み入れたエルフたちは、その光景に言葉を失い、次第に恐怖と疲弊から解き放たれていく。
「ここは……」
一人の少女が震える声で呟いた。彼女の目には、長く続いた絶望の影がまだ残っていたが、わずかに宿る希望がその奥で光を放っている。
「そろそろだと思ってた!」
遠くから聞こえた声がその沈黙を破った。先住者と思われる男が手を振りながら走ってくる。彼の声に呼応するように、村の奥で作業をしていた者たちが一斉に立ち上がり、明るい表情で集まってきた。
「おーい! 王が同胞を連れてきたぞ!」
その言葉が村中に響き渡ると、居住区のあちこちから人々が顔を覗かせ、歓声を上げながら広場へと駆けつけてきた。
「本当だ……! 王様がまた新しい命を救ってくれた!」
「無事でよかった!よくここまで来たな!」
集まった先住者たちは次々とエルフたちに声をかけ、心からの歓迎を示した。すでにこの地で生活を始めている彼らにとって、灰の王が連れてきた生存者は新たな希望の象徴でもあった。
次第に扉が次々と現れ中から一人、また一人とエルフが姿を現す。彼らは先住者の歓迎の温もりに感謝し、自分らが負った苦痛を打ち明け合う。その話を聞いた先住者たちは声を揃えて慰めた。やがて灰の王も扉から現れ前へと進み出て、歩み寄った。
「ようこそ、俺達の村へ」
彼は穏やかな声で語り掛ける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます