勇者へ:3
勇者は、避難所を回りながらリラを探していた。ずっと胸の奥に嫌な予感が消えない。焦燥感が募る中、彼は一つの人だかりを見つけた。近づくにつれ、人々の隙間から垣間見えた光景に、彼の心臓が強く跳ねた。
血に染まった地面と、無造作に横たわる人々。その中に――リラの姿があった。
「あっ……」
声が出ない。まるで悪夢であってほしいと願うように、勇者はその場に立ち尽くす。しかし、目の前の光景が夢ではないことを無理やり押し付けてくる。冷たく凍った現実を、否応なく受け入れざるを得なかった。
「あ、ああああああああああああああああああああ!」
理解した瞬間、勇者はリラの元へ走った。無意識のまま膝をつき、彼女の冷たくなった身体を抱き上げる。
「リラ!リラ、リラ!」
震える声で彼女の名前を呼び続けるが、返事はない。冷たくなったその身体は、もう何も答えない。血に染まり、息絶えたリラの顔は、まるで安らかな眠りについているかのようだった。
周囲の声が耳に届く。
「勇者様! こいつはエルフか獣人のスパイです!」
それでも、勇者は聞く耳を持たない。リラの身体に向けて、ただひたすらに回復魔法をかけ続ける。しかし、何度魔法を使っても、彼女の体温は戻らず、瞳も開かない。
嘘だ。これは嘘だ。こんなことが起こるはずがない。
何度も、何度も心の中で叫び続ける。現実を否定するかのように――
「リラ……どうして……」
勇者の手は赤く染まり、リラの血がにじんでいた。それでも彼女は目を開けず、冷たくなっただけの身体は、ただ静かに横たわるだけだった。
そして、その瞬間、勇者の心は完全に壊れた。
「お前らか……リラを殺したのは……」
歯を食いしばり、勇者はゆっくりと立ち上がった。その目には狂気が宿り、憎しみが溢れていた。周囲の人々が、怯えながらも弁解しようとする。
「勇者様、ですから、その女はエルフか獣人のスパイだと――」
「黙れェ!!」
怒声と共に、勇者は目の前の男に剣を突き刺した。その瞬間、勇者の中で何かが完全に切れた。
(こいつらは……)
「ぶっ殺してやる……」
その言葉と共に、勇者は剣を振り回し始めた。避難所にいた人々――守るべき存在だった者たちが、一人また一人と斬り伏せられていく。勇者の動きは止まらない。復讐のために、血と怒りの暴走が始まった。
剣を振るうたびに、周囲に血しぶきが飛び散る。誰一人として抵抗できる者はいない。勇者はまるで何かに取り憑かれたように、次々と人を切り倒していった。かつての勇者の姿はそこにはなく、ただ復讐に燃える殺人者だけがそこにいた。
やがて、避難所にいた人々は皆、血だまりの中に倒れ、息絶えていた。その場には、無数の死体と、冷たくなったリラの姿が残されていた。
勇者の暴走は、すべてを失わせた。そして、その手に残ったものは、誰も取り戻せない深い絶望と破壊だけだった。
★
勇者は、周囲に散らばった死体の中で、静かにリラの亡骸を抱きしめていた。彼女の冷たい体温が、彼の胸に突き刺さる。怒りも悲しみも、すでに限界を超えていた。何もかもが無意味に思えた。
「リラ……」
その名を呟く声も、もう彼自身の耳には届かない。どれほどの時間が経ったのか分からない。ただ、彼の中で燃え続けていた復讐の炎は、徐々に消えつつあった。
やがて勇者は、リラを丁寧に抱き上げ、静かな場所を探し始めた。彼女を埋葬するために。瓦礫や血の跡が広がる中で、唯一静かな場所を見つけ、彼は手を使って穴を掘り始めた。
震える手で土を掘り進める。何度も、何度も。その度に、指が土に触れるたび、心の中にぽっかりと穴が開いていくような感覚が襲ってくる。それでも彼は手を止めなかった。彼女を、せめて安らかな場所に送りたい。それだけが、今の彼を動かす唯一の力だった。
穴が十分に深くなったところで、勇者はリラをそっと横たえた。彼女の顔は、まるで眠っているかのように静かで、安らかだった。
「ごめん……」
勇者はそう呟きながら、静かに土をかけ始めた。涙が頬を伝い、土に染み込んでいく。しかし、それが何かを癒すことはなかった。
すべてを終えたとき、勇者は静かに手を合わせた。だが、その瞬間、彼の心は完全に限界を迎えた。
「もう……無理だ……」
この世界に、生きる価値すらない。全てを失った彼はもう、限界だった。
(ロジャー、確かに死んでしまえば、どれほど楽だろうか)
死にたい、そう思ってもこの力がどれだけ必要とされているかを知っている。
でもそれすらもうどうでもいいと思っているはずなのに、死ねない。
どんなに死にたくても。自死を考えるほど追い詰められても死ねないのだ。
どれだけ体を剣で突き刺そうと、回復魔法を使ってしまう。
「ア”ッア”ア”ッ”ア”ァァァ!!」
どれだけ叫んでも、どれだけ苦しんでも死ねない。
「この、人間もどきが!さっさと死ねよ!このクソゴミが!」
彼の声は誰にも届かない。死にたいという切実な願いすら、彼の体は裏切り続けた。生き続けなければならないという、誰かに定められた運命に逆らえずにいた。
拳を何度も地面に叩きつけた。痛みも、血も、すぐに回復してしまう。その絶望は、彼をさらに深い闇へと引きずり込む。
「もう……何もかも終わりだ……」
勇者は笑い始めた。自嘲するかのように、冷たい笑みが顔に浮かんだ。どれほど願っても、死すら彼に訪れない。それが彼に残された唯一の「罰」だった。
「ハハ……僕は……死ぬことすら……許されないんだな……」
彼の声はかすれ、風に消えていく。絶望と孤独が彼の心を蝕む中、勇者はついに決断する。
――自分自身を完全に消し去ることを。
彼は震える手で呪文を唱え始めた。禁じられた魔法。自分の存在すら消し去るための最終手段だ。自分も、過去も、大切な人たちの顔も――何もかもを無に帰すための儀式。勇者は最後の力を振り絞り、深い呼吸をしてその呪文を完成させる。
「【シニタイト】」
指で自身の頭を打ちぬいたと同時に勇者は力なく倒れた。
★
どれだけの時間が経っただろうか、勇者はゆっくりと立ち上がった。
「何だ?……ここは?」
死体だらけの中、訳も分からず立ち上がった。
「僕は……誰だ?」
何一つ覚えていない。自分を知らない。
すると、近くに鏡があるのが見えた、血で少し汚れているが使えない程度ではない。
彼は鏡の前に立ち、ある事を理解した。
「ああ、そうか……」
「僕は……私は……」
「勇者だ」
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