第2話 定番トリオ

 それから数週間経過したある日、戌井碗子弁護士が再び刑事課を訪れた。

「あら、村田さん、お元気? おっほっほっ。以前に話したこと、覚えてらっしゃるかしら。猫田一太郎さんが今日の早朝にお亡くなりになったの。お葬式が明後日、〇〇市にある情念寺で執り行われて、明々後日に猫田一太郎さんのご自宅で、遺言状の公開をすることになりましたのよ」

「……あ、はい、わかりました……」

 係長はすごく嫌そうな顔をしていた。

「あの、戌井さんは、お一人で行かれるのですか?」

「私は事務員と一緒に行く予定ですのよ。大事な遺言状を持っていますから、さすがに一人ではねえ」

 戌井さんは扇子で仰ぎながら早口で話した。

「村田さん、来てもらえますよね?」

「……え、あ、はい、行きます……」

「おっほっほっ。それでは、明々後日、正午までに、こちらまでお越しください」

 戌井さんはプリントされた紙を差し出した。

「場所は、T県の南の方の山奥にある “猫髪村ねこがみむら” ですのよ、おっほっほっ。私、四度訪問しましたが、大変不便な場所でしたわ。途中までは高速を使えますけど、畦道を走らなければたどり着けないような場所ですのよ」

 それを聞いて、係長は顔が青くなっていった。

「猫田豊さんには、力強い味方が来るとお伝えしておきますわね。それでは、現地でお待ちしております」

 戌井さんはバブル時代の服をキラキラさせながら、刑事課から去っていった。


 係長は低いテンションで山崎課長の席へとぼとぼと歩いた。

「あ、課長、突然ですが、三日後から不定期で休暇を取れませんか」

 係長は断られるのを心配しながら課長に伝えた。

「ああ、村田係長、変なおばさんにからまれて大変ですね。休暇、認めますので、ぜひ山奥の村で頑張って下さい」

 課長は気の毒そうに許可した。係長は休暇願をもらってその場ですぐに記入し始めた。


「あ、そういえば、嶋村先輩、係長が交番勤務だった時の話、どうでした?」

 私は小声で尋ねた。嶋村先輩は私と京子の方へと、デスクに身を乗り出した。

「ん、ああ、猿渡さんのことだよな。ちゃんと刑事部長から聞いたよ。係長な、最初に新宿署管内の交番に勤務してたんだよ。その時に、交番に来たキャバ嬢とかを何人も口説いて、店からクレームが来たんだ。それで、店側と交渉してくれたのが、当時の先輩の猿渡さんだったんだ。その情報は警視庁の上のほうまで報告されてたんだけど、結果的に店のほうが黙っててくれることになって、大きな問題にはならなかったそうだ。だから、係長は猿渡さんに恩義を感じているみたいだ。しかし、係長、職務中に女を口説くって、どういう神経してんだろうな。ヤバ過ぎだよ。よく免職にならずに済んだよな。キャリアだから、なんとかなったんだろうけどさ――」

 嶋村先輩も小声で話していた。おそらく、課長のデスクで休暇願いを書いている係長には聞こえていないと思っていたのだろうが、私のアイコンタクトにも気づかずにベラベラと話し続けた嶋村先輩は、時すでに遅し、すぐ後ろで係長が聞き耳を立てていたことに気づいていなかった。

「し〜〜ま〜〜む〜〜ら〜〜!」

 係長は般若の形相で唸るような低い声で嶋村先輩の名を呼んだ。

「ひ、ひ、ひいぃぃぃぃぃ」

 嶋村先輩は慌てて椅子から転げ落ちた。

「いてええええぇぇぇぇぇ」

 嶋村先輩は勢いよく指を床に打ち付けた。

「おう、陰口を叩くからバチが当たったんだよ!」

 嶋村先輩は痛みをこらえながら、自分を見下ろす係長にビビっていた。

 その後すぐに、痛さで悲鳴を上げ続ける嶋村先輩は病院へと運ばれ、右手首捻挫、左人差し指、中指、薬指、小指骨折と診断された。


 翌日、嶋村先輩は公務災害で通院していた。

「おう、“猫髪村” まで嶋村に付き合ってもらおうと思ってたが、無理だな」

「僕、来週、昇進試験があるので、ちょっと……」

 周りを見回す係長と目が合った高木先輩が恐る恐る言った。

「おう、磯田――」

「嫌でーす」

 京子は速攻で断った。

「おう、香崎、どうだ?」

「え、いえ、私は、その……」

「おう、帝王ホテルの鉄板焼レストランのスペシャルメニュー、松阪牛のフルコース、でどうだ?」

「はい、行きます!」 

 私は松阪牛のフルコースと聞いて速攻でイエスの返事をした。

「えー、小春ー、行くのー」

「うん、だって帝王ホテルで松阪牛のフルコースよ。あ、でも、係長、行く人が増えてもいいんでしょうか?」

「おう、戌井さんから大丈夫だと聞いてる」

「んー、小春と係長をー、一緒にしておくのは危険よねー」

「おう、危険じゃねえよ」

 京子は係長を無視して課長のデスクまで行った。

「山崎課長ー、私も休暇を取りまーす」

「ダメだ、磯田。今、村田係長が取ったばかりだろ。それに、嶋村もどうなるかわからないし」

 課長は京子の希望を断った。だが、その時すでに京子はスマホを触っていた。

「そういえば課長ー、白バイ隊の滝川みどりちゃんにー、二人でカラオケ行こうってー、誘ってましたよねー」

「……え、あ、いや、それが、何だ……」

 課長が目をキョロキョロさせて焦りだした。

「あれー、課長の奥さんとの女子会ー、次はいつだったかなー」

 京子の十八番が炸裂した。合法的な脅迫だ。

「わかった、わかった。磯田、認めよう。休暇取っていいぞ。うん、取れ、取れ。香崎と一緒に取れ」

「やったー」

 京子は普通に喜んだ。課長は胃が痛そうだった。高木先輩は京子の情報収集能力を怖がって震えていた。

「小春ー、これで一緒に旅行に行けるわねー」

「いや、京子、旅行じゃないから」

「ごめーん、ハイキングだったー」

 京子はいつも通り天然だった。

「係長、泊まる宿とかは決まってるんでしょうか?」

「おう、大金持ちの猫田一族の大豪邸に宿泊できるそうだ」

「やっぱ旅行じゃーん」

 京子はウキウキだった。

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