第7話 遺言状公開

 戌井さんは封筒にハサミを入れ、中から幾重にも折られた紙を出して広げた。

「では、一太郎さんの代理人弁護士であります戌井碗子が読み上げます。猫田一太郎は、会社の経営権、全ての財産と資産を、一太郎の実子で、日本国籍を有し、存命中であり、最年長の者に相続させる。なお、この遺言は、一太郎の死後三日後に公開されることとし、直近に行われる “猫猫丸びょびょまる祭り” の翌日から効力を持つこととする。以上です」

 戌井さんは滑舌良くハキハキと読み上げた。そして遺言書を部屋の真ん中の畳の上に置いた。

「あっははははは……」

 弥太郎さんは天井を見上げながら不気味に笑った。それを、隣の昭恵さんは不信感を持って見ていた。同じく、豊さんも。対して、向かいに座る大次郎さん夫婦と孫の進次郎さんは、不自然と思えるくらいに平然としていた。

「豊さん、これは、豊さんのお父さんの弥太郎さんが、全てを相続するということですよね」

 係長は小声で尋ねた。

「はい、日本国籍で、最年長……。そうなりますね。でも、祭りの次の日から……」

 それを聞いて、係長は大次郎さんたちに視線を向けた。おそらく係長も私と同じことを思ったはずだった。京子はしし丸のことが気になって仕方がないようだった。

「この遺言に関して何か質問はございませんか」

 戌井さんはみんなを見回した。

「はい、質問があります」

 なんと、係長が手を上げたのだ。猫田一族は皆、不思議がっていた。

「えー、その遺言状の正当性はいかほどなんでしょうか」

「この遺言状は、10年前に、一太郎ご夫妻から作成の依頼を受けまして、正代奥様の立ち会いのもと、公証人役場で作成した遺言状です。そこに記載されている通り、立会人は私戌井碗子とこちらの猿渡佐彦弁護士、その他に三名の公証人が努めました。法的に効力のあるものです。その時はまだご夫妻お二人とも認知症の気配はなく、二人の医師の診断を経ております。その診断書は公証人役場に保管されております」

「はい、わかりました」

 係長はわかったのかどうかわからないような返事をした。

 正代さんは認知機能に問題があるのか、表情の変化はなく寝ているような状態だった。弥太郎さんは不敵に笑っていた。大次郎さん夫妻もだんだんと顔がにこやかになっていった。進次郎さんはぼけーっとしたままだった。そしてどういうわけか、昭恵さんと豊さんだけが、気分が晴れないようだった。


 このままここに留まっている必要はないと思ったので、私は係長に退室を促そうとした。その時、権藤さんが部屋の戸を開けて入室してきた。

「皆さん、新しいお客さんです」

 権藤さんに紹介されて、背の高い色黒の70歳くらいの男性が、入ってきた。

「あの、どちら様ですか」

 昭恵さんが尋ねた。

「一太郎さんの息子のヤジロウさんだと聞きました」

 権藤さんが答えた。

「え!」

 弥太郎さんをはじめ、大次郎さんらも驚いた。

「私は、ネコタ・ヤジロウです」

 その男性は私たちの近くで胡座をかいて若干片言の日本語で名乗った。

「お母さん、お久しぶりデス」

 ヤジロウさんは正代さんを見て言った。すると、正代さんは何かを思い出したかのように立ち上がってゆっくりとヤジロウさんの方へと歩いてきた。

「おおおっ、ヤジロウぉぉ」

「お母さん……」

 正代さんはヤジロウさんの顔を手で触って撫で始めた。

「ヤジロウぉぉ、元気だったかぁぁ」

「お母さんモ、元気でしタカ」

 二人は涙を流して抱き合った。

「おい! 息子だと!? 偽物だ、つまみ出せ!」

 大次郎さんが怒鳴った。

「こちらのヤジロウさんは、私たちがお呼びしました。一太郎さんの息子さんです」

 戌井さんが言った。

「何だって!?」

 弥太郎さんは驚愕していた。

「ヤジロウだと、そんな名前、聞いたこともない!」

 大次郎さんが怒鳴った。

 豊さんも昭恵さんも驚いていた。

「遺言状について質問はございませんか? ……では、もう質問がないようですので、これで、終了といたします」

 戌井さんは遺言書を拾い上げて、猿渡さんとともに退室した。

 正代さんとヤジロウさんは抱き合ったままで、体の奥底からこみ上げてくるように、涙が止まらないようだった。使用人の方たちが入室してきたのを見て、豊さんは私たちとともに部屋を出た。ヤジロウさんの髪は、他の猫田一族の男性たちのと同じく、ライオンのたてがみのようにふわふわと逆立っていた。

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