第43話 大暴れ
全員の視線が包丁を持つフネさんに集まった。
「それは、ひょっとして……」
海山刑事が言った。
「あの外国人の女が部屋に隠してやがったのよ。こうなったら、あなた、進次郎、ここにいる奴らを全員殺して口封じしないと、私ら刑務所行きよ!」
フネさんからはすでに穏やかな雰囲気が消え去っていた。興奮して目が血走ったフネさんは包丁を両手で構えた。その途端、進次郎さんが唸るような低い声を上げて、包丁を奪い取った。
「オカン、俺がやるよ」
そう言って進次郎さんは包丁を顔の真ん前に持ってきて、まるでそこに映る自分の顔を見ているように、半笑いしていた。
「刑事さん、推理、間違ってたぞ。あの外人の女を殺したのは、オカンじゃなくて、俺だ。俺がフライパンでぼこぼこに殴ってやったんだ」
進次郎さんはジャンキーみたいに目がイッていた。そして包丁を振り回し始めた。
「係長!」
「おう! 逃げろ!」
係長は冷静に焦りながら言った。海山刑事は拳銃を抜いて構えたが、部屋の中を逃げ惑う人への誤射の可能性があり、中々撃つことができなかった。進次郎さんは、動けない正代さんに狙いを定めて切りかかった。
叫び声と悲鳴が交差する中、咄嗟に権藤さんが正代さんに覆いかぶさった。包丁は権藤さんの脇腹あたりにぐっさりと切り込んだ。進次郎さんが包丁を抜き取ると、血しぶきが上がり、再び悲鳴が上がった。進次郎さんは血がベッタリと付いた包丁を見て、ぶつぶつと何かをつぶやきながら、また包丁を振り回し始めた。そして、下座に座ったままのララさんめがけて切りかかった。
「ララさん!」
ララさんの肩に包丁が突き刺された。進次郎さんは包丁を抜いて、ゆらゆらと振り返り、次の標的を探しているように見えた。滝のように血が流れ、ララさんはその場に倒れ込み、動かなくなった。
「……っひぇひぇ……」
進次郎さんは完全に我を失っていた。ラリった狂人でしかなかった。
「京子、何とかならない?」
「無理よ!」
「おう、刃物を持った相手には、スワット隊員でも逃げるんだ」
係長は緊急通報しながら言った。
「小春、竹刀があれば勝てる?」
「え!?」
「おう、ダメだ、危険だ」
私たちは焦りながらもあれこれ考えていたが、どうにもできない状況だった。だがしかし、進次郎さんと距離を取りながら、脱いだ上着を左手に巻き付けていた冷静な男が一人いたのだ。
「戌井先生、右手もお願いします」
戌井さんは自分の上着を猿渡さんの右手に巻き付けてきつく結んだ。
「猿渡先生、もう若くないんですから、気をつけて下さい」
「おしっ! いくかっ!」
猿渡さんは軽いフットワークで進次郎さんに近づいていった。進次郎さんは包丁をぶんぶんと振り回したが、猿渡さんは上半身だけでかわし続けた。包丁をかわして、かわして、かわし続けて、猿渡さんは進次郎さんの懐に飛び込み、顔面に右フックを決めた。よろける進次郎さんは包丁を振り回すが、猿渡さんはそれをかわして左ストレートを顔面に決め、とどめのアッパーカットをお見舞いした。
「先輩!」
スルっと包丁が手から離れ落ち、進次郎さんは後ろに勢いよく倒れこんだ。私たちは興奮状態で、何が起こったのか瞬時に理解できなかった。しかし、刑事の本能が機能した。私はすぐに倒れた進次郎さんの右腕をホールドしにかかった。係長はヘッドスライディングするように進次郎さんに覆いかぶさった。その上に竹葉さんが覆いかぶさり、京子がさらにその上に勢いよく飛び乗った。そして海山刑事が進次郎さんの左手に手錠をかけた。
「猫田進次郎! 殺人未遂の容疑で現行犯逮捕する」
海山刑事はすぐに右手にも手錠をはめ、進次郎さんを立たせた。私は興奮して全身がガクガクと震えていた。おそらく京子も係長もそうだった。そして竹葉さんも海山刑事も。だから、私たちは見落としをしてしまった。畳の上に落ちた包丁の存在を忘れていたのだ。
「……お前が……ハハを殺シタ……」
私たちのすぐ背後から声が聞こえてきた。私はフッと後ろを向いた。まさにその瞬間だった。ララさんが進次郎さんの背中を包丁で刺したのだ。進次郎さんは声も出せないくらい苦しそうに、その場に膝をついて倒れた。
「進次郎ーっ!」
フネさんが駆け寄ってきた。進次郎さんはピクリとも動かないままだった。ララさんは、倒れそうになったところを猿渡さんに支えられた。
「ララさん、しっかり!」
「タオル! 誰か、タオルとか包帯とか!」
係長が叫んだ。青田さんと赤羽さんがすぐに取りに走った。
権藤さんは豊さんたちに手当をされながら壁にもたれて座っていた。意識ははっきりしているようだった。
私は完全に動かなくなった進次郎さんに心臓マッサージをしていた。途中から海山刑事が代わったが、すでに手遅れだった。京子はタオルでララさんの傷を押さえて止血しようと奮闘していた。
フネさんは進次郎さんの手を握っていた。だがすぐに、進次郎さんが死んだことを認識したようだった。
「……もう終わりよ……あなた……タバコ……ちょうだい」
小次郎さんは放心状態で電子タバコをフネさんに手渡した。フネさんは袖口から取り出したフィルターを電子タバコに付け替えてから吸い始めた。いつもの穏やかな感じに戻って、電子タバコをふかしていた。
「宇都宮さんのこと、大事な仕事仲間だと思っていたのに……」
恵子さんが悲しそうに言った。
「人間の本性なんて、他人にはわからないもんさ」
豊さんが恵子さんに言った。
「宇都宮さんがタバコを吸うの、初めて見たわ」
恵子さんが残念そうに言った。この恵子さんの言葉で、係長はハッと何かに気づいた。
「おう、待て! 吸うな!」
係長はフネさんを見て叫んだ。しかし、もうフネさんは吸い終わった後だった。電子タバコはすでに小次郎さんが吸っていた。みんな、また何かが起きるのかと不安げな表情でフネさんに注目した。フネさんは目が虚ろな感じでふらついていた。
「……う、ごふっ……」
フネさんは突然嘔吐して、畳の上に突っ伏した。
「え!?」
私はフネさんを抱え起こそうとした。だがすぐに――
「触るな!」
係長が叫んだ。フネさんは口から泡を吹きながら動かなくなった。そしてすぐに小次郎さんも同じように嘔吐して倒れ込んだ。
「気をつけろ、トリカブトだ」
係長が言った。小次郎さんも泡を吹きながら苦しそうにもがいて、すぐに動かなくなった。みんなどう対処していいのかわからなかった。青田さんと赤羽さんはすすり泣いていたし、恵子さんも泣いていた。しし丸は権藤さんのことを心配して足元に待機していた。私は畳の上に座り、ただがっくりとうなだれていた。凄惨な現場で、私たちはただ救急車を待つしかなかった。
救急車が到着し、救急隊員や大南署の警官が慌ただしく動いた。小次郎さん一家は、全員が亡くなっているのは明らかだった。救急隊員はAEDを使って蘇生を試みたが、ララさんはその場で死亡が確認された。けが人の中で権藤さんだけが、幸いにも命に別状がない状態で病院へ搬送されることになった。
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