第6話 猫田一族

 私たちが洋室でお茶を飲みながらくつろいでいると、男性が入ってきた。

「こんにちは。村田さんでしょうか?」

「はい、私が村田です」

 係長が答えるとその男性は少しホッとしたようだった。

「はじめまして。僕、猫田豊と申します。弁護士の戌井先生から、県警の村田さんに頼んでおいたので、頼るようにと言われました」

 猫田豊さんは、インテリっぽくて、誠実そうな青年だった。髪はまるで静電気でも帯びているかのように逆立ってふわっと広がっていた。まるでライオンのたてがみのようだった。髪をセットしたら絶対にイケメンになる感じだった。

「ああ、そのことですか。ええ、まあ、どうぞ頼って下さい」

 係長は頼りがいのない返事をした。

「はい、それでは、現状を説明させて下さい」

 豊さんもテーブルについてお茶を飲みながら話し始めた。

「すでに戌井先生からお聞きだと思いますが、祖父の猫田一太郎が亡くなりました。96歳でした。年齢の割には、とても元気で、数ヶ月前まで毎日ランニングしていました」

「ランニング……」

「ですが、三ヶ月くらい前に、体調を崩してから寝たきりになってしまいました。ちょうどその頃なんですが、一族の財産相続のことで、僕の父の弥太郎が、祖父の弟の大次郎が住んでいるA県まで行くことになりました。数日して、父が帰ってきたのですが、その……それ以来、様子が、変なのです」

「変?」

「はい。ずっと生活してきたこの家のことをわかってないようで、僕と母のことも覚えていないというか、初めて会ったような感じでぎこちなかったんです」

「具体的には、どういうふうにですか?」

「例えば、ペットの猫が寄り付かなくなりました。父と、ペットのしし丸は毎晩一緒に寝ていたのに……。他には、階段の窓は普段は開かないようにしていたのですが、それを無理に開けて壊してしまったり、自分専用の湯呑と箸を間違えたり……。それから、昨日、父の誕生日だったのに、自分の誕生日を覚えていなかったんです。僕と母についての記憶もなくなっている感じがします。昔、家族で旅行に行ったこととか、覚えていないようなんです。話が合わないんです。村の人とも話が噛み合わないんです」

「なるほど。それは、お母さんも同じように思ってらっしゃるんですね」

「はい。母もですし、使用人の方たちも、村の人たちも」

「うーん、それは奇妙ですね」

「ひょっとしてー、呪いー!」

「京子、違うわよ」

 私は怖がりだした京子を諌めた。

「大南警察署に相談したんですが、こういうことは捜査できないと言われました。それで戌井先生に相談したんです」

「なるほど。警察はこういうことに対して首を突っ込むことはできませんからね。ですが、私は今日は休暇を取って来ましたので、できる限りのことはするつもりです。素人探偵っていうことで。ほら、部下もいますので」

「こんにちは。香崎小春といいます」

 私は警察手帳を見せた。

「磯田京子でーす。これでも刑事でーす」

 京子は敬礼しながらめっちゃギャル系の挨拶をした。

「僕のことは、家中が猫田だらけなので、豊と呼んで下さい。皆さん、よろしくお願いします」

 豊さんは丁寧に頭を下げた。

「すごい髪型ですねー、ライオンみたいー」

「ちょっと、京子」

「はい、一族の人間の宿命なんです」

 豊さんは自分の髪を押さえつけたが、すぐに逆立って、困った顔をしていた。

「豊さん、“猫髪村ねこがみむら” のことが書かれてある民俗学の本を読みました」

「そうなんですか。昔たまに、学者が調査させてほしいとうちを訪ねてくることがありましたね。祖父が先祖の宝を見せたりして応対していました」

「へえ、すごいですね。“猫殺無情左衛門ねこごろしむじょうざえもん” さんからずっと続いてるんですよね」

「はい、亡くなった祖父で20代目、父で21代目になる予定です」

「昔から続く家柄の家系って、なんか憧れます」

「憧れるー」

「そんなに大したことありませんよ」


 しばらくくつろいでいたら、使用人の権藤さんがやってきた。

「豊さん、それとお客さん、もうじき正午になりますんで、応接間へどうぞ」

 ぶっきらぼうな言い方だった。

 私たちは権藤さんの後についていった。


 そこは、高級旅館の大広間みたいな、100畳かそれ以上あるような広い和室だった。私たちは、端っこのほうに座った。隣に座る豊さんが、この場にいる人たちのことを、目立たないように小声で説明してくれた。

「上座にいるのが、祖母の正代です。その手前が、僕の父の弥太郎と、母の昭恵です。その向かいに座っているのが、祖父の弟の大次郎と妻の照子。その二人の孫が、手前にいる進次郎です」

 正代さんは背筋がピンとしたいかにも古風な小柄な老婆だった。弥太郎さんは60代だろうか、不敵な笑みを浮かべながら電子タバコを吸っていて、あまり感じの良い人には見えなかった。昭恵さんは不安で困ったような顔をしていた。大次郎さんは何か悪巧みをしているような悪どい感じがした。照子さんも似たような雰囲気を出していた。その二人の孫の進次郎さんは、豊さんと同じくらいの年齢で、天然ボケのような感じで、半笑いでぼけーっとしていた。男性は全員、髪の毛がライオンのたてがみのようにふわっと逆立っていた。みんな、決して気品ある富豪一族の一員という感じではなく、いたってどこにでもいるような感じの人たちだった。

「おい、豊! なぜそいつらがここにおるんだ!」

 大次郎さんが私たちを見て文句をつけてきた。

「この方たちは、相続の手続きで何か問題が起きた時のために、僕が依頼して来てもらった方々です。なので、僕の代理人です。この場にいる権利があります」

「ふん!」

 大次郎さんは聞く耳持たない頑固じじいだった。

「豊さん、お父さんの弥太郎さんとお母さん、あまりいい雰囲気には見えないですね」

 係長は小声で訊いた。

「はい、僕が言うのもなんですが、よそよそしいですよね」

 弥太郎さんを見る豊さんの目から、不審の念を感じた。

「係長、えっと、一太郎さんの弟さん夫婦ですが、真っ当な人とは思えませんね。莫大な遺産が絡んでくるとああいう風になるんでしょうか」

 私には大次郎さんと妻の照子さんが何か良からぬことを考えているように見えた。

「おう、香崎、怪しいというバイアスがかかってるから、そう見えるだけかもしれんぞ。でも、俺もお前と同じ意見だ」

 私は無言で頷いた。そこへ突然、音もなく一匹の猫が忍び寄って来た。

「おっ、しし丸、おいで」

 豊さんに呼ばれて反応した猫田家の飼い猫のしし丸は、豊さんみたいなライオンのようなたてがみを持っていた。しし丸は豊さんの膝の上にぴょんと飛び乗った。それと同時に、戌井さんと猿渡さんが入室してきて、下座に座った。戌井さんはカバンから大きな封筒を取り出した。

「それでは、定刻になりましたので、今から、故猫田一太郎氏の遺言状を公開いたします」

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