猫髪家の一族

真山砂糖

第1話 始まり

 私は香崎小春。T県警の刑事課に所属する刑事で、階級は巡査だ。私はこれまでいくつものおかしな事件に遭遇してきた。もうそのようなことはないだろうと思っていた。しかし、またしてもおかしな事件に遭遇してしまったのだ。私はできることなら、そのような事件に関わりたくはなかった。しかし、あきらめがついている。私はおかしな事件を引き寄せる天賦の才を持っているからだ。これはもう他人に誇るべきことだと思っている。そんなことはともかく、これまでと同じく、今回のおかしな事件を、いやただ単におかしいというだけでなく、複雑怪奇でもあった事件を以下に記しておく。


 夏も終わりに近づき、セミの鳴き声が静かになり始めた頃、女性が相談のために刑事課を訪れた。私と係長が自分たちのデスクで応対した。

「こんにちは。私、弁護士をしております、戌井碗子いぬいわんこと申します」

「係長の村田圭吾です」

「香崎小春です」

 その戌井という女性は50歳を超えているようで、それにしては甲高い声で話す女性だった。バブルの頃のような服装で、女性にしては大柄でおおらかな感じの人だった。

「あ、わんこ、と読むのですか。これはまた、すごいお名前ですね」

「そう、わんこ。もちろん、本名ではありませんよ。ニックネームです、おっほっほっ。私、弁護士になる前は、占い師をしてたんです。それで姓名判断してみたら、この漢字と画数が私の生年月日と最高に相性が良かったんです。だからニックネームにしたんですのよ」

 戌井さんは早口で嬉しそうにしゃべり続けた。

「……あ、はい」

「それで、今日はどういったご要件でしょうか?」

「私、近々、“株式会社きっとキャット” の創業者である猫田一太郎さんの遺言状を、ご一族の方々の前で公開することになるかもしれません。猫田一太郎さんは、現在96歳で、一ヶ月前から寝たきりになっておられます」

「あ、そうでしょうね。96歳じゃあ」

 係長がつぶやいた。

「言いにくいことなのですが、亡くなられるのは時間の問題なんです。私の仕事は単純に遺言状を開封して読むだけなんですが、厄介なことが起きるのではないかと思いまして……」

「それは一体どんなことでしょうか」

 係長が尋ねると、戌井さんは扇子を取り出して扇ぎ始めた。

「ちょっと失礼します。暑いですね。ふう。えー、私は遺言状の中身を知っているのですが、もちろん、それは言えませんよ。実は、猫田一太郎さんの孫の猫田豊さんが、法定相続人である自分の父親が偽物だから、裁判所に異議申し立てをしてほしいと、私の事務所へ依頼しに来たんです」

「はあ、難しい話ですが、その依頼はどうされたんです?」

「もちろん、お断りしました。この場合、利益相反になりますので、依頼を受けることはできません」

「えーっと、まあ、そうなるでしょうね」

 係長はだるい感じで伝えた。

「猫田豊さんは、地元の大南警察署へ行って断られたから、仕方なく私の事務所へ来たというのです。猫田豊さんが言うには、もし祖父が死ねば、何か悪いことが起きるかもしれない、だから、助けてほしいというのです。かなりの資産家一族ですからねえ、私も嫌な予感がするんです。何か起きると思うんです。私、占い師でしたからねえ、おっほっほっ」

 戌井さんは私たちに顔を近づけて恐怖心を煽るような口調で話した。

「えーっと、警察としては、占いや予感という非科学的な理由では動くことはできません」

「もちろん、わかっていますよ、弁護士ですから、おっほっほっ。だから、ここへ、わざわざ来たのですよ、村田圭吾さん。私の事務所に猿渡佐彦という弁護士がいるんですが、お知り合いですよね」

「……」

 急に係長の顔色が変わった。

「村田さんがまだ東京で交番勤務をされていた頃の先輩だった、猿渡さん」

「あ、え、まあ、知っています、え、と、はい」

「なんでも、色々とすごいことなさってたそうですね、村田さん。おっほっほっ」

「あ、あは、はは、はい、えー、そうですね、警察といたしましては、前向きに検討するということで……」

 係長は急にそわそわし始めて、顔がひきつっていた。

「あら、嬉しいですわ。では、もし猫田一太郎さんが亡くなられたら、孫の猫田豊さんの味方になってあげて下さいね」

「……あ、はい……」

 係長は胃が痛そうな感じだった。反対に、戌井さんは嬉しそうに帰っていった。


「あの、係長、こんな依頼を引き受けてもいいのでしょうか?」

「……あ、大丈夫、だろ、休暇、取るわ……」

「ところで、猿渡さん? ってどういう方ですか」

「……あ、腹いてえ」

 係長はトイレへと走って行った。


 少し離れたデスクで京子がこっちを見ていた。

「小春ー、係長さー、交番勤務の頃にー、何かしでかしたんじゃない? だからー、その時の先輩だった猿渡って人にー、頭が上がらないのよー、きっとー」

「香崎、その猿渡って人のこと、調べておこうか?」

 すぐ側の嶋村先輩が報告書を作成しながら、私たちの会話に入ってきた。

「え、嶋村先輩、どうやって調べるんですか?」

「ああ、俺、今週末、刑事部長と麻雀するんだけどな。刑事部長は、係長が交番勤務してた頃に警視庁勤務だったから、何か知ってるかもしれない」

 嶋村先輩は真面目な顔をして話した。その日は他に何事もなく過ぎた。

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